ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2020年春学期)
鴨川周辺の景観と防災
山根 佑基
(2018年度入学 鈴木ゼミ2期生)

 私は京都の街並み、特に鴨川周辺の街並みが好きだ。そのきっかけは大学進学が決まり、下宿先を母と探しに来た時のことだ。御薗橋から見える賀茂川の風景を見て、母がボソリと「この景色見たら地元の川のこと思い出すんやで」と呟いた。田舎出身の私にとって鴨川周辺は市内の騒がしさを忘れ、地元を思い出せる特別な場所となった。鴨川周辺は京都市内の中でも特に自然と人の営みが調和している場所だと思う。日常の中で通勤や通学に使用する人もいれば、四季折々の風景を楽しみに訪れる人もいる。京都市内には観光名所が多々あれど、自然の中で人の営みが感じられる場所は珍しい。

 しかし、これほどまでに人と自然が調和した姿を保つのは容易なことではない。かつては大雨が降れば洪水を引き起こし、平安時代末期、院政を行ったことで知られる白河法皇に「賀茂川の水、双六の賽、山法師、これぞわが心にかなはぬもの(思うようにいかないもの)」とまで言わしめた。人と自然の距離が近いことは、それだけ自然災害のリスクも高まる。そこで、鴨川に関する防災の歴史を追うことで、いかに鴨川周辺の街並みの美しさが守られてきたかを考える。
 鴨川で大きな被害をもたらした水害の一つに昭和10年の鴨川大洪水がある。6月28日の深夜から29日の早朝にかけて梅雨前線に伴う集中豪雨が発生し、1日の雨量が269.9ミリを計測した。その間、1時間で40ミリ前後のいわゆる「バケツをひっくり返したような雨」が4回もあった。その結果、鴨川における死者12名、家屋流出が137棟、家屋の全半壊が158棟、床上床下浸水に至っては24,173棟の被害を出した。
 これを機に、翌年昭和11年から22年にかけて被害が大きかった鴨川の桂川合流地点から柊野堰堤までの約17.9キロメートルと高野川の出町柳付近から上流部約5.2キロメートルについて抜本的な河川改修が行われた。川の深さを全体的に2~3メートルほど掘削し河川の断面を拡げた。また、広い範囲で浸水が起こった下流の一部区間は流れを滑らかにするため流路が付替えられた。
 この河川改修の効果が見られたのが昭和34年8月13日から14日の水害である。1日の雨量が289.0ミリ、最大時間雨量は昭和10年の40ミリを優に越す60.0ミリだった。その結果、京都府全体で死者14名、行方不明者30名、家屋の被害は31,779戸に及んだ。しかしながら、鴨川において破堤や越水などは起こらなかった。
 近年においても鴨川の河川改修は行われている。昭和62年に京阪電車と琵琶湖疏水が地下化と合わせて河川拡幅が、平成4年から11年にかけて行われた。今では鴨川の名所となった三条~七条間の「花の回廊」は治水対策の一つであり、河川巡視や水防活動、災害復旧工事用の通路である河川管理用通路の機能を持っている。

 最後にこれからの治水対策について考える。近年では地球温暖化の影響を受け台風の被害が激甚化している。また、1時間に100ミリを超える局地的な集中豪雨が頻発している。これらの災害から美しい鴨川の風景と人々の営みを守るために、今まで行ってきたハード面の対策に加えて、ソフト面の対策も重視されている。防災におけるハード面とは堤防の強化などの河川改修を行うことで災害被害を減らすことである。一方、ソフト面は予め治水施設を点検することで被害軽減を図る水防活動や水害ハザードマップを作成することで人々に正しい情報の提供と発災時の適切な対応を促すことなどである。京都市では想定外の降水量に伴った洪水にも対応できる治水設備を整えるとともに、災害時に周辺地域の住民が自らの判断で避難行動を取れるよう情報提供に注力している。これらによって、私の大好きな美しい鴨川の自然と人の営みが今後も守られていくのだろう。
 今回鴨川とその美しさを守ってきた防災の歴史を調べた中で、二度と大きな被害は出すまいと様々な策を講じてきた人々の熱意、綺麗な自然と人々の営みが混ざり合う風景を後世にも残そうとする想い、これらが感じられたことがとても印象的だった。これからは大好きな鴨川の風景を防災という視点も加えて眺め、発信できる限りその魅力を伝えていきたい。

引用文献
京都府ホームページ 昭和10年の鴨川大洪水とその後の治水対策について http://www.pref.kyoto.jp/kasen/1172825060356.html
京都府ホームページ 千年の姿と鴨川治水 https://www.pref.kyoto.jp/kasen/documents/1174953635257.pdf

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