桜が文学作品の中で最初に登場するのは奈良時代の「万葉集」である。しかし、中国文化の影響が強かった当時は和歌などで単に「花」といえば梅を指していた。万葉集においても梅の歌の割合は桜を大きく上回っていた。その後平安時代に国風文化が育つに連れて徐々に桜の人気が高まり、「花」とは桜を指すようになった。
あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも 山部赤人 万葉集第1452歌
江戸時代には河川の整備に伴い、護岸の保護と美観のために桜や柳が植えられた。また園芸品種の開発も大いに進み、様々な種類の花が誕生した。江戸末期までには300を超える品種が存在し、明治以降には加速度的に多くの場所に桜が植えられていった。
これは古くから桜が、諸行無常といった感覚にたとえられており、短期間に咲いて散る姿ははかない人生を投影する対象とされてきたためである。 江戸時代の国学者、本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠み、桜が「もののあはれ」などを基調とする日本人の精神の具体的な例えとみなした。
伏見区の南西に位置する淀。かつて桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となり、大阪平野へつながる水陸交通の要衝であった。平安時代には「与度津」を呼ばれ都の外港となり、戦国時代にかけては城が築かれ、城下町として発展した。
近年は京都競馬場のある場所として、多くの人を集めている。1999年に着工した京阪電鉄本線淀駅の高架化と周辺整備をきっかけとして、淀の特色を生かした新しい町づくりを目指した取り組みが進められている。その一つが淀水路を中心に河津桜を植樹する試みである。また、この植樹をきっかけとして清掃活動が行われるようになった。
河津桜は毎年2月上旬から咲き始め3月上旬までの約1ヶ月に渡り咲く早咲きの桜である。1955年に静岡県伊豆半島の河津町で発見されてから近年全国に徐々に広がっている。オオシマザクラとカンヒザクラが自然交雑したと推定され、華やかで見応えのある濃い桃色の花が特徴である。