ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2020年春学期)
私の好きな京都 鈴虫寺
北村 栞里
(2018年度入学 鈴木ゼミ2期生)





鈴虫寺からの風景

 私の好きな京都は「鈴虫寺」だ。その魅力をこれまでに訪れて感じたことから伝えたいと思う。鈴虫寺は四季を通して鈴虫を飼育しているお寺である。黄色いお守りを買い、わらじをはいたお地蔵さんに一つだけお願いすると叶える為に歩いてきてくださるという素敵な伝えがある。

私は過去に二年前の夏の日と去年の冬の二度訪れた事がある。そのなかで特に感じた魅力が二つある。一つ目は鈴虫寺の雰囲気だ。それを感じたのは初めて訪れたときだ。母が京都に来てくれたときに「行ってみたい」と言われ足を運んだ。休日だったこともあるが、お寺には多くの参列者が階段に並んでいた。とても暑くてジメジメとした日であったが、階段をのぼり本堂に向かうと鈴虫の「ちりりりり」という音がだんだんと大きく聞こえてきた。その音色だけに集中すると、暑くて長い列にムカムカしていた気持ちがおさまり、不思議と涼しげな音色に耳を澄ましていた。汗を拭き、階段を上ると本寺に入る手前にお地蔵様が現れるのだが、緑に囲まれた中でひっそりと立っていて存在を強調していない様に感じた。お地蔵さんがわらじを履いていることは説法を聞くまで気がつかなかった。私はこのように何か目立つ物がなく、鈴虫の鳴くきれいな音色だけが響き際立っている雰囲気がとても好きだ。音色と何気ない静けさが心を落ち着かしてくれる。

 二つ目は住職さんの説法だ。説法では鈴虫の音色をバックに会話をしているようなリズムでよりよく生きるすべを教えてくれる。その中で「コンビニ」《今》《美》《荷》という言葉が印象深い。その意味は、生活していると自分にとってなにが損か、なにが得かというように考え過ぎてしまうことがある。しかし、大切なのは《今》であるため余計な《荷》物を捨てること。直接自分の為にはならなくても人に優しく素直に生きること。つまり今だけを考え得しようとなど考えずに鳴いている鈴虫の《美》しい音のように過ごしていくことが自分の生活を良くしてくれるのだと教わった。そのときはコロナウイルスが広まっていない時期だったが今になってとても響く考えだと思う。それは学校の活動などもいつ戻れるのか分からないことに不安を感じるが、前の生活と比べ、損なことばかりに目を向けるのではなく、今の生活でできることをすべきだという考えである。

 この二つが私の感じる鈴虫寺の魅力である。私は二度訪れたがどちらも感じる魅力が違った。夏は鈴虫の音色が作る雰囲気、冬は説法の中に生きるすべを感じた。どんなときでも静かで穏やかな雰囲気の中で今必要としている言葉をきくことが出来る。

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