2003/5/21 ■■■■ 京都部落問題研究資料センター メールマガジン vol.028 ■■■■

□雑誌レビュー□
   「ジプシー」は使用禁止?

 『歴史学研究』2003年5月号に、金子マーティン氏の論文=「継承される 『ジプシー』に対する誤謬―大里賢太論文への疑問―」が掲載されている。この 論文において、批判の対象とされるのは、川越修・矢野久『ナチズムのなかの20 世紀』(柏書房、2002年刊)に収録された大里賢太氏の論考「定位される『ジプ シー』」であるが、金子氏が主張したい最大のポイントは、ジプシーは差別語で あり学術論文でも使うべきでない、ということのようである。私は、この分野の 専門家ではないので、金子氏のあげる例の個々の事実に関する当否を判定できる ほどの知識はないが、金子氏の論には一抹の危惧をいだく。  ひとつには、金子氏が上記の結論を主張するための最大の論拠は、つまるとこ ろ当事者たちは「ロマ」と自称しているので、それを尊重せよ、ということのよ うであるが、「多数派に属し、客観的に差別者の側にいる者として、多数派によ る侮辱的差別語でなく、せめて当事者の自称を用いるのが、被差別集団に対する 最低限の礼儀であると心得ている」という論法における、「多数派」「客観的に 差別する側にいる」は、一見金子氏の自戒の文ともとれるが、論考全体では、ジ プシー以外の人がすべて含まれているように読める。しかし、差別というのは、 もう少し個別具体的に考えるべきで、ヨーロッパにジプシー差別があるからとい って、世界の人を差別者呼ばわりするのはいかがなものか。  また、氏は部落問題を引き合いに出して、「たとえば、被差別部落民に対する 差別は現在も一掃されていないが、その部落差別を『隠匿することのできない』 内容を書くため、被差別部落民に対する蔑称・差別語が用いられなければならな いのだろうか」と主張される。しかし、実は水平社の時代、創立にあたった人々 は、言葉自体を糾弾したり禁句にしたりすることを繰り返し批判している。そし て、1960年代くらいまでは、被差別部落をさして「特殊部落」ということは、な んら問題とされなかったのである。当時の百科事典の項目が「特殊部落」で立項 されていたことでもそれは明らかである。それが、いつのまにやら「特殊部落」 という言葉時代が差別語とされ、葬られるにいたったことは、水平社の到達した 地点からの大きな転落であり、思想的堕落であったといっても過言ではない。そ うした、差別語に関する適正な原則から逸脱している今の反差別運動の誤った態 度を引き合いに出して、「ジプシー」は差別語で、差別語は使用禁止というのは、 その運動を危険なものにする恐れが多分にある。(灘本昌久)

《参考データ》
・歴史学研究会
   <http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/>
・灘本昌久「『差別語』といかに向きあうか」
   <http://www.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/198905.htm>

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