Research Interests
京都産業大学『経済経営論叢』
第35巻第1号(2000年6月)


アメリカ近代産業企業における
委員会型管理システムと能率概念の転換

――インタナショナル・ハーヴェスター社における
フォアマン教育と合同委員会型従業員代表制の生成――



上 野 継 義



科学的管理は,独裁的な管理が敷かれた工場へ導入するのはつねに困難なのであり,委員会型管理の下へ導入されるのはいうまでもありません。
── H. F. J. ポーター


あるダイナミックな原理が……科学的管理がうまくいくために一番必要としているものを付け加えてくれるだろう。
── マイヤー・ブルームフィールド


今こそわたくしたちは科学的管理に魂を入れなければなりません。
── サイラス・マコーミック3世




 安全運動が1908年以降のアメリカ大量生産職場にもたらした最大の革新は,この運動の創始企業イリノイ製鋼会社南シカゴ製鉄所の事例研究(「イリノイ製鋼社における安全委員会活動と雇用管理の近代化」『経営史学』第29巻第1号)で明らかにしたように,労働者の能動的な役割の重要性を発見するという思想的な革新であった。安全運動は経営側(まずは生産管理者や技術者)の労働者に対するものの見方を改めさせる働きをしたのであり,やがてこの経験が「合同委員会型」従業員代表制に引き渡されることになる。本論文では,以上の経緯を,インタナショナル・ハーヴェスター社を事例研究の対象にして実証的に明らかにした。

 アメリカの近代産業企業に導入された従業員代表制においては,各事業所ごとに事業所評議会 (Works Councils) が設置されたが,その下に小委員会として安全委員会が組織された。安全運動は事業所評議会の中心的な活動として位置づけられ,やがて「無駄の排除」や品質管理などの各種現場改善運動へと発展していく。かくして安全委員会活動から従業員代表制への系譜的連関を視野に入れてアメリカ労務管理史を再構成するならば,世紀転換期以降の大量生産職場において,「下からの」改善活動が徐々に組織されていったと考えられるのであり,このような現場レヴェルの変化こそ,1910年代から20年代に進展した「能率概念の転換」という歴史現象の基底に存在した事実だったのである。



正誤表

110頁,14行目:取って代わられたことであり
(「た」の字が抜けましたので,挿入してください)




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