ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2020年春学期)
京都の音
橋本 弓
(2018年度入学 鈴木ゼミ2期生)

 私は京都の音の風景、京都らしい音楽が好きだ。音の風景とは、私たちが耳で捉える風景のことである。専門的には「個人、あるいは社会によってどのように知覚され理解されるかに強調点の置かれた音環境。それゆえサウンドスケープ(音風景)は、個人(あるいは文化を共有する人々のグループ)とその環境との間の関係によって決まる」(A Handbook for Acoustic Ecology, B Truax ed.1978)と定義されている。代表例としては、日本の音風景100選がある。これは、現在の環境省が「全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)」を公募し、選定したものである。この中に京都は、京都市の「京の竹林」、南丹市の「るり渓」、京丹後市の「琴引浜の鳴き砂」が選ばれている。選ばれてはいないが、糺の森の木の葉擦れの音、清水までの石畳の上を下駄で歩く音、鴨川の水が流れる音、話し声、楽器の音。京都は都会であるにも関わらず、多様な音がそばにある。

 私たちにとって最も身近と言える自然、「鴨川」。鴨川上流の雲ヶ畑では、自然石や砂のおかげで、昔のままの川音を聴くことができる。鴨川の源流には、岩屋山志明院がある。志明院から生まれた音楽、周辺の音はまさに京都らしさで溢れている。

【岩屋山志明院】
 鴨川を遡ると、雲ヶ畑にたどり着く。かつては鴨川の原流域として朝廷との結びつきが深く、朝廷への献上である鮎や菖蒲などを用意する供御人の活動地とされていた。またこの地が汚染されると下流の京都御所に影響が及ぶため、雲ヶ畑の住民はこの水を汚さないように生活してきたという。そんな雲ヶ畑の先に、鴨川の源流となる水が滴り落ちる聖域、岩屋山志明院がある。岩屋山志明院は650年に修行していた山伏が開山し、829年に弘法大師空海が当時の天皇である淳和天皇の命により、鴨川の水源において水害がないように祀るために創建した。この寺院が登場する有名な物語として、歌舞伎の十八番の一つ「鳴神」がある。その話では、志明院は竜神が封印された場所として登場する。さらに志明院は、司馬遼太郎が訪れて不思議な体験をした「物の怪の世界」でもある。

 日本の小説家、司馬遼太郎は若い頃から何度も訪れた志明院での夜の出来事をエッセイ、「「石楠花妖話」」で記している。一部引用すると以下のとおりだ。「寝につくや、三方の障子が不意にガタガタと鳴り出して、とても寝ていられない。地震でも突風でもないのに、障子だけが激しく音を立てて揺れるのである。障子を開けて縁側に出てみると、誰もいない。小首を歌かしげて寝床に戻ると、また鳴りだす。そのくり返しが続くので、たまらなくなって障子を開け放しておくと今度は屋根が鳴りだす。小童が屋根に登って四肢を踏んでいるように、ドスン…ドスン…と響くのである。姿を見た人は誰もいない。」この不思議な体験を宮崎駿に語り、それがあの有名な「もののけ姫」の制作に繋がった。この地をきっかけに生まれた「もののけ姫」の音楽もまた、日本的で京都らしい。

【京都らしい音楽】
 雅楽は、日本古来の儀式音楽や舞踊と、飛鳥時代から平安時代初めにかけての400年間あまりの間に、中国大陸や朝鮮半島から伝えられた音楽や舞が、平安時代に日本独自に変化し整理されたものである。その強烈な不協和音や楽器の音色から、私たちはどこか懐かしくも神々しさを感じる。それは今も昔も変わっておらず、「「源氏物語」」には、雅楽の音色は仏様の声そのものであるかのように聞こえると記されている。「入り方の日かげさやかにさしたるに、楽の声まさり、もののおもしろきほどに、同じ舞の足踏み、おももち、世に見えぬさまなり。詠などをしたまへるは、「これや、仏の御迦陵頻伽の声ならむ」と聞こゆ。」(源氏物語 第七帖 紅葉賀,紫式部)

 雅楽と、私たちが現在和風と感じる曲との関係性が気になり、私は「もののけ姫」の曲と比べてみた。私たちが1番よく知っているメジャースケールは「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」の7音で構成されている。これに対し雅楽は「ド・レ・ミ・ソ・ラ」の5音で構成されている。これをペンタトニックスケール(ヨナ抜き)という。「もののけ姫」の音楽のほとんどは5音を中心にメロディーが動いている。映画の音楽の演奏風景を見ればわかるが「もののけ姫」に和楽器はそれほど多くは使われていない。それなのに和風だと感じるのはこの5音が、雅楽の時代から受け継がれる日本の伝統音楽であるからではないだろうか。
 これがわかるのは劇中の曲「エボシ タタラうた」である。この曲のメロディーの中で5音以外の音を奏でるのはたったの2回だ。

 京都は、人の手の加わっていない自然や伝統ある生活様式が受け継がれてきた街だ。だから本来日本全国にあった音風景や音楽で、京都らしさを認識できるのだと思う。京都を歩くときは、電車の到着を知らせるメロディーや、お土産屋で流れる音楽、心地よい生活音に耳を傾けてみてほしい。そして、その伝統的な音を大切にしたいと思う人が増えてほしいと願う。

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