ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2020年春学期)
海の京都 伊根町川
岸上 克
(2018年度入学 鈴木ゼミ2期生)

 私は一度だけ伊根町を訪れた。家から数分ほどの距離に海がある場所に生まれ育ったからか、海の上のに並ぶ船屋はどこか懐かしくかった。特に、港を自由に飛ぶ海鳥や、爽やかな潮風に一瞬で惹き込まれた。この町を訪れてから興味が尽きない。残念ながら今は実際に行くことはできないが、可能な限り、伊根町について掘り下げていく。そのなかで伊根町について気付きがあれば良いと思う。

<特殊な舟屋の構造とその歴史>
 舟屋は伝統的建造物群保存地区に指定されており、伊根湾の周囲5kmに渡り立ち並んでいる。伊根湾の出入り口に青島ある。青島が防波堤の役割を果たし、年中穏やかで潮の干満の差も少ない。その特徴を活かし伊根町では漁業が発展した。
 舟屋の一階は船のガレージ、漁具の格納、収穫した魚の干し場、二階は居室や倉庫としても利用される。海と山に囲まれているため、居住空間を広げるためには横ではなく縦に伸びるような構造となった。
 道を挟んで母屋があるため、住民は海側と山側を行き来して生活を送っている。この構造は日本でも類を見ず、「日本で最も海に近い町」や、海に面して並ぶ家々の美しさから「日本のベネツィア」とも呼ばれる。
 明治時代に建てられた舟屋の一階。海から船を格納するために石敷きのスロープがあり、2mほど海水が入り込むようになっていて、直接海に船を出し漁へと出かける。しかし今では船が大きくなり舟屋の前に停泊されていることが多い。
 梁の上にもびっしりと木材や漁具が保管されている。舟屋の造りを見て、住民の暮らしと漁業は深く関わっていて、なくてはならないことがわかる。





伊根湾の豊富な海の幸
 先述の通り、伊根町は漁業が盛んだ。伊根湾は日本海側にありながら南に開ている希少な湾である。湾の南側にある青島のおかげで風の影響を受けにくく、湾外と比べても波は穏やか。そのため魚が集まりやすく、湾内には釣り場があり夏には多くの釣り客が多く集まる。
 伊根町には魚屋がないが、代わりに「浜売り」がある。朝7時ごろになると漁を終えた船が、伊根漁港に戻ってくる。すると、船の帰りを知らせる町内放送が流れ、近所の方々が集まってくる。浜売りでは水揚げされたばかりの旬な魚介類が取引される。その中から好きなものをバケツに入れて量り売りしてもらえる。
 港についた魚は、近所に住むお母さんたちによって素早く選別されトラックで市場に送られる。
 有名なのは、夏は岩牡蠣、冬は伊根ブリ。大腸菌の数値基準は10pグラム当たり230以下だが、伊根産岩ガキは大腸菌の数は100グラム当たり18未満と大きく下回る数値なので生食でも安心して食べられる。4年間かけて育てるので一個あたり300g~500gの身入りのいい岩牡蠣が収穫できる。水が汚いと3年以上の成長は困難なので伊根湾の水の綺麗さがわかる。牡蠣はエグミがなく、マイルドな口当たりと言われている。胃腸の弱い私も気にせず堪能できるだろう。次はきっと食べよう。
 伊根町は富山県氷見市、長崎県の五島列島に並び「日本三大鰤漁場」のひとつに数えられるほどで、水温が急激に下がる晩秋から冬にかけて、良質な脂がのったブリが水揚げされる。冬になると丹後地方ではブリを食べる習慣がある。冬にブリといえば「ぶりしゃぶ」だが、ぶりしゃぶは伊根町にある油屋さんが発祥のお宿と言われている。

<伊根町について思うこと>
 昔から生活様式が大きく変化していないからこそ懐かしさを感じたのだと思う。調べていくうちに、多くの魅力を知ることができた。しかし反面、伊根町の人口減少や高齢化は深刻で、空き家の増加や、伝統的な街並みをどう残すか、漁師の後継問題など課題が多いことも知った。訪れた誰もが伊根町に一目惚れする。これほど魅力にあふれた「マチ」に興味を持つ人が増えることを切に願う。

<写真引用>
一般社団法人 京都府北部地域連携都市圏振興社 HPより https://www.uminokyoto.jp/genryu/ine/index.html

<参考文献>
https://tabizine.jp/2018/04/10/181442/
https://tripeditor.com/341491
https://www.uminokyoto.jp/genryu/ine/index.html

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