はじめに


NO ENERGY, NO LIFE
生命の維持にはエネルギーが必要です。生命がエネル ギー作り出す仕組みを研究するのが、生体エネルギー学 (Bioenergetics) です。 生命のエネルギー通貨である ATP の大部分は、呼吸による酸化的リン酸化により効率よく作られます。我々の体では、細胞内器官であるミトコンドリアに存在するATP合成酵素がATPを作り 出します。作 られたATPはすぐに様々な酵素によって消費されます。たとえば、細胞内小器官(オルガネラ)に存在する V-ATPase は、ATPを分解することでプロトンを小胞内に運び、内部を酸性化します。この酸性化によって、オートファジーやタンパク質の品質管理、免疫反応の1部も 担われています。

生体エネルギー学から ATP システム学へ
ATP のもう一つの顔
ATPは生体のエネルギー通貨として、生物のエネルギー代謝の要になる最も重要な生体分子の一つですが、もう一つの顔として、シグナル伝達物質としての働 きがあります。たとえば、細胞の自殺であるアポトーシスが起こると、細胞内のATP量が急速に減少します。その原因の一端が、ATPを細胞外に放出する ATPチャンネルによって担われています。このATPチャンネルは普段は閉じていますが、アポトーシスが起こるとATPを通すようになります。細胞外に放 出された ATPは、シグナル物質としてマクロファージを引き寄せ、アポトーシス細胞の貪食が促進されます。この時、ATPを感知する ATP受容体が関与するといわれています。ATP受容体の役割は多岐に渡り、損傷した細胞から放出されるATPは、他の細胞の分裂を促進しますが、そのた め、手術後の血管狭窄を誘引するといわれています。また、線虫では、ATP合成活性が阻害されると寿命が伸長することが報告されており、ATP濃度変化と 老化との関連が示唆されています。

ATPシステム学
ミトコンドリアで作られたATPは, V-ATPase を初めとする ATP分解酵素によって様々な吸エネルゴン反応を進めることに使われます。細胞内のATPは一定のレベルに保たれていますが、アポトーシスなどの重大なイ ベントが細胞に起こると、ATPチャンネルが開き、このことで細胞内のATPレベルは急速に低下します。細胞外に放出されたATPおよびその代謝産物は、ATP受容体に感知され、様々な生理現象が引き起こされます。私達は、細胞内でのATPの動態をシステムと捉え、これ に関わる分子レベル、個体レベルの事象の解明を目的とした学問領域を、 ATPシステム学と定義しました。
(注)ATPシステムという言葉は、2002年に開始された JST の YOSHIDA ERATO project で最初に使われました。私もこのproject に参加し、ATP合成に関するタンパク質の研究に携わっていました。このproject は、主にATPを作る仕組みの解明に特化していましたが、我々は ATP動態に関する事 象全般を
ATPシステムとして捉えています。


細胞内のATP動態に関わるタンパク質の構 造・機能を明らかにする
私達は、ATP動態に関わる膜タンパク質の構造・機能を、クライオ電顕による構造生物学および1分子観察による分子機能解析 により明らかにしていきます。ATPを作ることに加え、使う、通す、感じる、膜タンパク質が研究対象になります。




個体レベルでの ATP システム学

生命が生 体物質から化学エネルギーを取り出したり、利用する過程は、一方で、老化や老化に伴う疾病と深い関係があります。寿命を変化させる遺伝子の中に は、エネルギー代謝関係の酵素が沢山あり、エネルギー摂取量そのものが寿命を規定することも報告されています。我々は、エネルギー代謝の中心物質である ATP の細胞内濃度と寿命との関係を、イメージングという手法 で解明する研究に着手したところです。ATPシステム学の視点から老化・寿命の問題 にとりくんでいきます。