そのみちのコラム 4  絶対的正義の危険 灘本昌久
財務省印刷局編集・発行『時の法令』1646号、2001年7月30日

 今から三十年近く前、高校の世界史でフランス革命をならった。フランス革命は、政治・経済・社会の面で封建制の否定であると同時に、思想的には中世的迷妄から合理的精神への脱皮であったと。この授業の時に先生のいわれたことが、頭のすみに残った。フランス革命の精神が行き過ぎて、理性を神のように崇拝するまでに至り、真理教までできて、多くの「迷信にとわられた人々」が処刑されたと。
 高校生の時は、この真理信仰について深く考えたことはなかったが、その後部落解放運動や様々な社会運動に手を染めて、「正義」「真理」の危険な性質について考えることが多くなった。そういう目で、様々な著作をひもといてみると、多くの人が「正義」や「真理」の危険性について論及していることに気づかされる。平凡社百科事典の編集などでも知られる評論家林達夫は「共産主義的人間」(1951)で「政治でいう真実というものがいかに観念的なものであるか」を論じているし、言語学者丸山圭三郎は『生命と過剰』(1987)の中で「戦後民主主義も新左翼も連合赤軍も、すべて顔を変えた神なのである」と指摘し、「徳」「正義」「真理」という名の錦の御旗の危険性を指摘している。司馬遼太郎も『〈明治〉という国家』(1989)で「イデオロギーを、日本訳すれば、“正義の体系”といってよいでしょう。イデオロギーにおける正義というものは、かならずその中心の核にあたるところに『絶対のうそ』があります。…イデオロギーはそれが過ぎ去ると、古新聞よりも無価値になります」と喝破している。
 差別に反対するということは、差別者対被差別者、強者対弱者、悪人対善人という構図にはまりやすく、よほど注意していないと危険な正義にとりつかれやすい。私の乏しい体験からもいえる(拙著『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』にも少し書いたので参照されたい)。そして、とりわけ教育の場で、こうした極端な真理信仰、正義の肥大化は猛威を振るう。戦前にあっては、現実離れした天皇の神格化が行なわれたことは周知のとおりであるし、現代にあっても、極端な反差別主義は、教育の場で全面開花してしまう。
 たとえば、同和問題において一番頑強にのこっている差別は結婚差別であろう。同和地区出身という理由で、若い人の結婚が妨害されたり破談になったりするのは、不幸なことだし、当人に大きな精神的ダメージを与える。ということで、ある同和教育・人権教育先進校では、同和地区出身者と地区外出身者が恋愛して結婚を志向するという場面を擬似的に作り出して、教師が部落出身外の生徒に「あなたは結婚できますか」という問いを発する。まともにものを考える生徒なら、相手の顔もわからないのだから、その場になってみないとわからないというような曖昧な答にならざるを得ないだろう。ところが、腕利きの人権教師は、そうした「逃げ」を許さず、あくまで正義を貫徹するように、つまり恋愛した相手が同和地区の人間でもかまわず結婚するという「正解」を求めて、生徒を追い詰めるというのである。
 かたや、私がじかに聞いた話である。京都北部にある同和地区出身のさる弁護士さんは、職業柄、同和地区出身の若い人の縁談を頼まれることが多い。そのとき、お見合いの席で、たとえばこのように話をする。「この娘さんは、××の同和地区出身です。人間性は私が保証します。どこに出しても恥ずかしくない、りっぱなお嬢さんです。もしよろしければ、もらってやってください。ただ、結婚したあと同和地区出身であるということで、差別されるようなことは困ります。幸せにすると約束してください。」こう宣言しても、多くの縁談は成立し、あんのじょういくつかは同和問題のゆえに、不成立となる。しかし、弁護士さんはこれ以上、正義を深追いすることはない。現実の変革というものは、かくもまどろっこしく、忍耐のいることではないだろうか。
 確かに、抽象的な理念から演繹すれば、部落差別は絶対的悪であるが、人間は無色透明な存在ではない。被差別者自身も、差別されてきたがゆえの貧困やさまざまなマイナスをまとっており、また、被差別者でない人も精神的にはしばしば弱者である。プラスマイナスゼロから出発できるわけではなく、世間のしがらみや自分のこだわりなどマイナスからの出発を余儀なくされるのが現実である。もちろん、それを百パーセント認めることはできないが、三分の理屈としては認めないと、人権擁護運動が非人間的なものになってしまう。