差 別 語

『思想の科学』532号、思想の科学社、1996年1月

                                灘 本 昌 久

 一九八〇年代に膨らんだバブルのひと泡に、差別語バブルがある。一九七〇年代から差別表現、差別語にたいする抗議行動が拡大していったが、それらは一応差別待遇の解消という、社会性と一体になっていた。ところが、一九八〇年代にはいるとそうした表現にたいするチェックがポッカリと宙に浮いて、表現の改善それ自体を自己目的化し、言葉のデリカシーを要求する運動のようになった。「馬鹿でもチョンでも」=朝鮮人差別、「片手落ち」=身体障害者差別であるというのは、その最たるものだろう。以前は、反差別業界内の内輪話であったものが、近頃はテレビの番組でこの表現を用いた参加者に司会者が「差別だ!」と注意するなど、かなり広範に市民権を獲得しつつある。私の大学での差別論講義を聴きに来ている朝鮮人学生や朝鮮人の友人から聞く苦情は、「馬鹿でもチョンでも」は自分も親も使っているのに、どうしてそれが朝鮮人差別になるのかというものだ。まことにもっともな疑問である。

 この表現の歴史的考証は別の機会にゆずるとして、私はこうした「××は差別語であり、被差別者を傷つける」という論法の有害性は、三つあると思う。第一は、ある言葉を用いるときの妥当性や正当性あるいは正義が、自分の外部からしかやってこないということだ。自分がどのような意図でその単語を使ったかということよりも、「この単語の意味はカクカクシカジカである」ということが優越していると、発話者にとって、その単語を用いることの正義は外部に存在するしかない。つまり自分自身の内部で確かめることに道をとざしてしまうのである。有害性の二つめは、被差別者がある言葉で傷つく原因の一半が被差別者自身に内在することを見落とすことである。アメリカ黒人が「ブラック・ピープル」といわれて傷ついた理由のかなりの部分は、「黒い肌はマイナス」という価値観を白人と共有していた自分自身の美意識によるのである。三つめは、反差別運動が安易に差別の証拠の仕入れができてしまうということである。差別反対運動にある程度成果があがると、差別事象は減ってくる。そのとき、なお差別が存在すると言いつのるのに、単語狩りは汲めども尽きぬ証拠物件の泉となる。むろん、そうした運動は退廃する。

 差別語を「なくそう」とする限り、その行動は言葉のデリカシー要求運動に収斂していくしかない。差別語は、「如何に向き合う」か、それが問題だ。