ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2019年春学期)
上賀茂神社の歴史的価値
二戸 悠介
(2017年度入学 鈴木ゼミ一期生)

 私の好きな京都をテーマに考えたときの京都の魅力は寺社仏閣などの歴史的建造物である。私は高校時代に受けた日本史の授業で深く興味を持ったのが京都の建造物である。これらにはただ単に古いだけではなく長い時のなかで培われてきた何とも言えない趣やその場で起こった歴史的事象が起こったかなどのバックボーンが存在する。それらを含めて私は京都の歴史的建造物に非常に興味を持っている。実家が大阪なので高校時代から何度か京都に訪れたこともあるが、歴史的建造物に訪れたことは少ない。京都の大学に進学することになったので、学校帰りなどに気軽に歴史的建造物に触れる機会が増えた。

 そんななかでも深く掘り下げるのは上賀茂神社である。上賀茂神社は私の通う京都産業大学からも近く、大学入学後に初めて訪れた場所である。正直に言うと、大学入学前までは上賀茂神社の南に位置する下鴨神社は知っていたが、上賀茂神社は名前だけで場所や歴史は知らなかった。上賀茂神社をテーマに選択した理由は大学からも近く、そのため大学での活動で上賀茂神社を利用する機会も多くあり、現地に訪れた際に感動と歴史の深さを感じることが出来た特別な場所だからである。また、初めて訪れた際には何とも言えぬ荘厳な雰囲気で奥へと進む度に歴史を実感出来た。上賀茂神社をメインテーマとしてレポートを書くうえで更に歴史価値の理解に繋がればと思う。
 上賀茂神社の概要から説明していく。上賀茂神社は国宝2棟、重要文化財を41棟所有し世界文化遺産にも登録され、国宝と重要文化財の宝庫である。その歴史は古く678年に山背国に賀茂神宮が造営され、現在までほとんど変わることの無い社殿が築かれた。京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、下鴨神社とともに賀茂神社と総称される。これらと賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都の形成に深く関わってきた。桓武天皇による平安遷都以降は、皇城鎮護の神、山城国一之宮として歴代の天皇の行幸、奉幣祈願にもなされ、明治時代以降も大東亜戦争終戦まで伊勢の神宮に次いで全国神社のなかでも官幣大社の筆頭であった。また、毎年5月に行われる葵祭でも有名である。葵祭とは祇園祭、時代祭と共に京都三大祭のひとつであり、庶民の祭りである祇園祭に対して賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのが起源である。葵祭の名にある葵について説明すると上賀茂神社には、社殿のそこかしこに葵(二葉葵)の文様が刻まれた金具で飾られている。

また北東の杜には二葉葵が群生し、訪れる人々を迎えている。葵は古く「あふひ」と読み、「ひ」とは「神霊」神を意味し、葵とは「神と逢うこと」であり、また「逢う日」という意味を表している。祭神降臨の際に「葵」を飾り祭りをせよとの御神託があったことから、神紋となり社殿を飾り、神と人とを結ぶ草として古来大切に守られてきた植物でもある。
 葵祭の名はこの葵から付いたと言われている。葵祭は京都御所から下鴨神社、上賀茂神社へ新緑の都大路を総勢500名にもなる優雅な行列が練り歩く。私は1回生の時に興味を持ち葵祭を見物しに行ったが、勅使をはじめ検非違使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など平安貴族そのままの姿で列をつくり、歩く姿は平安絵巻そのものを見ているようで、風雅さにとても感動した。この祭りは平安時代の歴史や文化を令和の時代に継承する意味でとても重要な役割を担っている。近隣の住民や学生だけでなく、国外からの観光の方にも積極的に見てもらいたいと思っている。
 ここまで上賀茂神社と葵祭の歴史と魅力を述べてきたがまとめてみるとここでしか感じることの出来ない歴史的背景を知ることができることが歴史的建造物の価値ではないかと思う。だからこそ建造物の景観を守り、
その価値をこれからの世代にも伝えていく為のPRが必要になってくる。例えば全国の歴史的建造物の空き家化、相続等による解体などで失われゆく建造物を守るために、このような現状を発信する「歴史的建築物活用ネットワーク」などの活動のような動きが必要と感じている。日本史の魅力に惹かれた私の想いとしては、これからも歴史的価値を受け継いできた建造物が守られていくことを切に願うばかりである。
<画像引用>
  上賀茂神社HP公式サイト

●もどる>