ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2020年)
地域に根ざした出町商店街
二戸 悠介
(2017年度入学 鈴木ゼミ一期生)

 私の好きな京都をテーマに私が感じた京都の魅力の一つは、今なお多くの人と店で溢れ その地域にとってただの商業街ではなくかけがえのないコミュニティの一つとなっている 商店街の存在である。私の地元である大阪府の守口市にも商店街が存在するが私が幼少の 頃はほとんどの店が開いており商店街全体としても多くの人が行き交い地域のコミュニティの場としても成立していた。

 しかし、近年少しづつ店舗が閉まり始め、今では商店街全体で5割以上のシャッターが降りており、俗に言うシャッター商店街と化してしまったのである。私自身小さな頃の記憶ではあるものの商店街での親や祖父母との買い物や商店街での 夏祭りの出店などの思い出の詰まった場所でもあり、商店街としてシャッター化が進み行き交う人の量も減ってしまった今の姿を見るととても悲しい気持ちになるものである。現 状として日本では地域の商店街では人口の減少や競合となる大型スーパーやモールの存在 により商店街全体として経営が難しくなりシャッター化が進んでいる商店街が数多く存在する。そんな現状の中でも少し周りを見てみると、今でもシャッター化が進むことなく多くの店と人が行き交い地域のコミュニティの場としても成立している商店街も多くある。私の地元の守口市からも近い大阪市旭区の千林商店街は連日テレビの取材も来るなど広大なアーケード街に多様な数と種類の店が存在し地元の方にとっては今でも絶対に無くてはならない地域の場として存在感を示している。あまり距離の離れていない商店街同士でもここまで歴然と差が出ていることは悲しいことでもありながら、どのような要因で差が出てしまったのかはとても興味深いことでもある。

 京都府内でも今なお多くの店と人が行き交い地域のコミュニティの場として成立している商店街が多く存在する。そんななかでも深く掘り下げるのは京都市上京区に位置する出町商店街である。出町商店街は私が京阪電車の出町柳駅から自転車で大学に通う際に毎日 必ず横を通っていたこともありその存在は知っており、通学の際に何度か商店街に足を運んだことがあるが、平日の日中にも関わらず多くの人が行き交いとても賑わっているという印象であった。私の地元の商店街と比較してみても驚くほどの活性ぶりであった。少し商店街を歩いてみた感想としては地元の食料品の店など地域密着型の店舗がほとんどを占めている印象であった。更に行き交う人達も地元の方や観光でこられた方、外国人の方など多様な人々が行き交い、地元の方の為だけでもなくしっかり商店街として成立し活性していることがノスタルジックな雰囲気も感じることができて私にとってはとても好印象であり、それから大学の帰りなどに何度か寄るようになったのである。

 これらの理由もあり、私が4年間通った大学のからも近い出町商店街をしっかり調べてみることで更に愛着を持ちたいと思い、本レポートのテーマとすることとした。出町商店街の概要から説明していく。出町商店街は、京都市上京区に存在する商店街であり、食料品店など地域密着型の店舗が主である。2007年からは、レジ袋の削減などを目標とした「エコ商店街」の取り組みが行われ、2010 年には出町商店街振興組合が第8回 京都環境賞奨励賞を受賞するなど地域のなかでもその振興が認められている商店街でもある。そして出町商店街には出町桝形商店街という出町商店街の一角の桝形通に位置し全長164mのアーケード街で、食料品店や衣料品店を中心に44店舗が軒を連ねる商店街も存在する。以前、桝形通は出町通と呼ばれ、周辺には公家や学者が多く暮らしていた。江戸時代から明治にかけては醸造業者や砂糖問屋などが存在したが、小売を行う店舗はほとんど見られなかった。1924年頃にこの地に東北市場(のちの出町市場)が開設されると、周辺に食料品店の集積が始まったのが起源である。また、鯖街道の終点にあることにちなみ、 地元の子供によりサバなどの海の生物が描かれた陶板が埋め込まれている。2008年12月にはアーケードから吊られたサバのモニュメントが造られ、公募により「わかさばちゃん」と名付けられた。毎年5月18日の御霊祭では、アーケード内を3基の神輿が通り抜ける。これらのような地域に密着したイベントや活動に多く取り組んでいるのも出町商店街及び出町桝形商店街の魅力のひとつであると考える。

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