2003/7/02 ■■■■ 京都部落問題研究資料センター
メールマガジン vol.031 ■■■■
□映画レビュー□
「GO」(DVD版、2002年7月、東映、5200円)
これは、3年程前、発刊されて話題をよんだ金城一紀の小説『GO』が2001
年に映画化され、さらにそれをDVD化したものである。
原作については、本資料センター通信『Memento』1号でも前川修氏
が紹介されているが、映画のほうも、なかなかの出来ばえだと思う。
崔洋一監督の「月はどっちに出ている」(1993年作品)あたりから、在日朝
鮮人を扱った映画は、「民族か同化か」という枠からなんとか自由になろうと
していたのではないだろうか。「月はどっちに出ている」では、在日朝鮮人の
生活は「在日韓国人」という概念だけでは覆い尽くせないもんだよということ
を言外に語っていた印象をもつが、今回の「GO」は、在日朝鮮人というカテ
ゴリーを、在日の側から積極的に打ち破ることを明示的に主張する。
ある差別が解消に向かう途上では、この被差別者のアイデンティティーの取
り扱いがむつかしくなる時期がある。差別しないで平等に扱ってくれ、同じ社
会の一員じゃないかということを権利として要求する。しかし、それを要求す
る主体をつくるために、被差別マイノリティーは、一般社会とは違う固有のア
イデンティティーを持とうとする。「我々被差別者(あるときは部落民であり、
あるときは在日朝鮮人)」という自画像である。これがないと、各人の受けて
いる差別や抑圧は、個人の不幸にとどまってしまう。それを、共通の体験とし
て語りえたときにはじめて、「差別」ということがいえるわけだ。
しかし、その反差別運動の甲斐があって、差別が弱くなったとき、逆に
「我々×××」という被差別者のアイデンティティーは、個人の生き方を制限
し壁を作る重荷にもなってくる。それをいかに無色透明にし、軽くし、蒸発さ
せていくかということは、なかなかの難題である。「GO」の中でも、主人公
杉原(窪塚洋介)が恋人である桜井(柴咲コウ)と初めてセックスをしようと
するとき、彼は在日であることを告白する。というか、告白するという価値も
ないものであることを告白するのだが、それが一回目のベッドを台無しにする。
しかし、最後は桜井が杉原の「在日性」を理解するのではなく、そうしたカテ
ゴリーを取り払った状態で、ひとりの人間として受け入れる。
けっこう青春ものトレンディードラマとして楽しめると同時に、今の在日を
考える入り口として、すごく面白いと思う。一度、学生に見せて討論してみよ
うかな。(灘本昌久)
※ 「GO」DVD版
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※ 「メイキング・オブ GO」DVD、映画製作の裏舞台
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※ 金城一紀『GO』(講談社、2000年) 映画の原作
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※ 『「GO」の本 GO BORDERLESS GUIDE』「GO」のガイドブック
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