2002/06/12 京都部落問題研究資料センター メールマガジン
vol.004
□テレビ番組レビュー□
「座頭市物語」
(KBS京都、6月5日午後7時00分〜8時55分)
テレビで古い映画を見ていると、時々音声が途切れることに気がつく。「差別語」だからという理由でセリフが削除されているのである。どんな差別語で
も自由に使っていいとは言わないし、テレビのように不特定多数を相手にして
いるメディアには、それなりの苦労があることとは思う。しかし、特定の言葉
を禁止用語にして、機械的に削除するのはいかがなものだろうか。
音声が削除される映画の代表格が、勝新太郎主演の「座頭市」だろう。1948
年に刊行された子母澤寛の随筆『ふところ手帖』(のち中公文庫、1975年)の中の短編「座頭市物語」がもとになってできた映画は、好評を博して20数回の
シリーズとなり、テレビでも100回ほどの長寿番組となった。先日、記念すべき初回「座頭市物語」(大映、1962年)が放送されたので見てみたが、硬直した言葉狩りに言葉を失った。以下は、映画の一部である。
飯岡助五郎親分が、笹川繁蔵との出入りを前に、子分数十人を前に話をしている。
親分「どうシャチホコ立ちしたって、飯岡にかなうはずはねえんだ。それを繁蔵のやろう、のぼせあがりやがって。『メクラ蛇に怖じず』とはまったくこのことよ。」
子分「親分、『メクラ』は〔座頭市が仲間にいるので〕禁句ですぜ。」
親分「あっ、そうか。ははははは。やろう〔座頭市〕、どうしてる?」
子分「横になっております。」
親分「寝てるのか?」
子分「へい。うたた寝をしているようで。」
親分「ちぇっ、一日中目をつぶっていやがるくせに、まだ寝たりねぇのか。ははは。」
(中略)
定吉「市さんというのは、そんなに腕がたつんですかい? 親分だけが、その居合切りとかいうやつを見たってんで、すげえ、すげえと言っておいでなさるが、たかがメクラじゃありませんか。…いくらすげえったって…。」
子分たちの最後尾にいた座頭市が声を上げる。
座頭市「おぅ、ちょっと待ってくれ。その言い草には文句があるぜ。」
親分「なんだ、市っあん、おめぇ、さっきからそこにいたのかい」
座頭市「へぇ。ここで親分の話を一言漏らさず聞いておりやした。」
座頭市、静まりかえった子分たちの間を通って、前に出る。
座頭市「定吉っあん。お前さん、今『たかがメクラ』だとかいったね。」
定吉「いやぁ、そりゃぁ…」
座頭市「俺はね、『メクラ』だとか、『片輪』だとか、そんなことを言ったって、別に文句は言いやしないよ。そのとおりだもんな。だけどね、『たかが』メクラだとか、メクラの『くせに』、こうメクラをあなどった言い方をされると文句があるんだよ。」
親分「文句とはなんでぇ。開き直って、何が言いてえんだ。」
座頭市「てめえのこと言うのは、嫌ですけどね、私は『座頭』ていう名前のとおり、三年前までは笛を吹いて町を流してた按摩でさぁ。そりゃ随分あなどりも受けたし、いじめられもしたもんだい。ふふ。…別に泣きゃぁしないけどね。くやしかったよ。こん畜生、目明きの野郎ども。なんとかして、鼻をあかしてやりてぇ。そう思っていじりはじめたのが、こいつ〔仕込み杖〕だ。メクラはね、針の修行を極めても、検校っていう高ぇ位につけるんだ。また、琴三弦の師匠にもなれるんだよ。ははは。しかし、そんなことは俺の趣味にあわねぇ。また、そんなことで目明きどもが目玉ひんむいて驚くほどのことじゃねぇやな。おい、定吉っあん! お前さんも立派な目明きだけどね、こんなことできるかい。」
座頭市が、傍らの燃えている蝋燭を放り上げる。落ちてくると蝋燭は既に火がついたまま、真っ二つに切れている。子分たち、息を飲む。
座頭市「親分、お前さんの話じゃぁ、笹川の浪人とこの市を噛み合わせりゃぁ面白れぇとか言ってなすったが、断っておきますけどね、この市の命はそう安くは売れねぇよ。」
座頭市、その場を悠然と去っていく。
親分「やろう、好きなことぬかしやがって…。」
これが、もとの映画のセリフなのだが、KBS京都が放送したものからは、
上記のセリフのうち「メクラ」と「片輪」のところだけがキレイさっぱり削除
されているのである。この番組の冒頭に解説をしている映画監督中島貞夫氏が
「若干、テレビ放映用に音声処理がされておりますが、ご容赦いただきたいと
思います」と断っておられるが、到底「ご容赦」できない種類のものである。
確かに、こうした表面的な差別語狩りには、1970年代から90年代にかけての、
反差別運動の行き過ぎにも大きな責任があり、私もその下手人の1人として責
任を感じるが、もういい加減にして、差別表現問題について、マスコミは定見
をもつべきではなかろうか。
なお、6月19日(水)の午後7時より、同じKBS京都で「続・座頭市物語」
が放映される。この映画の、クライマックスの最も大事なセリフが、やはり
「差別語」なのである。しかし、このセリフを削除すると、映画全編が崩壊す
るような重要なセリフである。放送局はどうするのだろうか。興味のある方は、
ご覧ください。(灘本)
※差別表現狩りに関する灘本の自己批判は、以下を。
<http://www.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/199304.htm>
※「人権関係テレビ番組情報」は、以下をご覧ください。
<http://www.asahi-net.or.jp/~qm8m-ndmt/tv/contents.htm>