『京都新聞』1994年12月21日

水曜フォーラム「転換期の反差別運動」

                                 灘本昌久

 

 ここ数年来、差別問題に大きな節目がきているという感じが私の中で強まってきている。それは従来の反差別運動が依拠してきた枠組みの終わりともいうべき「時代の感触」である。

 たとえば、私の人権論の熱心な受講者であったある女子学生は、電車の中での雑談で悪びれずにいった。「今度の学園祭で、私たちのサークルは資金稼ぎに催しをやるんです。美人コンテスト!」。また、研究室に遊びにきた在日韓国人学生は食傷気味の顔で告白した。「最近の民族団体の主張には、うんざりするんです。民族の過剰で」。性の商品化は女性差別であり、美人コンテストはその最たるもの、というフェミニズムの主張。あるいは、朝鮮人は日本にあっても朝鮮民族の一員として民族的誇りを中心にすえて胸を張って生きていくべきである、という在日朝鮮人運動の主張。そうした運動の根幹をなしてきた主張に同調しない人々の広範な存在は、フェミニズムや民族運動の中だけでなく、部落解放運動や障害者運動、アイヌ解放運動、被爆者運動など他の様々な反差別運動に普遍的に見られる。こういう事例をあげると、「それは例外である」「そういう意識の低い考えは昔からあった」という反論がすぐさま返ってきそうであるが、数ある講義のなかからわざわざ差別問題関係の授業を熱心に聞きにくる学生の中にさえこうした感覚が広がっていることを、例外として無視したり意識が低いと切り捨てることは到底不可能である。

 この旧来的反差別運動の時代の終わりの感触というのは、決して悲観的なものではない。むしろ、従来の反差別運動が成功裏に推移し多くの成果をあげたことの結果であり、まちがっても悲しむべきことではない。一九六九年以降の一連の同和事業、一九八二年の入管法改正などによる在日朝鮮人の処遇の大幅改善、一九八五年の男女雇用機会均等法などによって、いままで個人の力では乗り越え難かった制度的、構造的障壁が大きく取り除かれることになった。こうした成果がなかったら、今よりはるかに多くの人々が日本で生きていくことの苦しさをかみしめているにちがいない。

 こうした制度的・構造的差別の解消は、戦後民主主義がめざしたことのメインテーマといってもいいだろうと思う。そして、現代の日本社会の様々な問題を改善していくうえで、まだまだ制度的・構造的に方策を立てていかなくてはいけない領域のあることを否定するものではない。しかし、にもかかわらず、差別問題に限っていえば、機会の平等を中軸とする戦後民主主義的理念が被差別者諸個人の生きやすさを深めなくなったというのが、様々な差別問題を研究していての実感である。それは、差別問題としてすくいあげることのできる被差別の中味が、今までのような生存に関わるいわば肉体的レベルから、美醜や貴賎などの感覚的レベルへと急激にシフトしていっているからなのだろうと思う。

 こうした差別問題の性質の変化を見ずに、旧来的な差別反対運動の戦略を続けていくと、人の美意識や価値観を外科的療法で変えていくことになり、そうした運動は、残念ながら抑圧的運動に陥っていくことを避け難い。ほかの領域の問題ならいざしらず、「人権擁護運動の抑圧的展開」というのは、それ自体自己矛盾というほかない。そして、その抑圧が被差別者をとりまく「差別社会」に向けられるならまだしも、本来運動の担い手である人々、しかも若い世代の人たちにとっても抑圧と感じられるならば、運動の目的からしてもゆゆしきことである。反差別運動の徹底的リストラを考えてゆきたいものである。