そのみちのコラム 8 利益団体としての反差別運動 灘本昌久
財務省印刷局編集・発行『時の法令』1644号、2001年11月30日

 ここ二十年ほどの日本では、人権・差別問題に関する社会の理解はおおいに進み、それ以前の時代には考えられなかったほど、少数者(被差別マイノリティ)の意見が尊重され、社会的処遇、経済状態は改善されるようになった。何かの被差別性を背負い、それが社会的不利益をもたらしていると訴えたときに、社会はそれを改善し埋合わせようという行動をとる。その最たるものが日本においては同和事業であり、アメリカにおいては人種差別をなくすための「アファーマティブ・アクション」(積極的差別解消策)である。そうした段階に至ると、被差別はある種の「資源」となる。多少の悪意を含む言い方をすると、「差別が売り物になる」時代になったのである。
 こうした状況は、被差別ということがひたすら恥ずかしいことであり、世間を憚(はばか)るという状況にくらべれば、はるかに進歩し、改善された状態だ。私自身、被差別が資源となる状況は、よろこばしいと思っている。しかし、こうした時代には、被差別者の顔は二つに分裂する。すなわち、差別に苦しみ、救いを求める表の顔と、その表の顔によって利益(通常は経済的利益)を得ようとする裏の顔である。これは、何も被差別者の根性がひねくれていて、世間を欺くという、批判的意味でいっているわけではなく、社会の理解が進み、社会政策が前進すると、自然とそうなるという価値中立的な意味でいっている。
 たとえば、国が何の政策も行なわなければ、同和地区住民にとって、自分の被差別性を社会に向かって叫ぶことは、かなりのリスクとコストを伴う。戦前であれば、警察の取締りを受けたり、世間からの排除を覚悟しなければならない。部落解放に殉じた人びとの自伝・評伝をみてもそのことは歴然としている。本人はもちろん、家族や周囲の人たちのこうむった災難は、個人の損得を考えると、まったくソロバンにあわないものである。
 しかし、被差別者の抑圧された状況を改善しようという社会的合意がある程度なりたち、国や地方自治体が社会政策を実行するようになれば、話は変わってくる。たとえば、同和事業でいうと、一九八四年のピーク時で、約百万人の同和地区住民にたいして、年額八千億円の事業がなされていた。単純に割り算しても、一人あたり八十万円になる。もちろん、この中の多くが公営住宅建設や道路整備など環境改善のための費用であり、個人の収入に直結するものではないが、そうした事業を請け負う同和地区の建設業者の得る利益は莫大なものがあり、そこで職を得る同和地区住民の利益も相当なものである。また、同和事業費に含まれる奨学金など以外にも、たとえば同和住宅の家賃が一般の公営住宅よりも低く抑えられていることに伴う支出の節約を収入と見なせば、経済的なメリットは、相当な額にのぼる。同和事業先進地域において、多い時期では年額一所帯あたり四百万円を越えたという試算もある。こうなると、実態はどうであれ、被差別の現状が「深刻である」と認識されることは、同和事業獲得のためには有利な材料、すなわち「資源」となる。
 このように、被差別者の顔が、反差別と経済的利益獲得の二つに分裂すると、その反映として、運動団体の行動も、差別をなくしたいという当初の目的とは別に、自分がよってたつ大衆に経済的利益を分配するという、もう一つの顔をもつようになる(もっとも、大衆に運動が規定されたというより、運動が大衆をリードしようとして、大衆の鼻先にニンジンをぶら下げて馬車を走らせているうちに、馬車の制御がきかなくなったというのが実態に近いが)。そして、大衆は経済的利得を望み、大衆によって選ばれた運動団体のリーダーは、大衆に利益を配分できる限りにおいて、大衆の支持を得られるという循環構造が成立する。
 反差別運動の渦中に身をおいていると、大衆にせよ運動団体にせよ、運動の目的が二重に分裂していることに気がつくのはむつかしい。相当、矛盾が激化するまで、利益の配分と差別の解消がぴったり重なっているように錯覚してしまいがちであった。最近発覚した、高知県の同和事業をめぐる不正問題などはこの例である。
 同和事業に関しては、今年度を最後に全国レベルでの事業がほぼ終結するので、この分裂は解消にむかうと思うが、現代社会における「被差別の資源化」という問題は、これから顕在化するであろう人種・民族問題など、他の領域でも考えなければならないことだと思う。