ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2020年春学期)
寺社と住民の関わりかたの今昔
曽部 皓大
(2018年度入学 鈴木ゼミ2期生)

 京都の好きなところと言われても、私は好きなところがあるほど京都についてよく知らない。そこで京都といえばで最初に挙がるであろう、寺社について書いていきたい。京都は観光客が年間5000万人以上訪れる場所であるため、外向けの寺社に関する情報は多くある。そこで視点を変え住んでいる人との関係について考えることとした。この理由は、京都市内には世界遺産に登録されている寺社が10以上ある。つまり家から一番近い寺社が世界遺産であることが考えられ京都在住でない私からすると考えられない。これは京都ならではあり、異なる関わりかたがあると思う。

<江戸時代以前の寺社との関わりかた>


 では昔の住民と寺社との関わりかたについて述べていく。だが京都だけに焦点を当てた資料、文献が見つけられなかったため、広く一般的な寺社の住民との関わりを基にしていきたいと思う。京都市内に宗教法人として登録されている神社は約300あり、京都に都ができ土地利用が進み、また人々の信仰も薄れ、神社の必要性も薄れてきていると思うが、京都では現代に至るまで地域住民に支えられてきた。関わりを表すものとして、神社には氏子制度がある。氏子というのは、ある神社の祭神を自分たちの地域の守り神として信仰する人たちのことで、氏という字の意味どおり血縁的集団であったが、時代の移り変わりにより、地縁的集団をさすようになった。現代でもこの制度はあるが氏子であるという自覚を持っている人や地縁的集団であることを意識している人は少ないと思う。氏子は年に一度の例大祭のような大きな祭祀の際、寄付や運営などで神社に奉仕する。この祭祀は全国的に知られているものからそうでないものまでたくさんある。祭祀は住民との深い関係があったことを示すもだが、現在ではその意義は薄れ、見せ物的な感覚が感じられる。また豊作や繁栄を祈願する神事も行われ、あらゆる願いごとをする場所であった。このように江戸時代以前は地縁的結合を強め、助け合うということを育む役割を神社は持ち、住民との関わりを持っていたと考えられる。
 寺にも檀家制度がある。檀家制度とは、寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうことを条件に結ばれた、寺と檀家の関係をいう。江戸時代においてはキリスト教禁教策の一つとしてすべての人をいずれかの寺の檀家にした。住民との関係は平等ではなく支配的な関係もあった。
 また寺は集会場的機能をもち、文化、情報、学問、教育の拠点でもあった。教育に焦点を当てると、奈良・平安時代では僧を教育する場であり、極めて専門的でいわば高等教育機関であった。鎌倉時代になると僧以外の人にも教育を行う寺が現れ、読み書きを伝授する初等教育機関の役割を持ち始めた。江戸時代には寺院が教育の中枢機関となり全国に広がった。このように字を読み書きできる人がいたことで祭祀が伝承され現在も続いている。

<現在の関わりかた>
 現代の寺社と住民との関わりであるが、氏子や檀家は今でもあるが数は減少し存続が厳しい。また寺の教育の役割も学校に変わり、集会場的機能、文化、情報、の拠点でもなくなってきた。現在の関わりかたは、初詣、祭祀・行事に参加する、法要などがあげられる。祭祀は京都に数多くあり現代でも生活の中に組み込まれている。だが多くの人は神社や寺を観光地として関わりを持っているのではないだろうか。御朱印集め、パワースポット、おみくじ、癒しなどを求め本来の信仰の場所ではなくなっている。これらはブームでありいつかは終わるのではないかと思う。

 寺社の住民との関わりについて調べていく中で江戸時代以前は深い関わりがあったが、現在では少なく変化している。だが住んでいる人との関わりがなければ寺社は存続していくことが難しい。京都に多くの祭祀があるのは、神社が地域住民に支えられているからであり、祭祀が無ければ神社は必要なくなるのではないだろうか。そうならないために観光地として関わるだけではなく、時代に応じた新しい関わりかたを見いだす必要がある。

参考資料
戸川安章編(2016)『仏教民俗学体系7 寺と地域社会』名著出版.
本田健一著(2015)『京都の神社と祭り』中公新書.
JTB総合研究所.2016.地域社会における神社・仏寺が目指す方向性<https://www.tourism.jp/tourism-database/column/2016/01/shrine-temple/

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