そのみちのコラム 5 自己中心性からの出発 灘本昌久
財務省印刷局編集・発行『時の法令』1648号、2001年8月30日

 前回書いたような正義の暴走は、人権運動の中で他にもしばしば見ることができる。たとえば、一九七〇、八〇年代ころに特定の地域で行なわれていた一校集中運動などはその一例だろう。これは、高校の校区を小学区制にして、そこに含まれる中学校の生徒すべてが決められた高校に行くというものである。事実上、高校までを義務教育制にして、しかも、かなり大きな学力格差の存在を無視、あるいは否定するような性質をもった制度である。一校集中の制度を回避して、私立高校へ進学する道もなくはなかったのだが、同和教育に熱心な教師や生徒からは、差別者呼ばわりされたり、裏切り者のレッテルが貼られることがあったようで、多くの生徒はこの一校集中運動に従った。一校集中運動がめざすのは受験競争の否定であるが、結果として、学力のある生徒は極端な平等主義の犠牲となって、進路を閉ざされてしまった。今では、この運動を推進していた人からも反省の声があがって、運動としてはすたれていると聞くが、この極端な反差別主義が、多くの子どもの人生を狂わせたことは、永久に取り戻すことはできない。
 また、ある同和教育に熱心な英語の先生が、差別撤廃に貢献することこそ緊要の課題であるとして、ほとんど英語の授業をせずに部落問題の学習に持ち時間を費やしていたという。そのクラスに属していたある在日韓国人の生徒が、「部落問題の学習は大切かもしれないが、自分たちの進路はどうして保障してくれるのだ」と問うたところ、満足のいく答えはなかったそうである。
 このように、社会正義の実現のためには個人の幸福追求はあとまわしにしてもいいという考えは、あちこちに顔を出し、取り返しのつかない犠牲を生み出してきた。
 私がこうした事例を見て疑問に思うことは、こうした極端な道を推し進めた人たちは、本当に被差別の生徒、恵まれない境遇にある生徒の利益を守ろうとして行動したのだろうかということである。多少なりとも、そうした生徒にとっても得るところがあれば救いなのだが、上記のような運動には、結局、利益を得る人がまったくいない。一部の極端な思想の持ち主が、、自分の信念を現実に投影し、自己満足を得ただけではなかったのだろうか。
 では、人権の尊重を進める上で,こうした正義の暴走を防ぐにはいったいどうしたらいいだろうか。私は、大学での人権教育の時間の冒頭に、「人の痛いのは三年でも我慢できる。差別問題を考える出発点はここや!」といって、自分中心の差別論の必要を強調することにしている。いわれた学生は目を白黒させている。それもそのはずで、かなり多くの学生は、さまざまな場で、人間の利己主義が差別や戦争の原因だ、利己主義の克服こそ差別解消の道だと教えられてきている。なのにいきなり、人間の自己中心性を否定してものを考えるのは危険なことである、といわれれば面食らうのももっともなことである。
 もちろん、私も自分の子どもにたいして、「自分勝手な行動はつつしみなさい」とか、「わがままな言動はいけない」とか諭【さと】すことがあるけれども、それは、子どもが嫌われたり不利益をこうむったりしないためというのが主たる理由であって、自己中心性=生きていく上で自分が一番大切という意識を根こそぎにするためではない。むしろ、最近の社会的引きこもりの青年の増加を聞くにつけ、自分を押し通す多少の戦闘精神、他人と闘う気概のようなものは、意識的に与えたほうがいいと思うくらいである。
 ところが、差別問題を考える空間(たとえば、同和教育の時間など)では、いきなりエゴイズムを批判して、「己【おのれ】を虚【むな】しくせよ」という説教から始まる場合が多い。また、人権問題に熱心な宗教家もしばしばエゴイズム批判を差別反対の根本においていたりして、講演先で議論になったりすると私と意見があわないことがたびたびある。確かに、自分のことばかり考えていたのでは、社会がなりたっていかないのではあるが、あくまで中心にあるべきは、自分の人生だろうと思う。このことが把握されていないと、差別をなくすためには、個人の人生は二の次、三の次となって、人権擁護の非人道的推進という悲劇がなされることになる。