「なぜ『ちびくろサンボ』か 読まれることこそ重要」 灘本昌久

 

 『ちびくろサンボ』の原作がイギリスで出版されてから今年で百年、そして、人種差別であるとの批判をあびて日本で絶版になってから丸十年になる。この節目の年にあたり、私は同書を絵本『ちびくろさんぼのおはなし』として翻訳・復刊し、同時に『ちびくろサンボ』へのさまざまな批判をどう理解し、いかに差別問題を解決していくかの道筋を論じた『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』を刊行した(なお、さらにオリジナル版を英文のまま現物そっくりに複製した『THE STORY OF LITTLE BLACK SAMBO』も七月に刊行。以上は、いずれも径(こみち)書房より)。

 十年前の絶版の時にはずいぶん世間の耳目を集めた『ちびくろサンボ』ではあるが、葬られたまま今は遠い過去のものとして忘れられつつある。そうした時流に逆らって、『ちびくろサンボ』に関する本を出した目的は、三つある。

 ●面白さ楽しさ群を抜く

 ひとつは、私自身が幼いときに愛読し、絵本の楽しみを教えてもらった『ちびくろサンボ』を、これからも多くの子どもたちに読みついでもらいたいということだ。昔とちがい、今は子ども向けの絵本があふれているが、それらと比較して『ちびくろサンボ』は決してひけをとるものではなく、むしろ筋の面白さ、絵の楽しさ、言葉のシンプルさで、群を抜いている。そのことは、『ちびくろサンボ』を読んだときの子どもたちの楽しげな表情がなによりも雄弁に物語る。

 もうひとつは、『ちびくろサンボ』を原作どおりのイラストで読んでもらいたいということである。『ちびくろサンボ』は、もともと絵本として出版するために描かれたわけではなく、離れて暮らす我が子を励ますために、作者へレン・バナーマンが作った一冊の手作り絵本だったのである。現在は、イギリスでもアメリカでも、この作者自身のイラストで出版されているのだが、日本では日本人好みの絵ではないなどの理由で、別のイラストが使われてきた。しかし、『ちびくろサンボ』には、お母さんの愛情がこもったオリジナルのイラストこそ最もふさわしいと思っている。

 そして、三番目の目的は(これこそ私個人としての真の目的であるのだが)、今や教育や出版をはじめとするさまざまな場所で強く意識されるようになった「差別と表現」の問題について、一石を投じたいということである。

 ●批判の論点、時代で変化

 私が、差別問題に興味を持つようになった二十数年前にくらべて、今はずいぶんと人権にたいする社会の関心は高まり、理解は深まっていると思う。それ自体は歓迎すべきことだろう。しかし、喜んでばかりはいられない。

 一九七四年に『ちびくろサンボ』への批判がなされた時は、ほとんど世間の関心をひかなかったにもかかわらず、八八年に抗議がなされた時は、たちまちのうちにすべての出版社が絶版を決めた。この現象は、『ちびくろサンボ』を差別図書と批判した人たちにとっては、社会の進歩と映るようだが、私からみるとただ出版社の危機管理が徹底しただけのように思えるのである。「差別問題には近寄るな」と。そして、多くの人は、その場をただ黙って立ち去った。

 しかし、黒人の子どもがヒーローとして活躍しているとしか読めない絵本が、なぜ人種差別であるとの批判を受けなければならないのか、という素朴な疑問をつきつめると、さまざまな問題が浮き彫りになる。詳しくは、『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』を読まれたいが、たとえば、四〇年代までは、アメリカの黒人自身にとっても『ちびくろサンボ』は、子どもたちに読ませたい、代表的な推薦図書であった。また、日本では「サンボは差別語!」というのが絶版の主たる理由であったが、アメリカで四五年にはじまった『ちびくろサンボ』批判運動は、当初、「サンボ」という名前を批判の主たる理由とはしていなかった。

 第一の批判点は、サンボの生活や住んでいる環境が、未開であるということだったのである。つまり、黒人はトラが住んでいるような僻地(へきち)で裸足で生活している、と見られるのを快く思わなかったのである。このことは、露骨にいえば「アフリカの土人といっしょにするな」とアフリカの人々を差別するに等しい。しかし、アフリカ文化への評価が高まるにつれ、そうした理由は後景にしりぞく。

 かわって『ちびくろサンボ』の「くろ」がダメな理由となる。そして、さらに時間がたつと、「ブラック・イズ・ビューティフル」(黒は美しい)という黒人の意識運動をくぐり抜けて、「くろ」は無罪放免となり、「サンボは差別語」という理由が浮上したのである。

 ●人種差別解消の一歩に

 こうした『ちびくろサンボ』批判の歴史に、私はアメリカ黒人の苦闘の歴史を読みとるのであるが、そのことは『ちびくろサンボ』を人種差別であると断じて葬り去ることとはまったく別のことがらである。必要なのは、イギリスで生まれた『ちびくろサンボ』に投影された、アメリカでの人種差別の暗い影を引き剥(は)がしていくことなのである。

 そのためには、『ちびくろサンボ』の作られた心温まる歴史をしっかりと確認し、人種を問わず、子どもたちのあいだで楽しく読まれることこそ重要である。そうした道が、絶版によって著しく困難になっていたのだが、今回の出版が、人種差別解消への小さな一歩となることを心から願っている。