HISTORY
硬式野球部の創部
京滋大学野球連盟に加盟
総合グランド野球場の完成
関西六大学野球連盟に初昇格
延長戦21回0対0で勝敗つかず
連盟預かり試合
関西六大学復帰・関西の大学野球界再編成
無念の不戦敗
リーグ戦初優勝
全日本大学選手権初出場
中国遠征
春秋連覇
野球部のあゆみ
硬式野球部の創部
昭和40年本学創立。時を同じくして、こよなく野球を愛する者達が集まり硬式野球部が創部された。キャンパスの片隅のキャッチボールもままならない環境で練習が始まった。やがて、次年度新入生の受入れのために、新しい教室棟の建設工事が始まり、野球部は、その練習場所を失うことになった。その後は、宇治の黄檗球場、北区原谷グランド、東山高校山科グランドなど練習場所を求めて転々としていた。原谷グランドは御室仁和寺の側道から5分程登った山中にあった。山中のグランドだけに、水道設備がなく、真夏の炎天下でもグランドに水をまくこともできず、スパイクの底から熱が伝わってくるような厳しい環境下で、黙々と練習を繰り返した。練習後の喉の渇きを潤すのも、グランドの隅にある、わずかな涌き水を、ぼうふらを掻き分けながら両手ですくって飲んでいた。よく腹を壊さなかったと今になって懐かしく想う。
京滋大学野球連盟に加盟
大学野球部として自信がつくと、その活躍の場を求めて京滋大学野球連盟への加盟を申請した。京都大学に隣接する楽友会館で京滋大学野球連盟理事会が開催され、京都産業大学硬式野球部を受け入れるかどうかを審議された。その結果、創立間もない大学であること、野球部として確立されているのか、また、実力はどの程度なのかわからない、を理由に受入れ保留になった。京滋大学野球連盟加盟大学とのオープン戦の結果で判断するとの結論であった。その時は屈辱感を味わったが、オープン戦の結果、5戦全勝、昭和42年春季リーグ戦から加盟を承認された。
総合グランド野球場の完成
‐早・慶大学野球部を招聘してオープニング セレモニーが華やかに行われた‐
昭和43年夏、待望の野球場が完成した。両翼91メートル、バックスクリーンまでが115メートル、外野には緑の芝生が敷き詰められていた。内野の砂は、琵琶湖の白砂と、遠く九州阿蘇山の黒砂を混合した砂と聞いていた。大学施設としては贅沢なぐらいの野球場であった。当時、大学の野球部に対する期待の大きさを感じていた。
オープニングセレモニーとして、式典の後、早稲田大学・慶応義塾大学野球部を招聘して、早慶戦が行われ、続いて慶応義塾大学対京都産業大学の記念試合が行われた。
その後、本学創立10周年・20周年の記念行事のも慶応義塾大学野球部を招聘して記念試合が行われた。
▲
トップに戻る
関西六大学野球連盟に初昇格
昭和49年春季入れ替え戦で、関西学院大学に連勝して待望の関西六大学初昇格を果たした。その年の秋季リーグ戦初参戦で、5連敗の後、6連勝して勝ち点3で3位の成績であった。当時は、初参戦3位は関西六大学新記録で、その活躍に対して賞賛された。しかし、残念ながら翌年の春季リーグ戦最下位、入れ替え戦でも立命館大学に1勝の後連敗して、再び降格、京滋大学野球リーグで再スタートすることになった。
延長戦21回0対0で勝敗つかず
昭和50年京滋大学春季リーグ戦優勝、関西六大学入れ替え戦、対関西大学戦では21回0対0で勝敗つかず引き分け。両大学無失策の死闘が行われた。今も記録として残っている。
しかし、残念ながら再昇格果たせず。
連盟預かり試合
昭和51年春季リーグ戦において、終盤の優勝に関わる対龍谷大学戦、試合は最終回1点差、劣勢の京都産業大学の攻撃、ワンアウト満塁のチャンス、打者の打球は一塁ゴロ、捕球した一塁手は、先ず一塁ベースを踏み本塁へ送球、三塁走者ときわどいプレー、主審は一度アウトの宣告をしたが、京都産業大学側のノータッチとの抗議により、判定を覆しセーフに訂正した。これを不服とする龍谷大学は選手を引き上げた。連盟のその場の処置は連盟預かり試合とした。
その後の審議の結果、龍谷大学の放棄試合との裁定が下された。
▲
トップに戻る
関西六大学復帰・関西の大学野球界再編成
昭和56年秋季の関西六大学入れ替え戦に挑戦、皮肉にも関西六大学から降格を余儀なくされた立命館大学が対戦相手であった。結果は、2勝1敗で勝利し関西六大学復帰を果たしたが、その関西六大学野球連盟が分裂し、その煽りで関西の大学野球界の再編成が行われた。
それまでの関西六大学を頂点とするピラミッド型の縮図が崩れ、新しく組織された関西学生野球連盟を含めて五つの連盟が並列になった。
無念の不戦敗
−名神高速道路の事故による交通渋滞のために−
昭和58年秋季リーグ戦、初優勝に関わる大一番、対大阪商業大学戦(9月20日)、球場は万博球場、部員が自家用車に分乗して球場に向かう途中、名神高速道路は事故のために不通になった。国道に迂回したが、国道も大渋滞となり試合開始時間の10時30分に間に合わず遅刻した。
連盟の裁定は、野球規則により没収試合(京都産業大学の不戦敗)となった。
リーグ戦初優勝
大学創立20周年を迎えた昭和60年秋季リーグ戦において念願の関西六大学野球リーグ戦で初優勝を飾る。優勝決定はサヨナラ逆転ホームランと感極まる結末であった。ところが、優勝したその日が、阪神タイガースの20年ぶり優勝と重なり、翌日の新聞記事は小さいものであった。しかし、飲食店の記念セールに便乗し勝利の美酒はたっぷりいただけた。
▲
トップに戻る
全日本大学選手権初出場
平成4年春季リーグ戦において優勝。念願の全日本大学選手権に出場する。
1回戦は秋田経済大学と対戦する。延長15回に及ぶ熱戦であった。前の2試合が延長に及んだことから、試合開始が20時30分の開始であったこともあり試合終了は23時を回った。京都から応援に駆けつけていただいた方が、最終の新幹線に乗れるか乗れないかの時間であった。
勝利の余韻に浸るべきところ試合終了が深夜になったことから、選手達の夕食は、飲食店が閉店のためにコンビニエンスストアの弁当ですませた。
2回戦は東京六大学の明治大学と対戦、善戦するが力及ばず4対2で敗退。
中国遠征
平成7年夏、中国北京野球協会からの招待を受け、硬式野球部創部30年記念行事の一環として、中国遠征を行った。北京で4試合、上海で1試合を行い、戦績は1勝2敗2分け。
翌年の平成8年には、中国ナショナルチームを京都に招いて親善試合を行い、友好を深めた。試合の合間に中国チームの選手達は京都の名所観光を楽しんだ。
春秋連覇
平成14年関西六大学野球秋季リーグ戦、平成15年春季リーグ戦連続優勝を果たした。平成15年度全日本大学野球選手権大会に2回目の出場するも、1回戦で大学野球界の雄、東北福祉大学と対戦、エース森田投手の力投も報われず0対1で惜敗した。
秋春連覇完全優勝
平成16年関西六大学野球秋季リーグ戦、平成17年関西六大学野球春季リーグ戦で、勝ち点5の完全優勝で2連覇を果たした。エース平野は自身の最終シーズンで、シーズン最多奪三振98、通算36勝、奪三振404という連盟記録を残した
全日本大学野球選手権大会に3回目の出場。1回戦では、愛知学院大学に3対1で快勝。2回戦は、中央学院大学に力及ばず2対6で惜敗した。
全京都大学野球トーナメント大会2連覇
第17回、18回全京都大学野球トーナメント大会(平成21年、22年)で2連覇を果たす。どちらも佛教大学との接戦に勝利した。
▲
トップに戻る
京都産業大学硬式野球部のあゆみ
昭40年4月
硬式野球部創部、西出義心初代監督就任
昭41年4月
北井博監督就任(故人)
昭41年秋季
京滋大学野球連盟加盟・2部リーグ初出場初優勝・1部2部入替戦に勝利1部昇格
昭43年8月
総合グランド野球場完成、早稲田大学・慶応義塾大学硬式野球部を招聘し記念式典及び記念試合を行う
昭44年1月
田丸道夫監督就任
昭44年春季
京滋大学野球春季リーグ戦初優勝・関西六大学入替戦初挑戦するも敗戦昇格ならず。その後、京滋大学野球リーグ戦に7回優勝し入替戦に出場するも関西六大学野球連盟に昇格果たせず。
昭48年春季
関西六大学野球連盟へ昇格(対関西学院大学)
昭48年秋季
関西六大学野球リーグ戦3位・初昇格新記録
昭49年春季
関西六大学野球リーグ戦最下位・入替戦で敗戦(対立命館大学)、京滋大学野球連盟に降格
昭50年1月
原田守光監督就任 昭和50年春季から昭和56年春季リーグ戦の間、京滋大学リーグ戦に8回優勝し関西六大学入替戦に出場するもいずれも敗退し復帰果たせず。
昭50年春季
関西六大学入替戦(対関西大学)
21回 0対0 勝敗つかず
昭51年春季
京滋大学野球連盟預り試合(対龍谷大学)
昭51年8月
慶応義塾大学硬式野球部を招聘して本学創立10周年記念試合を行う・於本学野球場
昭56年秋季
関西六大学連盟へ昇格(復帰)(対立命館大学)
この年、関西の大学野球連盟の改組により五つの連盟に分かれる。本学は、新生の関西六大学野球連盟に加盟する。
昭58年秋季
無念の不戦敗−名神高速道路の事故による交通渋滞−
昭60年8月
慶応義塾大学硬式野球部を招聘して本学創立20周年記念試合を行う・於皇子山球場
昭60年秋季
関西六大学野球リーグ戦初優勝
昭63年1月
今村良平監督就任
平 2年秋季
関西六大学野球リーグ戦優勝(2回目)
平 4年春季
関西六大学野球リーグ戦優勝(3回目)・全日本大学野球選手権大会初出場(神宮球場)・2回戦対明治大学に敗戦
平 6年8月
全京都大学野球トーナメント大会(第2回)初優勝
平 7年8月
中国(北京)遠征・北京ナショナルチームと親善試合を行う。
平 8年8月
中国北京ナショナルチームを招聘・親善試合を行う。
平 9年1月
石田雅紹監督就任
平12年1月
原田守光監督再就任
平13年8月
勝村法彦監督就任 全京都大学トーナメント大会優勝(2回目)
平14年秋季
関西六大学秋季リーグ戦優勝(4回目)
平15年春季
関西六大学春季リーグ戦優勝(5回目)・全日本大学球選手権大会出場(2回目)1回戦 対東北福祉大学1対0惜敗
平 16年秋季
関西六大学秋季リーグ戦優勝 勝ち点5 完全優勝(3季ぶり6回目)
平 17年春季
関西六大学春季リーグ戦優勝 勝ち点5 完全優勝(2季連続7回目)
全日本大学野球選手権出場(3回目)
1回戦 対 愛知学院大学 3−1勝利
2回戦 対 中央学院大学 2−6惜敗
平 21年8月
全京都大学野球トーナメント大会 優勝(3回目)
平 22年8月
全京都大学野球トーナメント大会 優勝(4回目)
▲
トップに戻る
京都産業大学体育会硬式野球部
〒603-8002 京都府京都市北区上賀茂神山1-90 賀茂川寮
TEL: 075-711-3012 FAX: 075-711-3040