ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2019年春学期)
私の好きな笠置町
永島明奈
(2017年度入学 鈴木ゼミ一期生)

 笠置町(かさぎちょう)は、京都府相楽郡にある町である。「わかさぎのはばたくまち 美しい自然と史跡に恵まれた心ふれあう町」を町の標語に掲げている。町の特産品は、キジ肉、シイタケで、冬の時期のキジ鍋やボタン鍋が名物。 笠置町は京都府の最南端に位置し、府内で一番小さな町である。東は南山城村、西は木津川市、北は和束町、南は奈良市に接する。全面積の8割を山林が占める。町の中央を木津川が流れ、南側から布目川、打滝川が注ぎ、北からは横川、沿岸に耕地が開ける。また、木津川市加茂地区東部に飛び地が点在する。
 町のシンボルでもある笠置山は古くから信仰の対象とされ、山頂の笠置寺がある。また、後醍醐天皇の行在所としても知られ、当時をしのぶ史跡も数多く残っている。四季を通じて豊かな自然を楽しめるため、休日は多くの来訪客で賑わっている。春には、日本の桜名所百選に選定されている約3000本の桜が咲き、夏は木津川でのカヌーやキャンプ、秋には笠置山の紅葉によって四季を感じられる。笠置町は歴史と美しい自然が調和する町である。

〈町民憲章〉
 一、自然と歴史を守り、心ふれあう観光の町にします。
 一、仲良く学び健康で共に働き豊かな住みよい町をつくります。
 一、子どもの夢をそだて、みんなのための幸せな町をつくります。
 一、互いに親切で、きまりを守る明るい町をつくります。
 一、よい環境をつくり、うるおいのある町を築きます

 私が笠置町を選んだ理由は、鈴木ゼミの夏合宿で初めて笠置町を訪れたときに、笠置町の豊かな自然とたくさんのおいしい食べ物、そして、笠置町に住む人たちの心のあたたかさを感じられたからである。私の地元は田舎で、田んぼに囲まれていたという環境に慣れていて、笠置町の風景に懐かしさを感じられた。また、鈴木ゼミと笠置町の絵はがきの取り組みの一環で、何度か笠置町を訪れた。その度に、まるで自分の故郷であるかのような感覚になり、笠置町に対して好感を持っているからである。花崗岩から成る奇岩・怪石が多く点在していて、古くから修験道場や信仰の山とされていた。標高288メートルの小高い山。クヌギやアオキなどの広葉樹が自生している。

 真言宗智山派の仏教寺院。山号は鹿鷺山。御本尊は磨崖仏といわれる自然の岸壁に直接線で彫り刻んだ弥勒仏様で、平安時代以降に弥勒信仰の聖地となった。歴史的に奈良の東大寺などと関係が深く、貞慶などの僧が当寺に住したことで知られ、日本仏教史上重要な寺院である。また、境内は鎌倉時代の末期に、96代後醍醐天皇が討幕を企てたことにより起った元弘の乱の舞台となったことで知られている。そして、笠置寺内には、正月堂や弥勒磨崖仏、虚空蔵石、ゆるぎ石などの魅力的なスポットが存在している。正月堂は、752年、東大寺の実忠和尚により建立されて、現在の東大寺二月堂の年中行事であるお水取りが最初に行われた御堂とされているが、何度も火災に合い、消失しました。現在の正月堂は1482年、約500年前に再建されたものである。弥勒磨崖仏は、本堂である正月堂の前に立つ本尊弥勒大磨崖仏のこと。高さ20メートル、幅15メートル。日本最大であり、最古の天人彫刻として崇められていたといわれている。現在、見られるのは巨大な光背のみ。虚空蔵石は、高さ12メートル、幅7メートルの断崖絶壁に、天衣をひるがえして座る優美な線彫りの磨崖菩薩像。奈良時代の作といわれている。ゆるぎ石は、重さ約2トンの石。岩の下部は平らだが、片手で軽く揺り動かすことが出来る。元弘の乱のときには攻撃の備えとされていた。このように、笠置寺自体が観光名所なのである。実際に、笠置寺には足を運んだが、目で見て、手で触れて、住職の話を聞いて、様々な楽しみ方がある魅力的な場所だった。

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