津地鎮祭訴訟
上告審判決

行政処分取消等請求事件
最高裁判所 昭和46年(行ツ)第69号
昭和52年7月13日 大法廷 判決

【上告人】被控訴人 被告 角永清
         代理人 堀家嘉郎 外4名

【被上告人】控訴人 原告 関口精一
         代理人 松浦基之 外12名
【補助参加人】      西岡宏  外10名
         代理人 更田義彦 外2名

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部高顕、同環昌一の反対意見
■ 裁判官藤林益三の追加反対意見

■ 上告代理人堀家嘉郎の上告理由
■ 上告代理人奥野健一、同田辺恒貞、同早瀬川武の上告理由
■ 上告代理人樋口恒通の上告理由


 原判決中上告人敗訴部分を破棄する。
 前項の部分につき、被上告人の控訴を棄却する。
 控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

[1] 本件訴状の記載に徴すれば、本訴は上告人である角永清個人を被告として提起されたものと認められるから、本訴が津市長を被告として提起されたことを前提とする所論は、その前提を欠き、失当である。論旨は、採用することができない。
[2] 本件記録に徴すれば、被上告人が本訴を提起するについて必要とされる監査請求を経ていることは、明らかである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
[3] 公金の支出が違法となるのは単にその支出自体が憲法89条に違反する場合だけではなく、その支出の原因となる行為が憲法20条3項に違反し許されない場合の支出もまた、違法となることが明らかである。所論は、本件公金の支出が憲法89条に違反する場合にのみ違法となることを前提とするものであつて、失当である。論旨は、採用することができない。
一 本件の経過

[4](一) 本件は、津市体育館の起工式(以下「本件起工式」という。)が、地方公共団体である津市の主催により、同市の職員が進行係となつて、昭和40年1月14日、同市船頭町の建設現場において、宗教法人大市神社の宮司ら4名の神職主宰のもとに神式に則り挙行され、上告人が、同市市長として、その挙式費用金7,663円(神職に対する報償費金4,000円、供物料金3,663円)を市の公金から支出したことにつき、その適法性が争われたものである。

[5](二) 第一審は、本件起工式は、古来地鎮祭の名のもとに行われてきた儀式と同様のものであり、外見上神道の宗教的行事に属することは否定しえないが、その実態をみれば習俗的行事であつて、神道の布教、宣伝を目的とした宗教的活動ではないから、憲法20条3項に違反するものではなく、また、本件起工式の挙式費用の支出も特定の宗教団体を援助する目的をもつてされたものとはいえず、特に神職に対する金4,000円の支出は単に役務に対する報酬の意味を有するにすぎないから、憲法89条、地方自治法138条の2に違反するものではない、と判断した。
[6] これに対し、原審は、本件起工式は、単なる社会的儀礼ないし習俗的行事とみることはできず、神社神道固有の宗教儀式というべきところ、憲法は、完全な政教分離原則を採用して国家と宗教との明確な分離を意図し、国家の非宗教性を宣明したものであるから、憲法20条3項の禁止する宗教的活動とは、単に特定の宗教の布教、教化、宣伝等を目的とする積極的行為のみならず、同条2項の掲げる宗教上の行為、祝典、儀式又は行事を含む、およそ宗教的信仰の表現である一切の行為を網羅するものと解すべきであるとし、本件起工式は、憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当し許されないものであり、したがつて、これがため上告人が市長としてした公金の支出もまた違法なものである、と判断した。

[7](三) 論旨は、要するに、本件起工式は、古来地鎮祭の名のもとに社会の一般的慣行として是認され、実施されてきた習俗的行事にほかならず、憲法20条3項の禁止する宗教的活動には該当しないものであるのに、これに該当するものとした原判決は、本件起工式の性質及び政教分離原則の意義についての判断を誤り、ひいて憲法20条の解釈適用を誤る違法をおかしたものであつて、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

二 当裁判所の判断

(一) 憲法における政教分離原則
[8] 憲法は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」(20条1項前段)とし、また「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」(同条2項)として、いわゆる狭義の信教の自由を保障する規定を設ける一方、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」(同条1項後段)、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」(同条3項)とし、更に「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、…………これを支出し、又はその利用に供してはならない。」(89条)として、いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(以下「政教分離規定」という。)を設けている。
[9] 一般に、政教分離原則とは、およそ宗教や信仰の問題は、もともと政治的次元を超えた個人の内心にかかわることがらであるから、世俗的権力である国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)は、これを公権力の彼方におき、宗教そのものに干渉すべきではないとする、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされている。もとより、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によつて異なるものがある。わが国では、過去において、大日本帝国憲法(以下「旧憲法」という。)に信教の自由を保障する規定(28条)を設けていたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の制限を伴つていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対しきびしい迫害が加えられた等のこともあつて、旧憲法のもとにおける信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかつた。しかしながら、このような事態は、第二次大戦の終了とともに一変し、昭和20年12月15日、連合国最高司令官総司令部から政府にあてて、いわゆる神道指令(「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)が発せられ、これにより神社神道は一宗教として他のすべての宗教と全く同一の法的基礎に立つものとされると同時に、神道を含む一切の宗教を国家から分離するための具体的措置が明示された。昭和21年11月3日公布された憲法は、明治維新以降国家と神道とが密接に結びつき前記のような種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、更にその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至つたのである。元来、わが国においては、キリスト教諸国や回教諸国等と異なり、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであつて、このような宗教事情のもとで信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結びつきをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であつた。これらの諸点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるにあたり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたもの、と解すべきである。
[10] しかしながら、元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であつて、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。ところが、宗教は、信仰という個人の内心的な事象としての側面を有するにとどまらず、同時に極めて多方面にわたる外部的な社会事象としての側面を伴うのが常であつて、この側面においては、教育、福祉、文化、民俗風習など広汎な場面で社会生活と接触することになり、そのことからくる当然の帰結として、国家が、社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するにあたつて、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れえないこととなる。したがつて、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。更にまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえつて社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないのであつて、例えば、特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成をしたり、文化財である神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のため国が宗教団体に補助金を支出したりすることも疑問とされるに至り、それが許されないということになれば、そこには、宗教との関係があることによる不利益な取扱い、すなわち宗教による差別が生ずることになりかねず、また例えば、刑務所等における教誨活動も、それがなんらかの宗教的色彩を帯びる限り一切許されないということになれば、かえつて受刑者の信教の自由は著しく制約される結果を招くことにもなりかねないのである。これらの点にかんがみると、政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いをもたざるをえないことを前提としたうえで、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが、問題とならざるをえないのである。右のような見地から考えると、わが憲法の前記政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが右の諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。

(二) 憲法20条3項により禁止される宗教的活動
[11] 憲法20条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定するが、ここにいう宗教的活動とは、前述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであつて、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。その典型的なものは、同項に例示される宗教教育のような宗教の布教、教化、宣伝等の活動であるが、そのほか宗教上の祝典、儀式、行事等であつても、その目的、効果が前記のようなものである限り、当然、これに含まれる。そして、この点から、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するにあたつては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則つたものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて、客観的に判断しなければならない。
[12] なお、憲法20条2項の規定と同条3項の規定との関係を考えるのに、両者はともに広義の信教の自由に関する規定ではあるが、2項の規定は、何人も参加することを欲しない宗教上の行為等に参加を強制されることはないという、多数者によつても奪うことのできない狭義の信教の自由を直接保障する規定であるのに対し、3項の規定は、直接には、国及びその機関が行うことのできない行為の範囲を定めて国家と宗教との分離を制度として保障し、もつて間接的に信教の自由を保障しようとする規定であつて、前述のように、後者の保障にはおのずから限界があり、そして、その限界は、社会生活上における国家と宗教とのかかわり合いの問題である以上、それを考えるうえでは、当然に一般人の見解を考慮に入れなければならないものである。右のように、両者の規定は、それぞれ目的、趣旨、保障の対象、範囲を異にするものであるから、2項の宗教上の行為等と3項の宗教的活動とのとらえ方は、その視点を異にするものというべきであり、2項の宗教上の行為等は、必ずしもすべて3項の宗教的活動に含まれるという関係にあるものではなく、たとえ3項の宗教的活動に含まれないとされる宗教上の祝典、儀式、行事等であつても、宗教的信条に反するとしてこれに参加を拒否する者に対し国家が参加を強制すれば、右の者の信教の自由を侵害し、2項に違反することとなるのはいうまでもない。それ故、憲法20条3項により禁止される宗教的活動について前記のように解したからといつて、直ちに、宗教的少数者の信教の自由を侵害するおそれが生ずることにはならないのである。

(三) 本件起工式の性質
[13] そこで、右の見地に立つて、本件起工式が憲法20条3項によつて禁止される宗教的活動にあたるかどうかについて検討する。
[14] 本件起工式は、原審の説示するところによつてみれば、建物の建築の着工にあたり、土地の平安堅固、工事の無事安全を祈願する儀式として行われたことが明らかであるが、その儀式の方式は、原審が確定した事実に徴すれば、専門の宗教家である神職が、所定の服装で、神社神道固有の祭式に則り、一定の祭場を設け一定の祭具を使用して行つたというのであり、また、これを主宰した神職自身も宗教的信仰心に基づいてこれを執行したものと考えられるから、それが宗教とかかわり合いをもつものであることは、否定することができない。
[15] しかしながら、古来建物等の建築の着工にあたり地鎮祭等の名のもとに行われてきた土地の平安堅固、工事の無事安全等を祈願する儀式、すなわち起工式は、土地の神を鎮め祭るという宗教的な起源をもつ儀式であつたが、時代の推移とともに、その宗教的な意義が次第に稀薄化してきていることは、疑いのないところである。一般に、建物等の建築の着工にあたり、工事の無事安全等を祈願する儀式を行うこと自体は、「祈る」という行為を含むものであるとしても、今日においては、もはや宗教的意義がほとんど認められなくなつた建築上の儀礼と化し、その儀式が、たとえ既存の宗教において定められた方式をかりて行われる場合でも、それが長年月にわたつて広く行われてきた方式の範囲を出ないものである限り、一般人の意識においては、起工式にさしたる宗教的意義を認めず、建築着工に際しての慣習化した社会的儀礼として、世俗的な行事と評価しているものと考えられる。本件起工式は、神社神道固有の祭祀儀礼に則つて行われたものであるが、かかる儀式は、国民一般の間にすでに長年月にわたり広く行われてきた方式の範囲を出ないものであるから、一般人及びこれを主催した津市の市長以下の関係者の意識においては、これを世俗的行事と評価し、これにさしたる宗教的意識を認めなかつたものと考えられる。
[16] また、現実の一般的な慣行としては、建築着工にあたり建築主の主催又は臨席のもとに本件のような儀式をとり入れた起工式を行うことは、特に工事の無事安全等を願う工事関係者にとつては、欠くことのできない行事とされているのであり、このことと前記のような一般人の意識に徴すれば、建築主が一般の慣習に従い起工式を行うのは、工事の円滑な進行をはかるため工事関係者の要請に応じ建築着工に際しての慣習化した社会的儀礼を行うという極めて世俗的な目的によるものであると考えられるのであつて、特段の事情のない本件起工式についても、主催者の津市の市長以下の関係者が右のような一般の建築主の目的と異なるものをもつていたとは認められない。
[17] 元来、わが国においては、多くの国民は、地域社会の一員としては神道を、個人としては仏教を信仰するなどし、冠婚葬祭に際しても異なる宗教を使いわけてさしたる矛盾を感ずることがないというような宗教意識の雑居性が認められ、国民一般の宗教的関心度は必ずしも高いものとはいいがたい。他方、神社神道自体については、祭祀儀礼に専念し、他の宗教にみられる積極的な布教・伝道のような対外活動がほとんど行われることがないという特色がみられる。このような事情と前記のような起工式に対する一般人の意識に徴すれば、建築工事現場において、たとえ専門の宗教家である神職により神社神道固有の祭祀儀礼に則つて、起工式が行われたとしても、それが参列者及び一般人の宗教的関心を特に高めることとなるものとは考えられず、これにより神道を援助、助長、促進するような効果をもたらすことになるものとも認められない。そして、このことは、国家が主催して、私人と同様の立場で、本件のような儀式による起工式を行つた場合においても、異なるものではなく、そのために、国家と神社神道との間に特別に密接な関係が生じ、ひいては、神道が再び国教的な地位をえたり、あるいは信教の自由がおびやかされたりするような結果を招くものとは、とうてい考えられないのである。
[18] 以上の諸事情を総合的に考慮して判断すれば、本件起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法20条3項により禁止される宗教的活動にはあたらないと解するのが、相当である。

(四) むすび
[19]右に判示したところと異なる原審の判断は、結局、憲法20条3項の解釈適用を誤つたものというべく、右の違法は、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであり、論旨は理由がある。
[20] 以上の次第で、原判決中上告人敗訴部分は、破棄を免れない。そこで、更に、右部分について判断するに、前述したところによれば、本件起工式は、なんら憲法20条3項に違反するものではなく、また、宗教団体に特権を与えるものともいえないから、同条1項後段にも違反しないというべきである。更に、右起工式の挙式費用の支出も、前述のような本件起工式の目的、効果及び支出金の性質、額等から考えると、特定の宗教組織又は宗教団体に対する財政援助的な支出とはいえないから、憲法89条に違反するものではなく、地方自治法2条15項、138条の2にも違反するものではない。したがつて、右支出が違法であることを前提とする上告人に対する被上告人の請求は理由がなく、棄却されるべきものである。それ故、これと同旨の第一審判決は相当であり、前記部分に関する本件控訴は棄却されるべきものである。
[21] よつて、行政事件訴訟法7条、民訴法408条、396条、384条に従い、訴訟費用の負担につき同法96条、89条を適用し、裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部高顕、同環昌一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。


 裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部高顕、同環昌一の反対意見(裁判官藤林益三については、本反対意見のほか、後記のような追加反対意見がある。)は、次のとおりである。
[1] 信教の自由は、近代における人間の精神的自由の確立の母胎となり、自由権の先駆的な役割を果たし、その中核を形成した重要な基本的人権であり、現代の各国の憲法において、精神生活の基本原則として、普遍的に保障されているものである。わが憲法も、20条1項前段において「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」と規定して信教の自由を無条件で保障するとともに、同項後段において宗教団体に対する特権の付与及び宗教団体の政治権力の行使の禁止を、2項において宗教上の行為等に対する参加の強制の禁止を、3項において国及びその機関の宗教的活動の禁止を、また、89条において宗教上の組織・団体に対する財政援助の禁止をそれぞれ規定し、あらゆる角度から信教の自由を完全に保障しようとしている。
[2] そもそも信教の自由を保障するにあたつては、単に無条件でこれを保障する旨を宣明するだけでは不十分であり、これを完全なものとするためには、何よりも先ず国家と宗教との結びつきを一切排除することが不可欠である。けだし、国家と宗教とが結びつくときは、国家が宗教の介入を受け又は宗教に介入する事態を生じ、ひいては、それと相容れない宗教が抑圧され信教の自由が侵害されるに至るおそれが極めて強いからである。このことは、わが国における明治維新以降の歴史に照らしても明らかなところである。
[3] すなわち、明治元年(1868年)、新政府は、祭政一致を布告し、神祇官を再興し、全国の神社・神職を新政府の直接支配下に組み入れる神道国教化の構想を明示したうえ、一連のいわゆる神仏判然令をもつて神仏分離を命じ、神道を純化・独立させ、仏教に打撃を与え、他方、キリスト教に対しては、幕府の方針をほとんどそのまま受け継ぎ、これを禁圧した。明治3年(1870年)、大教宣布の詔によつて神ながらの道が宣布され、同5年(1872年)、教部省は、教導職に対し三条の教則(「第1条 敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事 第2条 天理人道ヲ明ニスヘキ事 第3条 皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事」)を達し、天皇崇拝と神社信仰を主軸とする宗教的政治思想の基本を示し、これにより、国民を教化しようとした。また、明治4年(1871年)、政府は、神社は国家の宗祀であり一人一家の私有にすべきでないとし(太政官布告第234号)、更に、「官社以下定額及神官職員規則等」(太政官布告第235号)により、伊勢神宮を別として、神社を官社(官幣社、国幣社)、諸社(府社、藩社、県社、郷社)に分ける社格制度を定め、神職には官公吏の地位を与えて、他の宗教と異なる特権的地位を認めた。明治8年(1875年)、政府は、神仏各宗合同の布教を差し止め各自布教するよう達し、神仏各宗に信仰の自由を容認する旨を口達しながら、明治15年(1882年)、神官の教導職の兼補を廃し葬儀に関与しないものとする旨の達(内務省達乙第4号、丁第1号)を発し、神社神道を祭祀に専念させることによつて宗教でないとする建前をとり、これを事実上国教化する国家神道の体制を固めた。明治22年(1889年)、旧憲法が発布され、その28条は信教の自由を保障していたものの、その保障は、「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という制限を伴つていたばかりでなく、法制上は国教が存在せず各宗教間の平等が認められていたにもかかわらず、上述のようにすでにその時までに、事実上神社神道を国教的取扱いにした国家神道の体制が確立しており、神社を崇奉敬戴すべきは国民の義務であるとされていたために、極めて不完全なものであることを免れなかつた。更に、明治39年法律第24号「官国幣社経費ニ関スル法律」により、官国幣社の経費を国庫の負担とすることが、また、同年勅令第96号「府県社以下神社ノ神饌幣帛料供進ニ関スル件」により、府県社以下の神社の神饌幣帛料を地方公共団体の負担とすることが定められ、ここに神社は国又は地方公共団体と財政的にも完全に結びつくに至つた。このようにして、昭和20年(1945年)の敗戦に至るまで、神社神道は事実上国教的地位を保持した。その間に、大本教、ひとのみち教団、創価教育学会、日本基督教団などは、厳しい取締・禁圧を受け、各宗教は国家神道を中心とする国体観念と矛盾しない限度でその地位を認められたにすぎなかつた。そして、神社参拝等が事実上強制され、旧憲法で保障された信教の自由は著しく侵害されたばかりでなく、国家神道は、いわゆる軍国主義の精神的基盤ともなつていた。そこで、昭和20年(1945年)12月15日、連合国最高司令官総司令部は、日本政府にあてて、いわゆる神道指令(「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)を発し、これにより、国家と神社神道との完全な分離が命ぜられ、神社神道は一宗教として他の一切の宗教と同じ法的基礎のうえに立つこと、そのために、神道を含むあらゆる宗教を国家から分離すること、神道に対する国家、官公吏の特別な保護監督の停止、神道及び神社に対する公けの財政援助の停止、神棚その他国家神道の物的象徴となるものの公的施設における設置の禁止及び撤去等の具体的措置が明示された。
[4] 憲法は、信教の自由が重要な基本的人権であり、その保障のためには国家と宗教との分離が不可欠であるにもかかわらず、前述のように旧憲法のもとにおいては、信教の自由の保障が不完全であり、国家と神道との結びつきにより種々の弊害が生じたにがい経験にかんがみ、神道指令の思想をも取り入れ、20条1項前段において信教の自由を無条件で保障するとともに、その保障を完全にするために前記の諸規定を設けるに至たつものと考えられる。
[5] 以上の点にかんがみると、憲法20条1項後段、同条3項及び89条に具現された政教分離原則は、国家と宗教との徹底的な分離、すなわち、国家と宗教とはそれぞれ独立して相互に結びつくべきではなく、国家は宗教の介入を受けずまた宗教に介入すべきではないという国家の非宗教性を意味するものと解すべきである。
[6] 多数意見は、国家と宗教との完全な分離は理想にすぎずその実現は実際上不可能であり、政教分離原則を完全に貫こうとすればかえつて社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないから、政教分離規定の保障による国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があり、わが憲法における政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いがわが国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないものであるとし、その意義を限定的に解しようとするのである。しかしながら、多数意見のいう国家と宗教とのかかわり合いとはどのような趣旨であるのか必ずしも明確でないばかりでなく、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものと認められる場合とはどのような場合であるのかもあいまいであつて、政教分離原則を多数意見のように解すると、国家と宗教との結びつきを容易に許し、ひいては信教の自由の保障そのものをゆるがすこととなりかねないという危惧をわれわれは抱かざるをえないのである。なお、われわれのような国家と宗教との徹底的な分離という立場においても、多数意見が政教分離原則を完全に貫こうとすれば社会の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないとして挙げる例のごときは、平等の原則等憲法上の要請に基づいて許される場合にあたると解されるから、なんら不合理な事態は生じないのである。
[7] 憲法20条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定するが、上述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、ここにいう宗教的活動には、宗教の教義の宣布、信者の教化育成等の活動はもちろんのこと、宗教上の祝典、儀式、行事等を行うこともそれ自体で当然に含まれるものと解すべきであつて、多数意見のようにこれを限定して解すべきものではない。けだし、宗教上の祝典、儀式、行事等は宗教的信仰心の表白の形式であり、国又はその機関が主催してこれらを行うことは、多数意見のようにその及ぼす具体的な効果のいかんを問うまでもなく、前述の政教分離原則の意味する国家の非宗教性と相容れないことは明らかであるからである。もつとも、一応宗教的活動にあたると認められるようなものであつても、国若しくはその機関がこれを行わなければかえつて国民の信教の自由が制約される結果となるとき又は平等の原則等憲法上の要請に基づいて行われるときには、許される場合があることを否定するものではない。
[8] 右のような見地に立つても、元来は宗教に起源を有する儀式、行事であつても時代の推移とともにその宗教性が稀薄化し今日において完全にその宗教的意義・色彩を喪失した非宗教的な習俗的行事は、憲法20条3項により禁止される宗教的活動にあたらないというべきであるが、他方、習俗的行事化しているものであつてもなお宗教性があると認められる宗教的な習俗的行事は、右規定により禁止される宗教的活動に当然含まれると解すべきである。(なお、右のような非宗教的な習俗的行事にあたるかどうかの判断は、本来、右規定の解釈適用の問題であるから、原判決のいうような民俗学上にいう習俗の要件を充足しているかどうかによつて判断すべきものではない。)
[9] 右の見地に立つて、本件起工式が憲法20条3項によつて禁止される宗教的活動にあたるかどうかについて検討する。

[10](一) 本件起工式について、原審が確定した事実は、おおよそ次のとおりである。
[11](1) 本件起工式の式場には、天幕が2つ張られ、手前の天幕の下には参列者用の椅子が並べられ、奥の天幕は、周囲に紅白の幔幕を張り、4隅に笹竹(斎竹)を立て、3方に注連縄が引きめぐらされて祭場が設けてあつた。そして、右祭場の奥正面には榊(神籬)をのせた白木の机の祭壇を設け、その前面に青物等の供物(神饌)をのせた三方がおかれ、祭壇に向つて左手前の机には玉串が、また右手前の机には榊、鎌、鍬の祭具がのせてあつた。更に左手前には枯草を植えた盛砂があり、その前方に起工式の式次第が掲示されていた。
[12](2) 参列者は、それぞれ式場入口で市職員より奉書で柄をまき水引をかけた柄杓で手に水をそそがれ、身を清めるいわゆる「手水の儀」(神道における最小限度の禊の意味)をしたのち、式場に入つた。
[13](3) 本件起工式は、津市職員の伊藤義春を進行係とし、当日午前10時から開始されたが、土地の氏神にあたる宗教法人大市神社の宮司宮崎吉脩が斎主、その他の3名の神職が斎員となり、いずれも所定の服装で、神社所有の祭具を用いて、次の神事が行われた。
 修祓の儀(神職が参列者一同の前に進み出て榊の枝を打ち振り、一同の罪穢をはらいのける儀式)、
 降神の儀(神職が祭壇の前へ出て礼拝し、祭壇の神籬に大地主神及び産土神である大市比売命等の神霊を招き降す儀式)、
 献饌の儀(神職が神饌である青物等の供物を供える儀式)、
 祝詞奏上(斎主が祭壇の前へ進み出て神霊に対し本件工事の無事安全を祈願する祝詞を読み上げる儀式)、
 清祓の儀(敷地をはらい散供を行う儀式)、
 刈初めの儀(市長が盛砂の上に植えてある枯草を鎌で刈る動作をし、荒地を切り開く儀式)、
 鍬入れの儀(工事責任者が盛砂に鍬を入れて荒地を平にする儀式)、
 玉串奏奠(市長、市議会議長らが順次祭壇の前に進み出て神職から渡された榊の枝(玉串)を奉つて拍手拝礼する儀式)、
 撤饌の儀(神饌を撤する儀式)、
 昇神の儀(神々に天に帰つてもらう儀式)
[14] そして、参列者一同拝礼して、午前10時45分ころ、滞りなく儀式を終え、しかるのち、あらかじめ西隣りに設けられた祝賀会用天幕へ行つて祝宴(神道では直会という。)をした。

[15](二) 右事実によれば、本件起工式は、神職が主宰し神社神道固有の祭式に則つて行われた儀式であつて、それが宗教上の儀式であることは明らかである。もつとも、一般に起工式そのものは名称はともかくとして古くから行われてきており、時代の推移とともに多分に習俗的行事化している側面のあることは否定することができないが、本件起工式自体は、前記の事実に徴すれば、極めて宗教的色彩の濃いものというべきであつて、これを非宗教的な習俗的行事ということはとうていできない。しかも、多数意見のようにその具体的な効果について考えてみても、地方公共団体が主催して右のような儀式を行うことは、地方公共団体が神社神道を優遇しこれを援助する結果となるものであることはいうまでもないところであつて、かような活動を極めて些細な事柄として放置すれば、地方公共団体と神社神道との間に密接な関係が生ずるおそれのあることは否定することができないのである。多数意見は、本件起工式を宗教とかかわり合いがあるものとしその宗教性を否定はしないものと考えられるが、その宗教的意義を軽視し、しかもその効果を過小に評価しようとするものであつて、その説くところに、われわれは、とうてい賛同することができない。われわれの見解によれば、本件起工式は、明らかに、憲法20条3項にいう宗教的活動にあたるものというべきである。しかも、本件起工式が許されるものとすべき前述の事由は全く認められない。よつて、本件起工式は、憲法20条3項に違反し許されないものといわなければならない。
[16] 以上の次第で、本件起工式は憲法20条3項に違反するというべきであり、これと同旨の原審の判断は正当であるから、本件上告は棄却されるべきものである。


 裁判官藤林益三の追加反対意見は、次のとおりである。
[1] 信教の自由は、近世民主主義国家の一大原則であつて、これは数世紀にわたる政治的及び学問的闘争の結果、かちえた寛容の精神の結晶である。政教分離原則は、信教の自由の確立の歴史の過程で、その保障に不可欠の前提をなすものと考えられるに至つているが、次の2つの主要点を含む。
(一) 国家は、いかなる宗教に対しても、特別の財政的もしくは制度的援助を与えず、又は特別の制限を加えない。すなわち国家は、すべての宗教に対して、同一にして中立的な態度をとるべきである。
(二) 国家は、国民各自がいかなる宗教を信ずるかについて、何らの干渉を加えるべきではない。信教は、各個人の自由に放任されるべきものであり、宗教を信ずるや否や、信ずるとすればいかなる宗教を選ぶかは、国民各自の私事である。
[2] この原則の確立により国家の特定宗教への結びつきは原則的に否定せられ、国家は世俗的なもののみに関与すべきものとされるに至つたのであるが、これによつて、国家と宗教の問題が全く消滅したのではない。けだし、すべての国家は、その存立の精神的又は観念的基礎をもつ以上、宗教もまた人類の精神の所産であるから、国家は、信教自由の原則を認めると同時に、国家自身が、宗教に対して無関心、無感覚であつてはならない。信教自由の原則は、国家の宗教に対する冷淡の標識ではなく、かえつて宗教尊重の結果でなければならない。
[3] 国家の存立は、真理に基づかねばならず、真理は擁護せられなければならない。しかしながら、何が真理であるかを決定するものは国家ではなく、また国民でもない。いかに民主主義の時代にあつても、国民の投票による多数決をもつて真理が決定せられるとは誰も考えないであろう。真理を決定するものは、真理それ自体であり、それは歴史を通して、すなわち人類の長い経験を通して証明せられる。真理は、自証性をもつ。しかし、自ら真理であると主張するだけでは、その真理性は確立せられない。それは、歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである。宗教に関しても、真理は自証性を有するものであるといわなければならない。したがつて、真の宗教は、国家その他の世俗の力によつて支持されることなくして立つべきものであり、かつ、立つことが可能なのである。そして宗教は、その独立性こそが尊重せられるべきである。
[4] 国家神道又は神社神道に関する連合国最高司令官総司令部からのいわゆる神道指令は、3つの重要な点を含んでいる。そして、これが憲法20条の基礎をなしているのである。
(一) 神社を宗教と認めたことである。これが日本国民の国民的感情に完全に合致するや否やは、若干疑問の余地がないではない。神社は、宗教として思想的体系が貧弱であり、むしろ素朴な民族的生活感情の表現たる点が多いからである。しかし、神社の行事並びに神職の行為には、宗教的行事と認められるものがあり、これが本件の問題である。
(二) 神社を宗教と認める以上、これに国家の行政的もしくは財政的保護を与えることは、政教分離の原則上不当であるとして、これが廃止を命令されたことである。
(三) このように国家より分離された神社を、宗教として信仰することは、国民の自由であるとされたことである。
[5] 明治維新後、政府は、新日本を建設するに当たり、制度及び文化は西洋より輸入したが精神的根底としては日本古来の神ながらの道によることとし、この跛行的状態をもつて日本の近代化運動を開始した。かくして、事実上神社神道に国教的地位を認めながら、ただ国際的及び国内的の都合から、信教自由の原則に抵触させないために、神社は宗教に非ずとの解釈を下したのである。それ以来、日本の政治及び教育は、この線に沿つて行われた。自己の信ずる宗教の何であるかを問わず、国務大臣は新任に際して伊勢神宮に参拝することが慣例とせられ、地方官は官国幣社の大祭に奉幣使として参拝を命ぜられ、学校生徒は教師に引率されて集団的に神社に参拝し、地方住民は神社の氏子として祭礼に寄附を求められた。これらのことが慣行として一般に平穏に行われたことには、次の理由があつた。
(一) 神社の宗教性が素朴であつたことである。神社神道には組織的な神学がなく、その神観は原始的であり、超自然的、奇蹟的要素がほとんどなかつた。すべてが概して自然的であり、かつ、人間的であつた。このように、神社の宗教性が素朴であることが、神社参拝を信教自由の原則に抵触しないものとして、一般国民に安易に受けいれさせたのである。
(二) 日本の仏教は、理論的にも生活的にも神社と対立闘争することが少なく、むしろこれと協調し合流して、併立的に共存して来たという歴史的事実がある。すなわち日本の神々は、仏教諸仏の化身であるという本地垂迹説が唱えられて、日本の神々と仏教諸仏との調和・一致・併存が理論づけられ、仏寺の境内には鎮護の神社を祭るものもあり、日本国民の大部分は仏教信者であると同時に神社の氏子であつた。すなわち個人としては仏教を信じ、国民としては神社を祭つて、毫も怪しむところがなく、平穏な生活を営んで来たのである。これは仏教の布教政策によつたものでもあり、一方、既述の如く、神社が素朴な宗教性をしかもたないからであつた。とにかく、過去一千年以上にわたつて実行せられて来た仏教と神社との二重生活によつて、明治維新以来の神社政策は、国民の間に大なる問題もなく受けいれられたのである。
(三) 従来神社神道及び仏教によつて養われて来た日本国民の宗教意識そのものが、信教自由の問題について十分な敏感さをもたなかつたことである。けだし、神社神道も仏教も、その教義は多神教もしくは汎神教的であつて、キリスト教のような人格的一神教でなく、個人の人格の観念を刺激し、基本的人権の観念を発達せしめず、したがつて、信教自由の原則の重要性を認識させることも少なかつた。この事情が、神社参拝問題を信教の自由に抵触するものとして重要視しなかつたことの一大原因であろう。
[6] 信教の自由と政教分離の原則を宣明する憲法20条1項ないし3項の規定は、その制定に最大の影響を与えたものと思われるアメリカ合衆国憲法修正1条(連邦議会は法律により、国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を禁止することはできない。宮沢俊義編岩波文庫、世界憲法集訳)よりも、この点に関しては、更に徹底したものであり、世界各国憲法にもその比を見ないほどのものである。
[7] その3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定しているが、その解釈の指導原理となるべき政教分離原則の意義から考えると、右規定によつて国及びその機関が行うことを禁止される宗教的活動とは、宗教の布教、宣伝、信者の教化、育成を目的とする積極的な活動にとどまらず、宗教上の祝典、儀式、行事など宗教的意義を有する一切の行為をいうものと解すべきである。そしてこのように、宗教的活動の意味を広く解すべき実質的理由は、次のとおりである。
[8] およそ歴史に知られた民族で宗教をもたなかつたものはないといわれる。もちろん、宗教学又は宗教史学にいわゆる宗教と、法律学上の宗教とは必ずしも同様に解すべきではないが、宗教に関して、神学者、哲学者、宗教の科学的研究者たちは、古来さまざまな宗教の定義を提示しており、その多様さは、学者の数だけ定義の数もあるといわれるほどである。それゆえ、わが国においても、法律上どこにも宗教の定義が示されていないことは当然であると思われる。また、アメリカ合衆国憲法にも、宗教もしくは宗教的ということばの定義は見られないのみならず、アメリカ連邦最高裁判所は、もろもろの宗教又は宗教らしいものに対応するに際して、宗教や宗教的という用語を定義することなく、この語がどういう意味をもつにしろ、アメリカ合衆国憲法修正1条が「社会的義務に違反し、もしくは善良な秩序を破壊する行為に介入するような」政府の行動を禁止してはいないということで満足していたのである。すなわち法は、行為の抑制のためにつくられるのであるから、法は、宗教的な信念や見解そのものに干渉することはできないが、宗教的活動に対しては抑制が可能であるとしたのである。換言すれば、あらゆる宗教又は宗教らしいものを憲法上宗教として取りあつかい、その外部に現われたところのものを問題とするにとどまつたのである(清水望、滝沢信彦共訳、「コンヴイツツ・信教の自由と良心」のうち、宗教とは何か、参照)。
[9] 思うに、わが憲法においても、宗教又は宗教的という語は、できうる限り広く解釈さるべきものである。しかるにこれを厳密に定義し、また、これを狭く解するときには、それ以外の宗教ないし宗教類似の行為には20条の保障が及ばないこととなつて、信教の自由が著しく制限される結果となるばかりでなく、反面、国家と宗教の密接な結びつきが許容される道を開くこととなるであろう。
[10] 多数意見は、起工式が工事の無事安全等を祈願する儀式であり、「祈る」という行為を含むものであることまでは認めているが、今日では、それは一般人及び主催者の意識においては、建築上の儀礼と化してしまつているから、世俗的行事と評価されているとしている。すなわち慣行だというのである。もちろん世の中には、その起源を宗教的なものに発してはいるが、現在では宗教的意義を有しない諸行事が存することを認めないわけにはいかない。正月の門松は、年々減少していくようであるが、縁起ものとして今日でも行われている。雛祭りやクリスマスツリーの如きものも、親が子供に与える家庭のたのしみとして、あるいは集団での懇親のための行事として意味のあることが十分に理解できる。そして今日では、これらは宗教的意義を有しないとすることもできるであろう。しかし、原審認定のような状況下において、本件起工式をとり行うことをもつて、単なる縁起もの又はたのしみのようなものにすぎないとすることができるであろうか。多数意見も認めているとおり、本件のような儀式をとり入れた起工式を行うことは、特に工事の無事安全等を願う工事関係者にとつては、欠くことのできない行事とされているというのであつて、主催者の意思如何にかかわらず、工事の円滑な進行をはかるため、工事関係者の要請に応じて行われるものなのである。起工式後のなおらいの祝宴をめあてに、本件儀式がなされたとはとうてい考えられない。ここに単なる慣行というだけでは理解できないものが存在するのである。けだし、工事の無事安全に関する配慮が必要なだけならば、現在の進歩した建築技術のもとで、十分な管理がなされる限り、科学的にはこれにつけ加えるべきものはない。しかるに、工事の無事安全等に関し人力以上のものを希求するから、そこに人為以外の何ものかにたよることになるのである。これを宗教的なものといわないで、何を宗教的というべきであろうか。本件起工式の主催者津市長がたとえ宗教を信じない人であるとしても、本件起工式が人力以上のものを希求する工事関係者にとつて必須のものとして行われる以上、本件儀式が宗教的行事たることを失うものではない。これは宗教心のない喪主たる子が、親のために宗教的葬式を主催しても、それが宗教的行事であることに変りがないのと同様である。
[11] 本件においては、土俗の慣例にしたがい大工、棟梁が儀式が行つたものではなく、神職4名が神社から出張して儀式をとり行つたのである。神職は、単なる余興に出演したのではない。原審の認定するとおり、祭祀は、神社神道における中心的表現であり、神社神道において最も重要な意義をもつものである。このことは、すべての神道学者が力説するところである。神社の宗教的活動は、祭りの営みにあるといつてよいくらいである。祭祀は、神社神道における神恩感謝の手ぶりであり、信仰表明の最も純粋な形式であるといわれる。教化活動は、祭りに始まり、祭りに終るということができるのであつて、祭祀をおろそかにしての教化活動は、神社神道においては無意味であるとされる。すなわち祭祀は、神社神道において最も重要にして第一義的意義を有するものであり、儀式あるいは儀礼が最上の宗教的行為なのである。
[12] 本件起工式は、たとえ専門の宗教家である神職により神社神道固有の祭祀儀礼に則つて行われたものとしても、それが参列者及び一般人の宗教的関心を特に高めることとなるものとは考えられないというのが、多数意見である。神社神道が教化力に乏しいというところから、そういう議論になるのであろうが、たとえそうであるとしても、そのような儀式に対してすら、違和感を有する人があることもまた事実である。もとより、個人あるいは私法人が起工式を行うに当たり、神社神道又はその他の宗教によることは自由であり、これこそ信教の自由であるが、本件起工式は、地方公共団体が主催して行つたものであることが、案外、軽視されているように思われてならないのである。すなわち国家や地方公共団体の権限、威信及び財政上の支持が特定の宗教の背後に存在する場合には、それは宗教的少数者に対し、公的承認を受けた宗教に服従するよう間接的に強制する圧力を生じるからである。たとえ儀式に要する費用が多くなくても、また一般市民に参加を強制しなくても、それは問題でない(本件起工式では、来賓として地元有力者等150名の参列をえ、工事責任者が出席し、津市の職員が進行係をつとめ、被上告人請求の目的となつている挙式費用7,663円を含め公金17万4千円を支出した。)。要するに、そういう事柄から国家や地方公共団体は、手をひくべきものなのである。たとえ、少数者の潔癖感に基づく意見と見られるものがあつても、かれらの宗教や良心の自由に対する侵犯は多数決をもつてしても許されないのである。そこには、民主主義を維持する上に不可欠というべき最終的、最少限度守られなければならない精神的自由の人権が存在するからである。
「宗教における強制は、他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によつて私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによつて私が救われようはずがないからである。」(ジエフアソン)
[13] 国家又は地方公共団体は、信教や良心に関するような事柄で、社会的対立ないしは世論の対立を生ずるようなことを避けるべきものであつて、ここに政教分離原則の真の意義が存するのである。

[14] 以上が、反対意見に追加する私の意見であるが、その一及び二項において、私は矢内原忠雄全集18巻357頁以下「近代日本における宗教と民主主義」の文章から多くの引用をしたことを、本判決の有する意義にかんがみ、付記するものである。

(裁判長裁判官 藤林益三  裁判官 岡原昌男  裁判官 下田武三  裁判官 岸盛一  裁判官 天野武一  裁判官 岸上康夫  裁判官 江里口清雄  裁判官 大塚喜一郎  裁判官 高辻正己  裁判官 吉田豊  裁判官 団藤重光  裁判官 本林譲  裁判官 服部高顕  裁判官 環昌一  裁判官 栗本一夫)

[1]、当事者能力及び訴訟能力は、民法その他の法令に従うことは、民事訴訟法第45条に規定するところである。当事者能力又は訴訟能力なき者を当事者とした訴訟は、却下されなければならない。
[2] 本件訴訟は、民衆訴訟であつて、行政事件訴訟法第43条第1項第2項に規定するもの以外の訴訟であるから、同条第3項の規定によつて、当事者訴訟に関する同法第40条第2項の規定が準用されることとなる。同法第40条第2項の規定とは、「第15条の規定は出訴期間の定めがある当事者訴訟に準用する」というものである。本件訴訟は地方自治法第242条の2第2項第1号により出訴期間の定めのある民衆訴訟であるから、行政事件訴訟法第15条(被告を誤つた訴えの救済)の規定が適用されるものである。

[3]、本件訴訟は、訴状の記載に徴して明らかであるとおり、「津市長角永清」を被告として提起されたものである。訴状に被告として記載される「津市・右代表者市長角永清」、「津市長角永清」、「角永清」の各表示は、それぞれ別個の異なつた当事者である。第一の表示は、「津市」なる普通地方公共団体を被告とするものである。第二の表示は、行政機関である「津市長」を被告とするものである。第三の表示は、「角永清」なる私人を被告とするものである。3者は、それぞれ別個の被告である。
[4] 行政事件訴訟法第15条は、取消訴訟において、原告が故意又は重大な過失によらないで被告とすべき者を誤つた場合の救済規定であるが、前述したところにより本件民衆訴訟にも適用されるのである。被告を誤つて提起された訴訟は、本来却下されるべきものであるが、その救済措置として、同条は、「裁判所は、原告の申立てにより、決定をもつて、被告を変更することを許すことができる。第1項の決定は、書面でするものとし、その正本を新たな被告に送達しなければならない」という、厳格な要式手続を規定して、この手続を経ることによつて、適法な被告への変更を許すこととしているのである。この手続によらなければ、被告の変更をすることは許されないのであり、裁判所がこの手続に違反して、訴状に表示された被告と異なる被告に対して判決を言渡した場合には、当該判決は、上訴において、破棄ないし取消を免れないことは言をまたない。
[5] 被告の変更に関する右手続は、厳格なる要式行為とされているのであるから、相手方(被告)がこの点について何らの異議申立等をしなくても、これをもつて責問権の放棄があつたとして、訴訟手続の瑕疵が治ゆされるべき性質のものではない。

[6]、一審判決には、まさに行政事件訴訟法第15条所定の手続を経ることなく、被告を変更して判決したという重大且つ明白な瑕疵がある。かかる一審判決を基礎としてなされた原判決は、その瑕疵を承継したものであるといわなければならない。
[7] 一審判決は、被告について、次のとおり判示する(7葉表から裏)。
つぎに本件請求中被告津市長角永清に対する訴について考えるに、前述の理由により被告は津市長角永清でなく、個人としての角永清となさるべきである。この見地に立つて考えれば、本訴状中角永清の氏名の上に表示されている津市長なる記載は単に現職を示したものにすぎないものであつて、個人としての角永清を被告としたものと解するのが相当である。
[8] 右引用判示の前段は、まさにそのとおりであつて、地方自治法第242条の2第1項第4号の規定による「当該職員に対する損害賠償の請求」の訴訟は、当該職員の地位にある私人を被告として提起されるべきものであることは、現行法と全く同文の旧地方自治法第243条の2第4項による旧納税者訴訟についてつとに昭和21年発行の最高裁判所事務局編行政裁判資料第4号によつて、同旨の解説が示されて以来、すべての裁判例が一致して採用しているところである。しかしながら、右引用判示後段の部分は、まさに行政事件訴訟法第15条の規定に正面から違反するものであつて、明らかに誤つている。何人を被告として訴訟を提起するかは、原告の任意である。同条の規定によることなくして、原告の選択した被告を裁判所が勝手に変更して、訴状に表示された被告(津市長)と異なる被告(角永清)を判決に表示することが許されないことは言をまたないところである。
[9] 本件の訴状に表示された被告は、「津市長角永清」なる行政機関であり、判決に表示された「角永清」は私人であつて、両者は同一でないことはすでに述べたとおりである。ことに、一審においては、「津市教育委員会・右代表者委員長大森四郎」とならんで「津市長角永清」が被告とされており、両者の住所としてともに津市役所の所在地である「津市丸の内本町2,106番地」が表示されていたことを考えるならば、右の表示は明らかに行政機関である「津市長」を「津市教育委員会」とともに被告としたものであつて、「津市長」なる表示が単に「角永清」個人の肩書職業を示すものに過ぎないと解する余地はない。本件訴訟は被告を誤つて提起されたものであるから、被告の変更は、行政事件訴訟法第15条第1項第2項所定の手続に従つてのみ行われなければならない。一審及び二審の訴訟記録の記載に徴し、原告(控訴人)から被告変更の申立がなされたことがないこと、及び裁判所が被告(被控訴人)変更を許す決定をしたことがないことは明らかである。一方、一審裁判所が被告の誤りに気付いていたことは、右引用の判示によつて明々白白であるから、一審裁判所は、口頭弁論において、原告に対して、訴状の「津市長角永清」なる表示について、釈明を求めるべきであつたところ、かかる釈明さえもなされていない。裁判所の右釈明に対して、原告は被告変更の申立をなすか、もしくは釈明を無視して右申立をしないかのいずれかに出るであろう。裁判所の釈明にもかかわらず、原告が「津市長角永清」を被告として維持するのであれば、却下判決がなされるべきである。いずれにしても、一審裁判所が適法な被告変更手続をとることなく、漫然と口頭弁論を終結した上、ほしいままに訴状記載の被告と異なつた被告に対して判決を言渡したことは明白に違法である。さらに、控訴審においても、同様被告(被控訴人)変更の手続がとられないまま、漫然誤つた被告(被控訴人)に対して判決を言渡したことも、また行政事件訴訟法第15条に違反するものであるから、原判決はこの点において破棄を免れないものと信ずる。

[10]、なお、右主張を裏付ける事実として、次の点をつけ加えて主張する。
[11] 「角永清」の住所は、「津市大字半田1,113番地」であつて、同人は昭和22年頃から現在まで引きつづいてこの住所に居住している(別添住民票抄本参照)。一方、一審判決及び原判決に表示された、「津市丸の内本町2,106番地」は、津市役所の所在地である。原判決が漫然として一審判決の手続違背を看過した結果、「津市丸の内本町2,106番地被控訴人角永清」なる表示となつているのである。
[12] また、前述したとおり、被告(被控訴人)が一審及び原審において、この点について何らの申立をしなかつたとしても責問権の放棄として、右瑕疵が治ゆされるものではない。
[13]、原判決は、津市長が公金7,663円の違法支出をし、津市に損害を与えたとして、被上告人が、津市に代位して、上告人に対して行つた損害賠償の請求を認容したものである。地方自治法第242条の2の規定により提起された住民訴訟は、行政事件訴訟法第5条及び第42条に規定された「民衆訴訟」に属するものであるから、法律の定める事物、手続に従つてのみ提起することができる。本件訴訟は、同条第1項第4号に規定された訴訟のうち、住民が「普通地方公共団体に代位して行う、当該職員に対する損害賠償の請求」訴訟であるから、裁判所の判断の対象は、右7,663円の市費支出が公金の違法支出なりや否やに集中されるべきである。換言すれば、右支出が憲法第89条に違反する支出であるか否かが裁判所の審理、判断の中心となるべきであつて、支出の原因たる行事自体が憲法第20条第3項の禁止規定に該当するか否かは、正面からとり上げられるべき問題ではない。憲法第20条第3項は、国民の基本的人権の一である「信教の自由」を保障する目的から、国及びその機関の宗教的活動を禁止したものであつて、地方自治法第242条の2第1項第4号に定められた住民訴訟と直接に結びつくものではないからである。
[14] 何となれば、住民訴訟は、地方公共団体の行政運営そのものに対して、住民の直接の監視、監督を許したものではないのであつて、同条所定の個別的事項についてのみ住民の直接監視を認めたものであるから、同条第1項第4号に基く損害賠償請求訴訟については、公金の支出が違法なりや否やのみが判断の直接的な中心となるべきものである。

[15]、憲法第89条は、「公金は、宗教上の組織又は団体の便益若しくは維持のためにこれを支出してはならない」ことを規定したものである。すなわち、右規定は、宗教上の組織又は団体に対して、一切の公金支出を禁止したものではなくして、その「便益又は維持」の目的でなされる公金の支出のみを禁止しているのである。国又は地方公共団体が、宗教法人との間に、土地売買契約を結び、適正な代価を支払うことは、しばしば見られるところであるが、かかる取引に伴う公金の支出が憲法第89条に違反するものでないことは言をまたない。
[16] また、文化財保護法に基いて、神社、仏閣等に対して支出される補助金の交付その他の国費の支出も、憲法第89条に違反するものではない。同法により文化財に指定された神社、仏閣の建物、仏像、宝物等につき、国が宗教法人に対して補助金を交付しもしくは国費で修理費を負担していることは、公知の事実である。これらの公金は、純然たる宗教的儀式の道具である建物、施設であるとか、信仰の対象である仏像等に対して支出されるものであるが、その支出目的が文化財保護にあつて、直接に宗教上の組織又は団体の便益若しくは維持のために支出されるものではないが故に許されるのである。換言すれば、これらの公金の支出は、間接的には、宗教法人の便宜又は維持に役立つものであるが、これを直接の目的として支出されるものではないから、適法であると目されているのである。

[17]、右に述べたところにより明らかであるとおり、憲法第89条の規定に違反する公金の支出とは、「宗教上の組織又は団体の便益若しくは維持」を直接の目的として、なされる支出に限られるのである。本件7,663円の公金支出が地方自治法第242条の2第1項第4号にいう「違法支出」に該当するためには、公金支出が右の如き目的のためになされたものであるかどうかが判断されなければならない。
[18] しかるに、原判決は、右第一項において指摘したところの住民訴訟の性質の理解を誤つたため、地鎮祭が地方公共団体の行う宗教的行事であることに判断が集中しているのである。このことは、原判決が「五 結び」において、
以上の次第で、津市が挙行した神社神道式の本件地鎮祭は政教分離の原則を侵し、憲法20条3項の規定に違反する宗教的活動として許されないものといわねばならない。従つて、これに基づき被控訴人が市長としてなした公金(神職報償費4,000円、供物代3,663円)の支出は、右金銭の名目、形式、金額の如何を問わず(右金銭が神社に帰属したものか、神職個人に帰属したものか、社会通念上相当な金額の範囲内であるか否を問わない)、憲法89条の適用をまつまでもなく、基本となる権利義務関係が法律上許されない以上、違法な支出たるを免れない。
と判示していることによつて、明らかにうかがわれるところである(128葉)。憲法第89条の規定からみるならば、右判示は明らかに誤つている。もし、本件地鎮祭に出席した宗教法人大市神社宮司宮崎吉脩ら4名が、個人の資格でアルバイトとして、右神社備付の装束、器具等をほしいままに持ち出して使用し、且つ7,663円(正確には供物料3,663円を除いた4,000円)が直接に個人のふところに入つた場合には、右公金の支出は憲法第89条所定の要件に該当するものではないことは明らかである。公金の支出が憲法第89条に違反する違法支出となるためには、右7,663円が宗教法人大市神社の収入となる(その結果、同神社の宗教活動の費用に充てられる)ものでなければならないのであつて、宮司の職にある者が職務外のアルバイト料として個人のふところに入れた場合には、「宗教上の組織又は団体の便益若しくは維持」のための公金支出に該当しないからである。
[19] 従つて、右に引用した原判決の判示のうち、括弧内の判示は本件住民訴訟の判断として明らかに誤りである。これこそが本件審理の中心となるべきものである。宮司の本件地鎮祭の参加が宗教法人大市神社の宮司たる地位においてなされたものであるのか、それとも個人の資格でなされたものであるのか及び右7,663円が神社の収入となつたのか、宮司らの個人収入となつたのかの2点について、原判決は全然認定していない。さらに、遡つて、本件地鎮祭に訴外宗教法人大市神社の宮司らが参列したことは、津市と右宗教法人との間の契約に基くものであるか、それとも津市と宮司ら個人との間の契約に基くものであるかについても、また、原判決は判断を遺漏している。
[20] 契約の相手方が神社、個人のいずれであつたにしても、契約の性質は、純然たる私法上の契約であつて、請負契約または雇傭契約ないしはこれらに類似した無名契約であることは何人も異存がないところであろう。右契約における津市は、会社、私人などが行う地鎮祭の場合と同様に、私法上の権利の主体としての地位に立つものであつて、行政権行使の主体たる地位に立つものではない。原判決は、この点についての審理、判断を全然していない。このことは、さきに指摘したとおり、原判決の住民訴訟の立法趣旨の明白な誤解に由来するものと解されるが、この点についての判断を全く欠いていることは、とりもなおさず原判決に重大な審理不尽、理由不備の違法があることが明々白々である。この点においても原判決は破棄を免れないものと信ずる。
[21] なお、原判決は、その所論を裏付けるため、「(三)行政実例等について」(126葉から127葉)において、行政実例を引用している。しかしながら、その内容は、本件に適切でないか、もしくは行政実例の内容の一部のみを全体の趣旨と違背した意味で引用しているにすぎない。すなわち、原判決の引用する昭和28年11月9日の行政課長回答は、市が祭礼に神饌幣帛料を支出することは違法支出であるという趣旨である。直接に神社の祭祀に公金を支出してはならないというのであつて、本件の如く労務の対価として支払う金員とは全く性質を異にする。
[22] また、昭和36年11月27日行政課長回答は、
「県が庁舎の起工式を神式で行ない、神官にこれら必要経費を支払うことは、憲法20条3項に規定する宗教的活動の禁止及び同法89条に規定する公金の宗教上の組織への支出禁止に該当しないと思うかどうか」
という質問に対し、
「設問の行事が宗教的活動として行われたものならばできないが、一般に行われている地鎮祭のごときは、一般には宗教的活動にあたらないと考える」
という趣旨の回答をしているのである。原判決は、右回答の一部のみをみて反対に解釈をしているものである。
[23]、原判決が、本件地鎮祭を目して、憲法第20条第3項に違反すると結論するに至つた過程は、次の順序を辿つている。
[24](一) まず、原判決は、次の如き事実認定をしている。
[25] 本件地鎮祭は、津市が主催したものであつて、宮崎吉脩ら4名の神職がいずれも衣冠束帯を着用して出席し、津市職員が進行係、受付係又は案内係をつとめた(原判決82葉から83葉・以下葉数は原判決の葉数を示す)。その式次第は、神社祭式行事作法に則つて行われ、午前10時に始まり、同10時50分に終了し、次いで祝宴(神道ではこれを直会という)に移つた(84葉)。すなわち、原判決は、祝宴までも神式行事として認定しているもののようである。
[26](二) 次いで、原判決は、右の認定事実の法律的判断に移つて、次のとおり述べている。
「(本件地鎮祭の式次第は)明治40年以降に神社神道が定めた式次第に比較的厳格に則つて行われたことが認められる。従つて、本件地鎮祭は、神社神道の祭祀としてなされる、その固有の儀式の一であるということができる」(89葉)。
「本件地鎮祭が右に掲げた正月の門松、クリスマスツリーと同視できる習俗的行事といえるかどうかについて、考察する。宗教上の施設以外で行われた本件地鎮祭が宗教的行為か習俗的行為であるかを区別する客観的基準として、次の3点をあげることができる。
(イ) 当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか
(ロ) 当該行為の順序作法(式次第)が宗教界で定められたものかどうか
(ハ) 当該目的が一般人に違和なく受け容れられる程度に普遍性を有するものかどうか」(100葉)
「大市神社の神職が主宰した神社神道の式次第(宗教的作法)に則つて行われた本件地鎮祭は、宗教的行事というべきであつて、未だ習俗的行為とはいえないものといわなければならない」(101葉)。
[27]、右の(二)に示された原判決の見解が明らかに誤つていることは、次の各点を考えることによつて明らかである。
[28](一) まず、原判決は、本件地鎮祭が憲法第20条第3項の規定に違反するかどうかを判断する基準を「宗教的行為」と「習俗的行為」との2に区別して(このように2分類に固執する根拠は全く認められない)、本件地鎮祭は前者の「宗教的行為」にあたると結論し、そこから一挙に飛躍して直ちに「宗教的活動」であると結論しているのである。すなわち、「宗教的行為」と「宗教的活動」との関係については、何らの説明もないままに、論理が飛躍しているのである。
[29] 原判決は、「宗教的活動」の範囲について
「宗教的活動」の範囲は、極めて広く、特定の宗教の布教、教化、宣伝を目的とする行為のほか、祈祷、礼拝、儀式、祝宴、行事等およそ宗教的信仰の表現である一切の行為を包括する概念と解すべきである
と判示している(124葉)。宗教的行為と宗教的活動とは論理的に区別されなければならない。宗教的活動とは、原判決のいうとおり、「宗教的信仰の表現である行為」である。憲法第20条第3項は、国又は地方公共団体が行政権の主体たる地位において「宗教教育その他一切の宗教的活動」を行うことを禁止する趣旨である。しかして、本件地鎮祭を行つたことが、津市のなした「宗教的信仰の表現である行為」にあたらないことは、後述するとおりである。
[30](二) 原判決は、本件地鎮祭が宗教的行為であるから、それを津市が行うことが宗教的活動に該当するというのである。果して、そのとおりであろうか。
[31] 原判決の誤謬を示すために、例をあげて説明しよう。たとえば、市が学者を講師として招へいし、特定宗教を信仰すべきことを宣伝する講習会を開催することは、明らかに宗教的活動であるが、原判決の考え方に従うならば、(イ)(ロ)の要件を欠くが故に宗教的行事ではないことになる。してみると、宗教的行事は、宗教的活動より広い概念であつて、宗教的行事を行うことが「宗教的信仰の表現である」場合にはじめて宗教的活動に含まれるが、「宗教的信仰の表現でない」宗教的行為を行うことは、宗教的活動に含まれないことになる。
[32] 原判決は、宗教に起源を有する行事を、「宗教的行為」と「習俗的行為」とに分つている。しかしながら、この2の分類のほかに、「習俗的行為」の分野に属するものでありながらも、なお(イ)(ロ)の要件をそなえたところの「宗教的習俗行為」ともいうべき中間的分野が存在するのではなかろうか。そして、本件地鎮祭の如きは、この分野に属するものではなかろうか。原判決は、宗教に起源する行事を、独自の見解に従つて「宗教的行為」と「習俗的行為」の2のみに分類して、本件地鎮祭をいずれかにあてはめようとしたため、誤つた判断に陥ち入つたものである。このことは、結婚式を考えてみれば、一目瞭然となるであろう。
[33] 結婚式は、神式、仏式、キリスト教式もしくは自由型式で行われるが、神式によるものが圧倒的に多い。とくに、都会においては、ホテルないし結婚式場が挙式から祝宴までの一切を請負うことが多いことは、公知の事実である。ホテル等での結婚式の挙式は、すべて神式によつて行われている。原判決は、地鎮祭の式次第について、次のとおり認定している(83葉から84葉)。
 本件地鎮祭は、当日午前10時より前記式次第に従つて始められ、右神職4名主宰の下に神社所有の祭具を用いて次の神事を行なつた。
 修祓の儀(神職が参列者一同の前に進み出て榊の枝を打ち振り、一同の罪穢をはらいのける儀式)、
 降神の儀(神職が祭壇の神籬に大地主神及び産土神である大市比売命等の神霊を招き降す儀式)、
 献饌の儀(神職が神饌である青物等の供物を供える儀式)、
 祝詞奏上(斎主が祭壇の前に進み出て神霊に対し本件工事の無事安全を祈願する祝詞を読み上げる儀式)、
 清祓の儀(敷地をはらい散供を行なう儀式)、
 刈初めの儀(被控訴人市長が盛砂の上に植えてある枯草を鎌で刈る動作をし、荒地を切り開く儀式)、
 鍬入れの儀(工事責任者が盛砂に鍬を入れて荒地を平にする儀式)、
 玉串奉奠(被控訴人市長、市議会議長らが順次祭壇の前に進み出て神職から渡された榊の枝(玉串)を奉つて拍手拝礼する儀式)、
 撒饌の儀(神饌を撒する儀式)、
 昇神の儀(神々に天へ帰つてもらう儀式)
 参列者一同拝礼して午前10時45分ごろ滞りなく地鎮祭を終え、しかる後予め西隣りに設けられた祝賀会用天幕へ行つて祝宴(神道では直会という)をした。
[34] ホテル等で挙行される結婚式で神主が行う神式行事の式次第は、右判示にかかる地鎮祭の式次第と大体同様である。問題は、果してこのような挙式に参列した者が宗教的活動が行れている、宗教的行事に参加しているという認識をもつかどうかである。恐らく、何人もそのような認識をもつものはないであろう。
[35] 果してしからば、結婚式における右の如き式次第は、神主が主宰者であり(何人も神社が主宰者であるとは思わないであろう)、式の順序作法(式次第)は神社神道で定められたところに則つて挙行されるものではあるが、宗教的活動に含まれるところの宗教的行事ではないのである。結局、神式の結婚式も地鎮祭と同様に「宗教的習俗行事」の一であると認めざるをえないのである。地鎮祭は、結婚式よりもはるかに多くのものが神式で行われるが、神道儀式の形式をとどめるにすぎないのであつて、まさに典型的な「宗教的習俗行事」であるといわなければならない。神社神道の定めた式次第に従つて行われたことをもつて、直ちに「本件地鎮祭は、神社神道の祭祀としてなされる、その固有の儀式の一である」(88葉)とすることは、非論理的結論であるというべきである。

[36]、次に、さらに進んで、何故に、原判決が本件地鎮祭をもつて、宗教的行事と認定したかを考えてみる必要がある。原判決は、そのいうところの「習俗的行事」とは「宗教に起源を有する行事であつても、広く国民の間に定著してほとんど宗教的意義を伴うことなく行われ、今日では習俗的行事ないし季節的行事と化しているもの」であるとし、その具体的な例として、正月の門松、家庭における豆まき、クリスマスツリー等を例示し(99葉裏)、これらを「非宗教的習俗行事」(98葉)ないし「習俗的行為」(100葉裏)とよんでいる。そして、これと「宗教的行事」を対立させて、「本件地鎮祭が右に掲げた正月の門松、クリスマスツリー等と同視できる習俗的行事といえるかどうかについて考察する」ため、両者を区別する標準として、前示(イ)(ロ)(ハ)の3要件をあげているのである(100葉)。しかしながら、原審裁判所は、本件地鎮祭は宗教的行為であるという結論を先にもち、その理論的裏付けないし説明材料として、苦心して右3要件をあとから考え出したものである。「習俗的行為」の1要件であるとして設定した「一般人に違和なく受け容れられる程度に普遍性を要する」という(ハ)の要件を説明するために、右の門松等を例示しているように思われる。しかしながら、都会においては、家庭における豆まきは、現在ではもはや普遍性をもつものではないし、農村におけるクリスマスツリーも同様である。また、日の丸の国旗を掲げ、国歌として君が代を歌うことにはつきりとした拒否の態度を示す一部国民があるが、だからといつて国旗、国歌として一般人に違和なく受け容れられる程度に普遍性を有しないとは何人も考えないであろう。
[37] 本件地鎮祭が(ハ)の要件を欠いていることについて、原判決は被上告人らの反対をあげて、「本件地鎮祭の参列者であり、津市の市民でもある本件控訴人及び補助参加人らも、右儀式に違和感を抱き、抵抗を感じているものであることはいうまでもない。従つて、神道地鎮祭のみが、すべての国民に抵抗なく受け容れられるほど馴染んでおり、普遍性を有するものとはいえない」(105葉)と判示している。一部の人々が反対するからといつて、直ちにそれが習俗的行為でないというのであれば、右に述べたようにかなり多数の国民が反対する国旗、国歌はどうなるのか。神式の結婚式に参列したキリスト教徒も神主の行う儀式には違和感をもつことは止むをえない。だからといつて、結婚式が宗教的行事であり、神道の宗教的活動に属することにはならないであろう。ことに、被上告人は、共産党員であつて、本件訴訟を提起した当時は、津市議会の共産党議員であつた。共産主義は、宗教の自由を認めないが、加えて、政治的立場が保守系中立である市長と対立する立場にある市議会議員が、地鎮祭の挙行に反対することは当然のことであろう。しかるに、右に引用した一事をもつて、本件地鎮祭が「一般人に違和なく受け容れられる程度に普遍性を有する」という条件を欠くものとし、とつてもつて宗教的行為であると判断する原判決の判示は、全く条理に反するといわなければならない。

[38]、結局、本件地鎮祭は、「宗教的習俗行事」ともいうべきものであつて、憲法第20条第3項にいう「宗教的活動」の一環たる「宗教的行事」に属するものではない。
[39] 原判決は、「理由」の前半の部分においては、原審裁判所がこのように考えていたことを物語つている。すなわち、
「本件のような専業の神職による地鎮祭は、特に明治以降国家神道の下において、都市及びその周辺における新しい風俗として行われるようになつたものである」(87葉)
と述べていることがそれである。ところが、一方において、原判決は、
「神社神道は宗教である」(97葉表)、
「神社神道は神社挙式、行事作法、神社祭式を定め、明治40年以降は地鎮祭は神社神道が定めた式次第に比較的厳格に則つて行われたことが認められる。従つて、本件地鎮祭は、神社神道の祭祀としてなされる固有の儀式の一つであるということができる」(89葉)、
「神道の祭りはそれ自体独自の教化作用を営む」(124葉裏)
という発想から、本件地鎮祭が宗教的行事であると結論しているのである。かかる考え方が著しく疑問であることについては、神式による結婚式の例をひいて、すでに詳述したとおりである。
[40] 神社神道が宗教であり、明治以降国家の特別の保護のもとにおかれたことは、首肯するとしても、なお次の2の点を考えてみる必要がある。その1は、昭和20年12月15日付最高司令部の覚書により、国家神道は、完膚なきまでに破壊されて以来、25年を経過しているということである。本件地鎮祭の式次第が戦前の国家神道全盛時代において、神社神道によつて定められたところに則つたものであつたにしても、根幹となる国家神道そのものが完全に消滅した後は、式次第の形式だけが残されているのである。地鎮祭が、原判決が判示するように、国家神道の独自の教化作用であるという認識をもつ国民はまずあるまい。原判決の判示する難しい名前を付した式次第(83頁)についても、原審裁判所が審理の当初から認識していたものでないことは、判決後に朝日新聞に掲載された伊藤裁判長の談話中にあるとおり、神道の古典を数多く読んだ結果、はじめて知つたことである。加えて、本件訴訟は、「ミニ靖国神社法案反対訴訟」であるという旗印の下に、近時自民党の意図する靖国神社法案の反対運動の一環として、いわゆる進歩的ないしは革新的学者が結集し、その数名の者が鑑定証人として原審裁判所に出廷した。このような背景の下において、原審裁判所が神道に対する攻撃非難の偏つた意見にとらわれ過ぎたため、木をみて山をみざるたぐいの判断に立ち至つたものであると解せざるをえない。原審裁判官といえども、神式の結婚式に参列して、まさか本件判決に書いてあるような認識をしたわけでもあるまい。
[41] その2は、神道は宗教ではあるけれども、仏教の諸宗派、キリスト教、新興宗教とは一種異なつた性質をもつ宗教であることを看過してはならない。神道は、わが国古来の国民的宗教たる性質をそなえているのであり、その故に神道の行事が習俗に馴染むことが多いことは何人も否定することはできないであろう。明治以前における顕著な2、3の例をあげよう。治水神社、崑陽神社など徳川時代に建立された神社がある。治水神社は、幕命により木曽川改修にあたつた薩摩藩士が藩の費用を予定以上に使用したことの責任をとつて切腹したとき、その功をたたえる地元住民が藩士を祀つて建立されたものである。崑陽神社は甘藷をひろめて、百姓を餓死から救つた青木崑陽の徳をたたえて創立された神社である。また、浅間神社は、富士山の山体そのものを、祭神とするものである。
[42] このように、わが国においては、二千年にわたつて、自然物、偉人等を神にまつり、その祭祀の場として神社を建立することは、広く行われてきたところである。この意味において、神社神道は、国民的信仰に基礎をおく、国民的宗教であつたことは明らかである。徳川時代には村ごとに鎮守の神社があり、その祭礼が庶民の娯楽となつたとともに、仏教との間に何らの違和感なく併存していた理由も、またここにある。原判決が、神社神道のもつ、このような性格を、正面から否定していることは、明白な誤謬であるといわなければならない(105葉)。
[43] さらに、明治以降に国家神道が確立された後においても、すべての神社が均一に国家の保護のもとにおかれ、天皇現人神とする国家体制擁護の手段として利用されたものではない。右に例示した治水神社、崑陽神社などの如く、純粋な国民的信仰に基いて設立された神社は、明治以後も国民の中にあつて、庶民の信仰の中に存在したものである。原判決は、このような事実を一切考慮することなく、神社神道は宗教であり、地鎮祭は神社神道の祭祀としてなされる固有の儀式の一であるから、本件地鎮祭が憲法第20条第3項で禁止されたところの「宗教的活動」であるという、単純素朴な立論をなしているのである。

[44]、右のような次第で、神式の地鎮祭は、宗教的習俗行事の一であると解すべきものであり、津市が祝宴に先立つて本件地鎮祭を行つたことは、憲法第20条第3項で禁止された宗教的活動をしたことにはならないことは明白である。
「津市が挙行した神社神道式の本件地鎮祭は、政教分離の原則を侵し、憲法第20条第3項の規定に違反する祭政的活動として許されないものといわなければならない。従つて、これに基き被控訴人が市長としてなした公金の支出は、憲法第89条の適用をまつまでもなく、基本となる権利義務関係が法律上許されない以上、違法な支出たるを免れない」(128葉)
とする原判決の判示は、結局憲法第20条第3項の「宗教的活動」の解釈を誤つたことに基くものである。
[45] よつて、かりに、第二点の主張が認められないとしても、この点において、原判決は破棄を免れないものといわなければならない。

(添付書類省略)
[1] 地方自治法第242条の2第1項及び第2項の規定により、住民訴訟は、必要的前置要件として、同法第242条の規定による監査請求を経なければならない。本件において、被上告人は、「津市長」に対する監査請求は、これを経ているけれども、「角永清」個人に対する監査請求を経ていない。従つて、かりに被告(被控訴人)を「津市長」から「角永清」にすることに対する上告理由書第一点の主張が認められないとしても、「角永清」個人に対する訴えは、この点において、訴訟要件を欠くものである。
[2] 訴訟要件の存否は、裁判所の職権調査事項であるから、本件訴えは当然に却下を免れないものである。

[1] 地鎮祭とは、家屋等の建設の着工に際し、工事の無事完成を土地の神に祈願する行事であり、古来から我国に行なわれる風習である。右行事は神式で行なわれることが最も多いが、仏式その他の儀式によつて行なわれることも少なくない。右儀式の実態を考察するに、宗教に起源を有するものであるが、現代においては、日本人社会において、一般的な風習として是認され、苟も家屋等の建築その他の土木建設工事の着工にあたつては地鎮祭、起工式の行事は、一般社会において欠くべからざる社会習俗的儀式と考えられ、これを行なわなければ、工事関係者は安心して工事を進行することができないと信じられ、一種の縁起的儀式として行なわれる風習となつているのが実情である。従つて、起源的には宗教的儀式ではあるが、現代においては宗教的意味は、むしろ甚だ稀薄となり、社会一般に行なわれる習俗的行事として認められるに至つているのである。勿論地鎮祭を執行する神職、僧侶その他の宗教家は、各自の宗教的信仰に基づき祭祀を行なうのであるから、その意味において宗教的儀式の一種であることは否定できないが、当該宗派以外の他宗派その他の多くの国民にも、一般的慣行として是認されるものであれば、社会習俗として是認されるべきであり、建設工事における神式の地鎮祭の如きは、わが国の現状では、正に典型的に習俗化しており、一般的な普遍性を有するものとして認めているのが国民的良識である。これは恰も神式による結婚式が神職によつて執行されながら、結婚当事者、参列関係者の宗派の如何を問わず、原則として特別の違和感もなく、一般的慣行として是認されているのと同様である。このことは、原判決が明確に習俗的行事として断定しているクリスマス・ツリーの場合にも、同様にいい得ることである。すなわち、クリスマス・ツリーの行事は、キリスト教会やその所属聖職者、ないしはキリスト教の信者にとつては、いうまでもなく宗教行事であり、また宗教儀式の一つである。それらキリスト教の枠内の人々にとつてクリスマス・ツリーの宗教的意義が稀薄であるなどとの議論は許されるはずがない。原判決がクリスマス・ツリーを「宗教的意義の非常に稀薄なもの」としてその習俗性格を断定するのは、そのようなキリスト教の枠内にある人々との関係においてクリスマス・ツリー行事を把えるのでなく、一般の日本国民大衆、換言すれば平均的日本人の意識との関係で、それを把えているからに外ならない。本件の地鎮祭、あるいは神式結婚式、仏式合同葬儀等の儀式も、その「関係」において把えれば、たとえ神職や僧侶等がそれぞれの式次第にもとづいて主宰するものであつても、それは国民的常識において社会的習俗慣行であると理解さるべきものである。
[2] 現に、今日において、もつとも一般に社会的習俗慣行として、公認されている宗教儀式としては、仏式による合同葬儀、神式結婚式等がある。政教分離をもつとも強引に命じた神道指令下であつても、国又は公の機関が合同葬儀において仏葬をすることは、日本の社会習俗として公認されて来た(昭和26年国鉄・桜木町事件の鶴見総持寺における合同葬儀等)。そして、この前例は以後多くの国および公の機関で、ひきつづき行なわれて来ている。また、神道指令失効後は、全国自治体の公民館において、神殿が設けられ、神式結婚の希望者に対して、神道的儀式をする用に供することが公認されて来た。これらの事実は、国および国民的良識が、日本人の神前結婚・仏式葬儀等は社会習俗として公認したものであることを明示している。原判決も、宗教的儀式行事の社会習俗化現象の存することを認めている。すなわち、原判決は「宗教的儀式行事の社会習俗化現象は夙に多くの人々によつて指摘されているところであり、わが国の農耕儀礼の中に時代の推移とともに行事のもつ宗教的要素が稀薄となり、又は消滅し、やがて農村における伝承的行事となつて習俗化している事例があることは一般に顕著な事実である。
[3] また、元来、宗教に起源を有する行事であつても、正月の門松、雛祭り、家庭における豆まき、クリスマス・ツリーの如く宗教的意義が非常に稀薄となり、その行為が広く国民の間に定着して殆ど宗教的意識を伴うことなく行なわれ、今日では習俗的行事ないし季節的行事と化しているもののあることも一般に指摘されているとおりである。」と判示している。しかしその習俗と認め得る条件として原判決が「習俗は、すくなくとも3世代以上にわたり、民間に伝承されて存する定型化された慣行」と言つているのは、全くの独断的条件で、なんら理論的根拠がない。クリスマス・ツリーでも神前結婚式でも日本では必ずしも3世代以上定型化され普及した慣行といえないことは明らかであり、3世代とは何を根拠にした理論であるか全くの独断である。これに比すれば、地鎮祭は遥かに古くからの慣行であり、クリスマス・ツリーや神前結婚式のように新しいものではない。また、原判決は、地鎮祭の儀式を明治40年に国家が定めたなどと言うが、国が神社で行なう公の祭の規範として明治8年4月式部寮が官国幣社に令達した「神社祭式」でも又その細則たる明治40年の「行事作法」でも、更にそれ以降のこれらの改正においても、国が地鎮祭の儀式を定めたという事実は全く無い。地鎮祭、上棟祭等は、古来から工匠家の間に伝えられた祭式次第に従い、神職が日常行なう礼法によつて祭を進めるものであつて、これらは、神社の公の祭に対するいわゆる雑祭(又は私祭)として明らかに区別して、その際の地方・格式・慣習にまかされ来たものであつて、従来も現在も雑祭の祭式・行事作法を定めた事実は皆無である。
[4] 地鎮祭は実に万葉以来の古代からの社会習俗で、原判決が、地鎮祭は民間の習俗でなく、政府が創設したものであるとか、新しい儀式であるとか云うことは、全く当らない。
[5] また、原判決は、地鎮祭をもつて習俗的行為と区別するために、それが(1)「宗教者」によつて主宰されたか否か (2)その順序作法が宗教界で定められたものか否か (3)一般に違和感なき程に普遍性を有するか否かの3点をあげている。
[6] しかし、前記の(1)および(2)は、儀式の非習俗性を論証する何等の理由にもなりえない。(1)(2)の条件は、国鉄その他の仏式葬儀等についても同じであつて、神式であれ、仏式であれ、行事を委嘱された宗教家がその宗教の儀式の順序作法により執り行なうのは当然の事であるからである。ただ公の儀式執行にさいしては、違和感なき普遍性を有するとの条件は大切であるが、現代の日本において、全然違和感なき儀式というものはありえない。政府で屡々行なうことのある無宗教的葬儀、追悼式等は著しく反宗教的感じを与え、神仏の社会習俗になじんだ国民に対しては、仏式あるいは神式の儀式以上の違和感を与えているのが実情である。儀式というものが、何らかの精神の表示である以上、日本の現状では、総ての者に、全く違和感なき儀式はありえないのであつて、できるだけ社会的普遍性の広いものを社会習俗として是認する外はない。それには、当該儀式が、なんらかの宗教又は世界観に起源を有するにせよ、それが当該宗派以外の他宗派その他の多くの国民にも、一般的慣行として是認されるものであればよいのである。神式による地鎮祭の如きは、この行事に参列する人には、一種の儀礼的習俗行事として、特段の違和感もなく、これに参加しているものと見るのが実情であり、その大部分は神社神道に帰依するとか共感するとかいう理由からではなく一般的な普遍性を有する社会的慣行として認められているのである。このことは、現実に国家機関をはじめ地方公共団体、国鉄等の公の機関が実施する建設工事その他において、全国至るところで枚挙に遑ないほど数多くそれが行なわれている事実によつて明らかである(附属資料一参照)。
[7] この社会慣行の事実が先行して政府がこれを社会習俗として公認していることは、国民良識に一致するものである。なお、原判決が習俗的行事であると判示するクリスマス・ツリーその他の行事についても、全然違和感を感ずる者はないと断じ得ないことは明白である。次に、神式地鎮祭に対する政府見解について検討するに、昭和45年5月12日衆議院議員藤波孝生が、「国及び地方公共団体の施設と宗教との関連に関する質問主意書」を提出し、
「国又は公の機関が社会習慣上一般に認められている宗教儀式を行なうことは、必ずしも憲法20条に違反するものではないと解釈して政府の解釈と相違はないかどうか。(実例、国家施設造営の場合の起工式、竣工式等の神式行事)」
と質問したのに対し、内閣総理大臣佐藤栄作は同年6月19日付書面をもつて
「宗教にその起源を有する行事であつても、今日、その行為が広く一般国民の間において宗教的意義のあるものとして受け取られず、単に社会生活における習俗となつているものについては、国またはその機関がそれを行なつても、憲法20条の趣旨に違反するものではないと考える」
旨答弁していることは、質問主意書と答弁書面とを照し合せて考えれば公機関による神式地鎮祭等の執行を習俗行事と認めて、これを前堤として憲法20条に違反しないと解していることは明瞭である。また、渋川鑑定人の引用にかかる、昭和39年7月31日第46国会衆議院社会労働委員会における長谷川委員の質問に対する当時の林法制局長官の答弁は、要するに、
「国鉄駅のクリスマス・ツリーの如く、神道儀式による起工式又は竣工式は、仏教信者でもお祓いをするときにこれを行なうし、また役所の庁舎に火災厄けとして秋葉神社の神札を掲げる等、必ずしもその人の信仰が神道であることと結びつかないから、日本においては、すでに一つの習俗になつていると考えてよいのではなかろうか」
と説明しており、神道式起工式等が、日本において、すでに一つの習俗的行事となつていることを認めている。そして政府のかかる態度を裏づけるものとして、昭和44年4月3日参議院建設委員会で、吉国内閣法制局次長は
「内閣法制局としては津市の神式地鎮祭執行に関する津地方裁判所の判決に同感である」
と述べ、さらに、
「例えば道路公団のような国の機関がそのような行事を行なつても、それが特に神道に対して一定の特典を与えたとか、あるいは国が宗教的指導をしたというのは当らないのではないかというのが、林長官いらい何回も答弁している法制局の見解である」
と述べている。
[8] また、宮内庁瓜生次長は
「神式により賢所大前において行なわれる結婚の儀を国の儀式としたことは、政教分離の憲法には抵触しないと解釈している。一般国民の結婚式においても、結婚を誓う儀式は、それぞれの信仰に基き、神前なり仏前なりにおいて宗教儀式を行なうことが社会慣習となつている。このような式の形式が、宗教形式をとるのが社会慣習となつている行事については、例え国が公事として行なつても、それが憲法で禁ぜられている宗教活動を国が行なつたという範囲には入らぬ。このことは、貞明皇后の葬儀が神式により国事を以て行なわれたことをはじめ、松平参院議長、幣原衆院議長、尾崎卒翁の国会葬がそれぞれの信仰に基く宗教儀式によつて行なわれた前例もある。」
と述べている。
[9] 以上、地鎮祭、起工式等についての政府の見解によれば、神道を信仰する人々のこれに対する信仰的意識は決して薄れていないとしても、それ以外の一般の人々にとつても起工式、地鎮祭等が神道的な儀式であつても、これに参列するのに不愉快な感じや、違和感を抱くことなき社会意識と社会慣習が普及している。従つて国家としては、これを非宗教的習俗行事と考えるというのである。
[10] 原判決の摘示する昭和44年1月29日、京都府主催の下に府議会議事堂の定礎式が護王神社宮司の主宰により神道式で挙行されたのは、前記の如き政府見解に従つて行なわれたものと解すべきである。
[11] また、原判決は昭和42年12月26日衆議院委員会庁舎の増築に当つて、請負業者主催の下に公的要素を導入することなく、神式起工式が行なわれた事例を挙げている。しかし形式上請負業者主催の名目で、神式起工式を挙行し、国又はその機関が請負代金中に右起工式の費用を含めて支出することは明らかに脱法行為てあつて、公有の土地を神式儀式の執行に利用せしめることとともに、原判決の理論よりすれば到底許されないところであろう。
[12] 憲法20条において、国及びその機関は、宗教教育その他いかなる「宗教的活動」もしてはならないと規定されている。その「宗教的活動」の意義については、憲法の条文の解釈上かならずしも明確でないが、憲法の趣旨を受けて立法せられていると考えられる宗教法人法の宗教団体の定義を定めた同法2条は「この法律において、宗教団体とは、宗教の教義をひろめ、儀式を行ない、及び信者を教化育成することを主たる目的とする‥‥‥団体をいう」と規定されており、宗教団体とは本来「宗教活動」を行なうことを主たる目的とするものであるから、その目的として右に掲げられている宗教の教義の布教、教化、宣伝等の活動が即ち宗教活動であると解せられ、従つて、右規定は、憲法20条第3項にいう宗教的活動の意義を理解するうえに十分参考になるものと考えられ、また、同様に、憲法の趣旨を受けて立法されたと考えられる教育基本法9条2項「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」と、また、社会教育法23条2項「市町村の設置する公民館は、特定の宗教を支持し又は特定の教派、宗派若しくは教団を支持してはならない。」と規定されており、更に憲法の同条項に「宗教的活動」と規定されていることを併せ考慮するときは、結局憲法20条3項の「宗教的活動」とは「特定の宗教の教義の布教、宣伝、信者の教化育成等を目的とする積極的活動」をいうものと解すべきである。宮沢俊義氏も「宗教的活動」とは、宗教の宣伝を目的とするすべての活動をいうと、述べている(法律学全集4憲法〈2〉349頁)。
[13] 原判決は、20条2項にいう「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事」もすべて同条3項の「宗教的活動」に包括されると解釈しているが、憲法20条は明らかに、2項の「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事」の概念と、3項の「宗教的活動」の概念とを区別しているものと解すべきである。そして「宗教的活動」に対しては、国及びその機関に対し、全面的に禁止しながら「宗教上の祝典、儀式、行事に対しては、その参加の強制のみを禁じているのであつて、この両者の概念には相重なる部分があつても、異なる点の区別もさるべきである。そのことは「宗教的活動に含まれる宗教儀式」と「宗教活動ではない宗教儀式」とを区別することでもある。本件地鎮祭、起工式や結婚式、葬儀等は、わが国の社会通念からみて、「宗教活動でない宗教儀式」の適例である。
[14] なお、「宗教的活動」と「宗教上の儀式」の両概念が憲法20条の解釈としては当然区別して把えらるべきであることを、憲法理論上裏づけるものとして、ワイマール憲法141条ならびに同法を継承しているドイツ連邦共和国憲法140条5号、ドイツ民主共和国憲法46条を指摘することができる。また、フランスの1905年の政教分離法やフイリツピン憲法(第6章23条)に明文をもつて規定されているチヤプレン(専属聖職者)制度も、同様の意義において理解さるべきである。チヤプレン制度は、一面においては特殊な条件下(軍隊、刑務所等)にある国民の信教自由を保障するものであるが、同時にまた、国家機関による宗教儀式の主催執行、および国家施設内における宗教団体の宗教行為を容認していることをも意味する。後述するように、憲法上の明文規定はもたないがアメリカ合衆国の政教分離の実情において、この法理はもつとも明瞭にしめされており、結局、「宗教的活動に含まれる宗教上の儀式」と「宗教的活動ではない宗教上の儀式」との区別を考える以外には、それら諸国の政教分離の実情を正しく理解することはできない。
[15] 前に述べた通り、地鎮祭、起工式は、起源的には宗教的儀式ではあるが現代においては、国民大衆の意識における宗教的意味は甚だ稀薄であり、社会一般に行なわれる習俗的行事と認められているのであるから、その執行は憲法20条3項にいう「宗教的活動」に該当しないことは明らかである。のみならず、本件において津市又は市長が本件市立体育館の建設に当り、神社の神職に委嘱して、起工式の一部分として地鎮祭を執行して貰つたことは、市又は市長が自ら特定の宗教すなわち神道の教義の布教、宣伝又は信者の教化育成等を目的とした積極的活動をしたことにならないことも明白である。従つて、本件地鎮祭、起工式の執行は、憲法20条3項の「宗教的活動」として禁止されるものではない。
[16] 然るに原判決は、憲法20条3項の「宗教的活動」の意義を、単に宗教の布教、教化、宣伝等を目的とする積極的行為に限らず、同条2項の「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事」を含む一切の宗教的行為を網羅する趣旨と解すべきであるとし、従つて国及びその機関は、一切の宗教的儀式行事等を行ないえないと断定したことは、憲法20条の解釈を誤り、延いては本件地鎮祭、起工式の執行を憲法20条3項において禁止した「宗教的活動」に該当するとした判断は、憲法の解釈、適用を誤つたものである。
[17] また、憲法89条「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、……これを支出し、又はその利用に供してはならない」という公金の支出とは、本来神社その他の宗教上の組織、団体に対して補助金とか助成金とかの形式で、その神社等の使用、便益、維持のために支出することをいうものと解すべきである(佐藤功鑑定人調書参照)。本件において津市が地鎮祭の挙式並に祝賀会費用として、神職に対する報償費(初穂料)金4千円及び供物料(神饌料)金3千663円を含み金17万4千円の公金を支出しているが、神職に対する報償費は神職の地鎮祭執行に対する報酬として、4名の神職に対して各千円宛支払つたもので、労務に対する私法上当然に支払うべき債務の履行であり、また供物料の支払も供物の実費相当のものであつて、固より補助金とか助成金とかの支出ではなく、神社の使用、便益、維持のために支出したものではない。のみならず、本件地鎮祭、起工式の挙行は、社会一般の慣習と認められた習俗的行事の執行であつて、公共団体といえども一般人と同じく、かかる習俗的行事に要した費用を公金より支出することは恰も通常の交際費などの支出と同様禁じられるものではない。また、市立体育館の建設のための地鎮祭を、その敷地たる市有地において行なつたことは地鎮祭の目的からいつて当然のことであつて、公の財産を神社のために供したことにはならない。このことについては、原判決の示された以後(6月2日)、最高裁の発注による大津地裁、家裁、簡裁の合同庁舎の起工式が神式により執り行なわれている実例がある。
[18] 以上、津市が本件地鎮祭に要した費用の支払のため、公金を支出したこと及び市有地において地鎮祭を挙行したことは、毫も憲法89条に違反したものではない。
[19] 憲法20条は、いわゆる「政教分離」を規定したものであるといわれている。しかし、政教分離とは「国家と宗教」の分離を意味するものであるか、「国家と教会」の分離をいうのであるか争いの存するところであるが、諸政教分離国の実情からみて、政教分離制度とは「国家と教会」を分離する制度であるとするのが国際的通念というべきである。然るに、原判決は、日本国憲法は「国家と宗教との明確な分離」を意図するものであると断じている。
[20] この判決の立論は、実は昭和20年の占領軍による、いわゆる「神道指令」がそのように命じたものを、そのまま継承踏襲しているに過ぎない。そこには戦前のいわゆる国家神道を、偏見的に超国家主義ならびに軍国主義の温床と把えて、これを抹殺しようとした占領権力の神道認識が、そのまま引き継がれている。
[21] 神道指令は、確に「国家と宗教との分離」を明文をもつて命じ、かつ占領権力は、日本国憲法の立法に際して、この指令の趣旨を盛り込むことに努めた。しかし、そのような政教分離の強制が国際通念に照して極めて過酷なものであつたことは、既に公認されているところであるが、(内閣憲法調査会3委14回会議録参照)、実は占領軍当局も、その過酷さを自認していたことが、今日では明らかにされている。そして、神道指令の初期の時代には徹底した「国家と宗教の分離」政策が推進されたが、たちまち、地鎮祭をはじめ、公葬、修学旅行の際の社寺参拝問題等で、国民大衆の間に不満が高まり、その行き過ぎた政教分離政策では到底円滑な宗教行政を行なうことが困難になつて、神道指令発出、そしてその施行の責任当局であるGHQ宗教課では、指令の「宗教の国家からの分離」の表現は「教会の国家からの分離」の意味とすることに、解釈の修正を余儀なくされた(附属資料二参照)。神道指令が有効に施行されていた昭和24年以降今日まで、政府の行政指導が、神道指令の命じた「国家と宗教」分離の政策から、次第に緩和修正の方向に進んできている実情が、このことを裏づけている。それはもちろん国民大衆の宗教意識の実情、つまり国民常識を尊重せざるをえなかつたからであり、その修正は政教分離原則に関する一般通念から云つても当然のことである。
[22] 原判決は、このような昭和20年以降のわが国の政教分離史を正解せず「政府見解も行政実例も、きびしく国家と宗教の分離の基本原理を堅持してきた」と称している。政府見解については既に述べたとおりであつて、ここに再言することを省略するが、行政実例について、原判決は、国及び地方公共団体が行為主体となつての特定の宗教による慰霊祭、公葬、地鎮祭等々の挙行の禁止、民間請負業らの主催するそれら宗教行事への公金支出や官公吏等の公的参列の禁止、等々を述べているが、その行政実例は神道指令時代の初期の通達類の内容であつて、その後それが次第に国民意識の実情に調和するように、緩和修正されている経過を無視している。すなわち、地鎮祭、起工式についていえば、神道指令施行の初期の時代には、宗教(神道)に関するあらゆる儀礼等が公の場所において行なわれるのを禁じられたことがある。この時は、地鎮祭、起工式上棟式等も占領軍司令部の解釈によつて禁ぜられた。然るに、工事の実際に当る労働者が、これらの儀式を行なわないことは、工事を進めて行く上において心理的障害があるとして、その執行を要望した。そこでこれら労働者たちの要望を聞いた占領軍司令部では、これらの儀式を民間建築業者の主催で行なうのであれば、公の場所において行なつても差支えないと解釈を変更したのであつた。そして占領解放後は、これらのことは社会慣習として、地方公共団体等が主催しても差しつかえないものと認められた。このことは次の如き林法制局長官の国会答弁によつても明らかである。
「起工式とか竣工式とかに、所謂神式の行事が行なわれているが、工事業者がやつている場合もあるが、公共団体等が自らやつている例も多いようである。起工式等についても、既に日本の所謂古来の習俗ということになつており、日本においては、すでに一の習俗的なものになつていると考え、認めざるを得ないと思つている。」(鑑定人渋川謙一鑑定書)
[23] 地鎮祭、上棟式、落成式などの行政実例の変遷をみるに、まず神道指令発出の当初においては、国公立学校の校舎その他公の建造物の地鎮祭、上棟式、落成式などを、国又はその機関が主催することは避くべきであり、また建築業者など民間人や民間団体が主催するこれらの儀式でも、公の建造物やその敷地で行なつたり、公務員が公の資格で参列して玉串をささげたり、公金から祭典費を支出したりすることも、いけないとされていた(昭和23年2月14日文部省宗教課長通牒地宗15号)。ところが、その後、取扱いがやや緩和されて
「公共建築物およびその敷地で行なう地鎮祭、上棟式等について民間の建築業者が主催する場合、公金の支出や官公吏等が公的に参列するなど、いかなる公的要素も導入することなく、当該業者の責任において行なうのであればさしつかえない。」(昭和24年5月6日同課長通牒発宗16号)
ことになつた。しかし、その後、さらに検討の結果、これらの儀式は、宗教的儀式というよりは、むしろ古来一般の慣習的行事と考えられるものであるから、建築業者が慣例に従つて執行することは、たとえ神道式であつてもさしつかえない(昭和27年10月13日文部省調査局長回答委調86号)ことになつた(宗教法人の基礎的研究、井上恵行著197頁参照)。
[24] 更に、
「県が庁舎の起工式を神式で行ない、神官に、これら必要経費を支払うことは、憲法20条3項に規定する宗教的活動の禁止及び同法89条に規定する公金の宗教上の組織への支出禁止に該当しないと思うがどうか」
という質問に対し、自治省行政課長回答(昭和36年11月27日)として、
「一般に行なわれている地鎮祭のごときは、一般には宗教的活動にあたらないと考える。」
と答えている(昭和41年11月5日発行、改訂地方財務問答集)。
[25] 右の如く原判決は「政教分離」に関する行政実例の変遷を無視し、いわゆる神道指令の命じた「国家と宗教」の分離政策が次第に緩和修正された事実を看過した違法がある。
[26] 更に、原判決は、日本国憲法は「アメリカ合衆国の憲法原則とその下で展開し確立された判例理論と、ほぼ同様の完全な政教分離制度を採用している」と述べて、日本国憲法が「国家と宗教の明確な分離」を意図するものと断定している。しかも、そのアメリカ合衆国において大統領が、その就任式の際にバイブルに手を置いて宣誓の儀式を慣行として行なつている例は「歴史的背景および宗教事情を異にするわが国にあてはまらない」としている。この判決はアメリカで「確立された判例理論」がどのような具体的判例に基づくものであるかについて何ら言及していないが、判決文に記載されている「控訴代理人の陳述」の内容からみて、それは1962年のエンゲル対バイターレ事件判決ならびに1963年の無神論者およびユニテリアン教徒に関する事件判決の2つをさしているものと見られる。
[27] しかし、この2つの判例については、まず前者は、公立学校の朝礼行事として「公定の祈祷のことば」を唱えさせることを違憲としたもので、その特定の条件と事情とを把握せねばならぬ。この種の朝礼祈祷行事に関しては、アメリカ合衆国には、このほかにも合憲、違憲双方の判例があり、この1962年の判例が一切の朝礼祈祷行事を違憲とするものでないことは云うまでもない。後者の違憲判決は、前者よりも一般的性格の判例である点で、より注目されるが、しかしこれに対しては、当然国民世論の反対がつよく、また少数意見としてスチユアート判事が
「裁判所は開廷に先立つて一人の公務員が神に祈り、我々の国歌に『我等は神を信ず。これこそ我等がモツトー』とあり、また我らの貨幣にも類似の言葉があるが、これらが違憲であると考えられない。」
との反対意見を述べているのは注意する必要がある。
[28] 事実、アメリカ合衆国には、大統領宣誓式の例だけでなく、議会や法廷が開かれるに先立つては、必ず専属聖職者(公務員)の司祭により「全能の神」に対する祈祷の儀式が行なわれ、軍隊等には同じくチヤプレン(専属聖職者)の制度があつて、将兵の宗教的生活に対する配慮が国によつてなされている。国が発行する貨幣には「我らは、神を信ず」と刻印されている。それはみな、キリスト教の色彩いちじるしい儀式であり、制度、行為である。アメリカにももちろんキリスト教以外のユダヤ教、回教等の信者がいるけれども、アメリカ合衆国は、右に述べたような儀式や行為を憲法修正第1条に違反する行為であると考えていない。右の2つの判決についても、アメリカの国民世論の反対は、きわめて強く示されており、(中山健男「国家と宗教」84〜88頁参照)、原判決がいうように、アメリカでの政教分離に関する判例理論が、この2つの判例で「確立している」などとは到底いえるものではない。
[29] また、原判決は「日本における歴史的背景と宗教的事情が、アメリカその他の西欧キリスト教国とのそれと異なる」と論じ、「わが国は欧米のキリスト教国と異なり、歴史的に単一の宗教が支配的地位を占めたことがなく、宗教が多元的に発達していることが、特徴として挙げられる」といつている。ところが同時に、原判決は、日本の「国民大衆の宗教的意識」にふれつつ「多くの国民は、村や町等地域社会集団の一員としては神道を、他方個人又は家としては仏教等を信仰する」として、そのような大衆の信仰における雑居的構造は歴史的なもので「神仏それぞれの宗教機能を分化させ、大衆は冠婚葬祭等人生の通過儀礼といわれるものの上でもこれを使い分けて矛盾を感じない。本件地鎮祭のごときも、その一つで、個人的信仰の問題でなく、集団的信仰の問題であるので、大衆の宗教的意識の中では神仏が併存しうるわけである」と指摘している。もちろんアメリカ合衆国と日本国とで、その具体的な歴史的背景や宗教事情が異なるのは当然である。しかし憲法上の判断にとつて必要な問題は、キリスト教がアメリカなどキリスト教国の国民心理とその社会的宗教事情において占める地位と、神社神道が日本国の国民意識とその社会的宗教事情において占める地位との関係が異なるかどうかである。神社神道が、日本人の集団的信仰として歴史的に社会的承認を受けており、しかもそれが仏教その他の個人的信仰と何ら矛盾対立を生ずることなく、大衆意識の中に定着していること原判決の指摘の如くでありとすれば、かかる社会的事実こそは、憲法上の判断として、キリスト教がキリスト教国において支配的宗教であるということと、関係事情を同じくするものである。むしろ、原判決がいうように、日本はアメリカ合衆国とちがつて「民族と言語が単一である」だけに、アメリカ合衆国におけるキリスト教以上に、神社神道が日本国民の集団的精神生活の上に占める地位は重いと見るべきである。正月の初詣や初宮詣、七五三、神前結婚式等の人生儀礼および年中行事等における大衆的社会現象を見れば、その事情は一目瞭然たるものがある。然るに、原判決は、みづからその社会的宗教事情を指摘しながら、しかもそれに憲法的判断を加えることを忘れている。そしてただ、そのような大衆意識の実情に対しては「宗教的潔癖感の欠如」というごとき見地からの批判のみを下して、これをきわめて軽視している。しかし、政教分離制度の解釈運用にあたつては、実はこのような社会実情こそが最も重視さるべきものである。習俗性の問題に関して大切なる基準である「違和感の有無」は、この大衆的社会実情を問題とせずしては判断し得るはずがない。かくの如き社会的宗教事情を「政教分離」の憲法判断の考慮に加えなかつた原判決は違法たるを免れない。
[30] 以上の如く原判決は憲法20条の解釈、適用を誤り、本件地鎮祭及び政教分離に関する判断を誤つた違法がある。従つて、原判決中被上告人(控訴人)勝訴の部分を破毀し、被上告人の請求を棄却されんことを求める。
 原判決がしめされた(昭和46年5月14日)以後、わずか1カ月の間に、全国的範囲で地方公共団体の混乱分裂が続出している。5月15日に福井県が、県土木事務所の竣工式から取りあえず神式儀式の部分を削除するとともに、最高裁の判決が出るまで様子を見る意味で、しばらく神式儀式を見合わせる方針をしめしたのをはじめ、佐賀、三重の両県でも「最高裁の判決が出るまでの当分の間の措置」として神式儀式の一時中止を決定、東京、神奈川、千葉、富山、長崎等の都県下の10数市でも「トラブルを生ずる如きことはなるべくさしひかえたい」との理由で中止の方針を決めている。一方、宮城、兵庫、新潟、富山、石川、山梨、奈良の各県では「高裁判決が出たからといつて止める意思はない」として、従来どおりにダム地鎮祭や開港式典等を神式で実施している。市町村段階でも「これは古くからの習慣であつて、高裁の判決自体がおかしい」(石川県輪島市)と言明している地方公共団体も多い。県と同県内の市、あるいは隣り合つた市相互の間で方針が対立分裂しているところも少なくはない。また問題は仏教儀式に関しても当然影響しており、愛知県小牧市では恒例の職員座禅研修会を中止、東京都下の武蔵村山市や岡山市などでは仏式の戦歿者慰霊祭の取止めを決定した。地方公共団体が仏式あるいは神式で毎年春夏恒例に戦歿者その他の合同慰霊祭をおこなつている例は全国的にひじように多く、なお混乱は各地で生ずるものと観測される。
 これらの事例は、単に日刊新聞等に報道されたもののみにすぎないが、原判決後わずか1カ月の間にこのような混乱現象が生じていることは、とりも直さず従来、全国各地で毎日のように、しかも国民大衆に何らの違和感ももたれることなく、それらの行事が社会慣行としておこなわれてきたものであることを実証するものである。(以上の事例については、神社新報1191、1194、1196号参照)。北国新聞5月16日号の社説が「地鎮祭のあり方について一つの見解を示したものとして今回の判決には興味を覚える。だがこれが基準的な見解といえるかどうかについてわれわれは否定的な立場をとりたい。なぜかといえば、現実に広く行なわれ通用している常識的行為をこそ基準としたいからである」と述べ、また宗教新聞・中外日報社説が「ひとり神社界に限らずひろく日本の宗教界、とりわけ仏教界にも大きな影響をもたらすだろう」として、地鎮祭に神主をよんでお祓いを受けることは、日本人の常識から見て習俗であると主張している(5月21日号)ことをも附記して、本件地鎮祭が一般的な普遍性を有する習俗行事として国民常識的に認められている点を明らかにしたい。
 昭和21年以降占領解除までGHQ宗教・文化資源課の要員であつたW.P.ウツダード氏によれば、神道指令起草ならびに施行の責任者であつたK.W.バンス宗教・文化資源課長は、神道指令が明文をもつて命じた「国家と宗教との分離」を、日本に対する永久的政策と考えてはいなかつた。逆にバンス課長は、神道指令発出の数年後に覚書を書いて、その中で、「宗教と国家との分離」という語句表現は「教会と国家との分離」の意味に解するのが、宗教課の政策であると述べたという。このバンス課長の覚書は、ウツダード氏によれば、現在アメリカ合衆国の国務省に保存されていて、現時点で日本人の眼にふれるものとはなつていないが、しかしながら、前記行政実例の変遷によつても知られるように、昭和23、4年の時点以後、神道指令の運用は明瞭に緩和修正の傾向をしめしており、このことはGHQ当局自体が神道指令時代の後半期には、神道指令の政教分離原則を「国家と宗教との分離」ではなく「国家と教会との分離」の意義に解釈修正していたことを有力に裏づけるものである。もちろん当時はすでに、日本国憲法も施行されており、日本国憲法の政教分離原則もまた、同様の理解によつて解釈運用されていたことはまちがいない。

[1](一) 原判決は
習俗とは、縦に世代的伝承性をもち強い規範性ないし拘束性を帯びた協同帯の伝承的意思表現すなわち生活様式ないしそれを支えている思考様式をいい、一般に普遍性を有する民間の日常生活一般をいう。習俗は民俗学上「民俗」といわれ、単なる、風俗、風習とこれを区別すべきものである。そして習俗は、すくなくとも3世代以上に亘り民間に伝承されて存する定型化された慣行で、国家の規範をうけないものをいうべきである。そうした習俗は、これを反省したり、そのために何らの説明を施したりすることなく世代的に伝承され、抵抗なく受け容れられるものでなければならない。
と認定している。而して地鎮祭の意義、名称、起源、変遷(同判決85頁以下)について
 建物の新築又は土木工事を開始するに当り、その土地の神を祭り土地の平安堅固、工事の無事安全等を祈願する儀式である。
 元来仏教(真言宗)から生じた名称であつて、平安時代末頃より地鎮祭の呼称が固定し現在に至つているが、一般には地祭、起工式と称せられ、伊勢神宮では逆に鎮地祭と称している。又古くは鎮祭、地勧請、地曳之式礼ともいわれた。仏教各宗派では地鎮式又は起工式といつて天神地祇等の来臨を請い工事の安全、建物の繁栄と仏法の発展を祈願し、キリスト教においても同様の儀式を起工式又は定礎式といつている。
 尚地鎮祭の起源、変遷について遠い古代から地鎮祭という固定した名称は無くとも、建物を建築するに際し土地の神霊を祭る宗教的儀式が行われ……中世において神仏、神儒習合思想の影響を受け天台、真言系の密教では、神道の土地神を包摂し、僧侶や山伏、行者が神仏混淆した形で地主神を祭るこの種の儀式を執り行なつた。又特に僧侶等宗教家に依頼することなく、各自の本意で土地の悪霊(邪鬼)を鎮め祭る「所鎮め」「所固め」という呪術的な建築儀式も行われていた。又、延喜臨時祭式には「鎮土公祭」と称して道家の祭る地神(土公)を祀り地鎮祭を行つた記録もある(古事類苑)(同86頁)
 又江戸時代に至り、吉田、白川両家では仏式をとりいれ、独自の神道を体系化したが、祭儀は秘事口伝とされた。この時代には大工、棟梁(番匠、工匠)が吉田家から免許を受け、神職の装束を着て「地勧請」又は「地曳」と称し、外来の神である二八宿を祭り、陰陽道で地鎮祭を行なつていた記録がある(匠家故事録)。又橘家では陰陽道を用いて地鎮祭を行い、特に鎮物を厳格に指定したり、季節によりその位置を異にしていた。一般にその祭儀は必ずしも一定していなかつた。
 漸く江戸時代中期に至り、橘三喜が吉田神道を基にしてその祭儀を整え、今日に伝わる神道式地鎮祭の祭儀の基礎を定めた。
 右のように、地鎮祭は、もともと原始神道的な儀式が神仏、神儒習合により一旦は仏教者の手に委譲された後、さらに別の教学神道家が現在に伝わる祭儀の基礎を作るという3段階の経過を経ている。(同87頁)しかし神道式地鎮祭が民間に普及するまでは「地祭」と称し頭屋とよばれる祭祀権をもつ村の長老が神主役をつとめるなどして、土地に塩を撒き御幣を立て、または5本の幣を中央と4隅に埋めるなど、建築始めにあたり地の神を鎮め祭る素朴な儀式が行なわれた。本件のような専業の神職による地鎮祭は、特に明治以降国家神道の下に於て、都市および都市周辺における新しい風俗として行なわれるようになつたものである。(同87頁)
と認定している。
[2](二) 以上原判決が認定した事実からすれば地鎮祭の名称其のものは「所鎮」「所固め」「地鎮式」等一定していないが建築に際し無事完成と繁栄を目的として地の神に祈願する趣旨であることは古今一貫した行事である。又其の行事を取り行う者は必ずしも宗教家と限定していない。大工、棟梁又は村の長老其の他、吉田、橘家等全く宗教に関係の無い者が此の祭祀を行つて来た事は明らかである。
[3](三) 又遠い古代から此の祭祀の行なわれている事も明らかな事実とすれば其の名称形式の如何を問わず趣旨、目的が古来一貫して行なわれて来た以上之を習俗と見て何等誤りは無い。
[4](四) 其の形式において多少の差ありとも其の目的、趣旨に於て同一なれば同一地鎮祭として何等反社会性を感ずることは無い。同一仏教に於ても其の宗派の異なる毎に其の形式を異にしている。而して其の祭祀の形を異にしていても之を仏式により祭祀を認むるに何等誤りは無い。
[5] 遠い古代から取り行なわれて来た地鎮祭の形式又は名称を異にしたからといつて其の趣旨、目的が同一ならば之を古代から伝承して来た地鎮祭と称して何等誤りでない。尚原審は古来神道以外各宗においても名称を異にしているが地鎮祭なるものが行なわれて来た事実を認めている。然らば此の点からしても地鎮祭なるものは日本国民間において宗教と関係なく一の習俗として行なわれて来たものと認むべきである。
[6](五) 又伝承の期間についても古代から同一趣旨、目的を以つて取り行なわれて来た以上、3世代以上に亘ることも亦当然である。然らば此の点からしても地鎮祭なるものを日本国民の一習俗と認むべきものである。
[7](六) 尚原判決は、
以上のような歴史的経緯から考えると、地鎮祭又は起工式そのものは古来から行なわれて来た建築儀式の一つであるが、本件において神職が主宰した神道式地鎮祭は、鎮物(忌物)の埋納を省略しているほか、明治40年以降に神社神道が定めた式次第に比較的厳格に則つて行なわれていることが認められる。従つて本件地鎮祭は神社神道の祭祀としてなされるその固有の儀式の一つであるということができる。(同89頁)
と認定しているが本件地鎮祭は神社神道で定められた正しい方法に則つて行なわれたものでないことは右認定の通りである。然らば之を以つて神社神道の祭祀と認定するには何等かの理由及証拠を明確に説明すべきものである。然るに原判決は漫然と神社神道の祭祀としてなされるその固有の儀式の一つであると認定したのは証拠無くして事実を認定したものである。
[8](七) 以上の次第にして原判決は法の解釈を誤つた違法の判決である。
[9](一) 地鎮祭が古来一つの習俗であることは前述の通りである。
[10](二) 憲法第20条第2項に「何人も宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することは強制されない」第3項に「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定している。而して同条は宗教的行為、宗教上の活動と規定していない。即ち同条は宗教上と宗教的と言う文言を明確に区別して之を表現している。然らば右条文は宗教上と宗教的と言う語については明らかに之を区別して使用している。故に宗教上と宗教的と言う文言を取り違えて之を使うことは法の解釈として之を許すべきものでない。
[11](三) 宗教上の行為と言えば宗教其のものの行為にして其の行為自体が宗教行為と目されるものである。
[12] 即ち其の行為を為すこと其れ自体が其の宗教であり又其の宗教の行う行為である。即ち其の宗教で定められた行為を行うことが宗教に於ける宗教上の行為と云うべきものである。
[13](四) 宗教的活動とは宗教上の行為と別個である。
[14] 宗教的活動とは当該宗教の教義、信仰を宣伝し、其の宗教の拡張、信者の教化、育成、多数信者の獲得をはかることを目的とする行動をいうものであるが、宗教家の行う行動がすべて、宗教的活動ということはできない。又宗教上の行為と区別していることは明かにして之を同一に混同することは違法である。
[15](五) 以上の如く憲法の条文自体が宗教上の行為と宗教的活動とを区別して規定している以上其の実質及解釈を異にすべきものである。然るに原判決は本件地鎮祭を宗教的行為と認定し乍ら憲法20条に言う宗教に該当し、従つて憲法違反と認定したのは誤りも甚しい。即ち憲法20条は宗教上の行為、又は宗教的活動と規定しているに拘らず原判決は地鎮祭を宗教的行為と認定したのは憲法20条に規定していない宗教的行為を新らしく発見して認定したもので憲法の規定の解釈を誤つた違法がある。のみならず原判決は宗教上の行為と宗教的活動を区別する必要は無いと断定するに至つては憲法の解釈を誤るも甚しと謂うべきである。(同判決100頁、126頁)
[16](一) 原判決は前述の如く宗教上の行為と宗教的活動は截然と区別し得べき性質のものでないし、またこれを区別すべき理由もない。(同126頁)と認定しているが違法も甚しい認定であるということは前述の通りである。
[17](二) 宗教的活動とは当該宗教の教義、信仰を宣伝し、其の宗教の拡張、信者の教化育成、多数信者の獲得をはかることを目的とする宗教的行動をいうものにして宗教家の行う行動自体をすべて宗教的活動ということはできない。
[18](三) 本件地鎮祭が津市の主催にして其の式を取り行つた者が大市神社の神官であつたとしても其の席に集まつた人は宗教の宣伝ということとは何人もこれを念頭においた者は無い。被上告人を除いては孰れも古来一般に行なわれた地鎮祭であつて宗教の宣伝等宗教に関係あることは毫も念頭に無く原判決の認定する違和感を抱く者の無いことは明らかである。
[19](四) 以上の次第にして本件地鎮祭が宗教的活動でないことは寔に明らかである。
[20](一) 憲法20条3項は宗教的活動もしてはならないと規定して金銭の支出のことは全然規定が無い、国及びその機関は宗教的活動をしてはならないと規定している外に、此の活動の為に公金を支出してはならないことを同時に定めるべきである。然るに公金の支出は20条と別に89条を以つて規定している以上公金その他公の財産の支出の可否は20条によつて解決せず89条によつて解決すべきものである。
[21](二) 憲法第89条の規定する公金その他の公の財産の支出先は即ち対照者は、宗教上の組織若しくは団体又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業である。
[22] 本件支出が公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に支出したものでないことは明らかである。此の支出先が宗教上の組織若しくは団体の為めであるか否かである。
[23] 故に本件地鎮祭に際して支出した金額が憲法89条に該当した支出であるから違憲であるか否かを判断すべきものである。然るに原判決は其の支出が違法である理由として
地鎮祭其れ自体憲法20条3項の規定に違反する宗教的活動として許されないものといわなければならない。従つてこれに基づき被控訴人が市長としてなした公金の支出は右金銭の名目、形式、金額の如何を問わず憲法89条の適用をまつまでもなく、基本となる権利義務関係が法律上許されない以上違法な支出たるを免れない(同123頁)
と認めている。
[24] 若し本件地鎮祭の如きが憲法20条3項の規定に従つて違法であるとすれば之に際して公金の支出は当然違法であるから憲法89条の規定を俟たず当然違法だとするならば何故手数をかけて無用の条文をおくか理解に苦しむところである。
[25] 若し地鎮祭が違法であり、従つて之に支出した公金が違法の支出であるか否かは憲法第20条3項によつて解決すべきものでなく同法第89条によつて解決すべきものである。然るに原判決は前述の如く同法89条を度外視して其の解釈を為さず、地鎮祭が20条3項の規定に違反するから其の為めに支出した金員も違法だと認定したのは憲法第20条3項、第89条の解釈を誤つた違法の判決である。

[26] 以上のような次第でありますから原判決を破毀し被上告人の請求棄却の御判決を求めます。

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