ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2019年春学期)
古都京都の文化財(賀茂別雷神社,賀茂御祖神社)
前田 航輝
(2017年度入学 鈴木ゼミ一期生)

 日本の歴史を語る上で京都は絶対に外せない存在である。710年の平安遷都から現代までの歴史的な事柄には京都が多く絡んでいる。そのため京都は多くの歴史的な価値のある財を有している。その財の幾つかは世界遺産に登録されている。今回は京都府に点在する幾つかの世界遺産について見ていきたい。元々世界遺産には興味を持っていたため京都府に存在する世界遺産をテーマに選んだ。
 京都府には世界遺産が十七箇所あり、他の都道府県と比べ、1番多く世界遺産を保有している。この十七箇所をまとめた総称を「古都京都の文化財」と呼ぶ。この十七箇所が世界遺産に登録された経緯は以下の理由からである。「古都京都の文化財」を構成する十七件の各資産は,世界遺産として適合するように定められた選定基準に基づいて,数多い文化財の中から,世界遺産が不動産に限られているため,建造物,庭園を対象に,国内で最高ランクに位置付けられている国宝(建造物),特別名勝(庭園)を有し,遺産の敷地全域が史跡等に指定されているなど,遺産そのものの保護の状況に優れている。では今回は、「古都京都の文化財」である十七箇所の内、今回は私に距離が近い賀茂別雷神社、賀茂御祖神社にスポットを当てて紹介したい。

<賀茂別雷神社>
 賀茂別雷神社は上賀茂神社とも呼ばれている。本学から最も距離が近い世界遺産で、神社の入り口の駐車場からも本学へ向かうシャトルバスも運行している。私自身は上賀茂神社を訪れた経験は無いが世界遺産ということもあって、多くの路線バスが運行していることもあって沢山の人が訪れていることは知っていた。そんな賀茂別雷神社はどのような歴史があるのか。
 神輿洗  賀茂別雷神社は7世紀末には有力な神社であったため、平安建都以降国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集め、11世紀初頭までに現在に近い姿に整えられた。その後、神社の影響力が衰え、また、内乱の影響もあって17世紀初頭にはひどく衰微していたが、1628年に再興された。この再興は境内全体におよぶものであり、記録や絵図を参考に平安時代の状況が再現された。再興後は、17世紀1回、18世紀3回、19世紀3回の本殿造替が行われ、国宝に指定されている現在の本殿、権殿、は1863年再建のものである。近代には、本殿、権殿の半解体修理(1911)、屋根葺替修理(1972)が実施され、その他の社殿についても半解体修理、屋根葺替修理、部分修理が行われている。本殿、権殿は同形同大で東西に並び、正面3間、側面2間、四周に縁をめぐらし正面に向拝をつけた形式である。檜皮葺、切妻造平入の屋根を基本に、前方の流れを長くした“流造”の古制をよく伝えている。国宝の本殿、権殿の他、1628年の再建と考えられる34棟の建造物(北神撰所、舞殿等は1863年)が重要文化財に指定されている。神社の聖域は、神社本体の後方もしくは周囲にある山や森林を含んでいることが特徴である。神社のこのような自然的特性はその歴史的環境に必要不可欠なものである。賀茂別雷神社の推薦区域には神社後方にある神山を含んでいる。
 上賀茂神社は世界遺産だけでなく、国宝にも認定されていることから国内外共に価値が認められていると言える。神社後方の神山も含んだ推薦区域という点が神社のスピリチュアルな部分を高めていると感じた。

<賀茂御祖神社>
 賀茂御祖神社、通称下鴨神社である。最寄駅は京阪出町柳駅で私が通学の際に利用している駅だ。上賀茂神社の次に距離が近い京都府の世界遺産だと言えるだろう。古い歴史があるだけでなく、最近ではチームラボにより下鴨神社の中にある糺の森でアート空間を作るというイベントが開催されるなど、現代的な取り組みにも使われるという昔と今の融合が見て取れる。
 神輿洗  賀茂御祖神社は平安京造営にあたっては国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集めており,11世紀初頭には現在に近い姿に整えられた。その後14世紀はじめまでは式年造替(ぞうたい)が実施されていましたが,応仁・文明の乱により,境内は,当時広大な原野であった糺(ただす)の森の樹林とともにほとんどが焼亡した。天正9年(1581)の造替の時境内全体に整備が進められて平安時代の状況が再現されました。現在の東本殿・西本殿は文久3年(1863)の造替の時のものです。流造の本殿は,古い形式をよく残しています。境内にはこれらの他,寛永6年(1629)に造替された祝詞舎(のりとや)以下の建物が残り,当時の景観を現在に伝えている。当神社は,葵祭(あおいまつり)が行われるなど古代の祭事や芸能を継承し,境内の糺の森は,四季に移り変わる林泉の美が「源氏物語」をはじめ数々の文学に語りつがれている。

 賀茂別雷神社も賀茂御祖神社どちらも国家鎮護のために建立されたものということで、当時も多くの人々が願いを込めてお祈りに来ていたに違いないと感じる。現在、新型コロナウイルスにより多くの人々が苦しんでいる。一日でも早く治まることを願う。二つの神社が建立された当時の人々のように、私も祈らずにはいられない。

●もどる>