新しい差別論のための読書案内

松本修著『全国アホ・バカ分布考』(太田出版、一九九三年刊、一八〇〇円)

こぺる刊行会『こぺる』5号、1994年6月

灘本昌久

人を罵る時に使う「ばか」「あほ」にまつわって、人は人生のいろいろな場面でさまざまな経験をする。私は、神戸生まれなので、小さい時は「だぼ」である。ところが、大阪の祖父がこれを聞いて「なんと汚い言葉か」と憤慨していたと母から聞いた。「だぼ」はおそらく「どあほ」のなまったもので、耳に汚く響くのだろうなどと勝手に解釈していた。もうひとつ、広島出身の女房と夫婦喧嘩の時にうっかり「あほ」といったら最後、戦闘は長引く。「えーえ、どうせ私はアホですよ!」。彼女は「ばか」は受け付けるが、「あほ」は耳に馴染みがないらしく、ひどく傷つくのである。「関東が『ばか』、関西が『あほ』なのはわかるが、なんで関西より西の広島が『ばか』なんや、そんなアホな・・・」。敵軍の十字砲火を浴びながらも異文化接触の言語地理学的考察を怠らない私である。

ところで、そうしたアホ・バカにまつわる疑問の数々に答える名著が、今回紹介する『全国アホ・バカ分布考』である。視聴者のとぼけた疑問にも大真面目な調査を敢行するお笑い番組「探偵! ナイトスクープ」で放映したものを、プロデューサーの松本修氏が苦労の末まとめたものだ。そもそもの始まりは、「アホ、バカ」で傷つけあう大阪出身の夫と東京出身の妻から寄せられた「アホ・バカの境界線はどこにあるのか?」という素朴な問いである。レギュラーの北野誠探偵が調査に出発し、まず東京駅で老婆をおちょくってみる。「ばか!」と罵られて、西へと向かう。富士駅でも「ばか!」。ところが、名古屋駅で「たわけ!」。なんと、「ばか」と「あほ」の間に「たわけ」がはさまっているのだ。そこで、「たわけ」と「あほ」の境界を探ったところ、岐阜県関ヶ原町の国道をはさんで、西の町民一人が「あほ」、東の町民一人が「たわけ」と発語した。ここがめでたく、「あほ」の東限界というわけだ(そんなアホなと思いきや、のちにほぼ正しいことが証明される)。北野探偵は、番組で得意満面報告するが、終了まぎわに上岡龍太郎探偵局長が、秘書で九州出身の岡部まりにたずねた。「九州ではどう言うんですか?」「『ばか』、って言う気がしますね」「!」。関西の西には「ばか」が広がっているというわけだ。時に一九九〇年一月一九日、アホ・バカ解明の始まりである。

放送終了後の視聴者や局内の評判に気をよくしたスタッフは、次の放送で全国の視聴者に、自分の故郷での罵倒語にかんする情報を募ったところ、来るわ来るわ「あほ」「ばか」「だら」「はんかくさい」「あんごー」「だらず」「ふらふーじ」。これらをまとめた分布図を見た一人のディレクターが柳田國男の「蝸牛考」との一致を指摘する。蝸牛つまりカタツムリの呼び名は、関西では「でんでんむし」だが、その外側には「まいまい」、そしてそれ以遠には「かたつむり」圏がひろがっている。同様に、ある意味に関する各地の言い方は、日本列島が細長くなければ、コンパスで描いたように近畿を中心にした同心円状に分布するだろう、と。「方言周圏論」である。柳田は、直感的に指摘しただけだが、のちには言葉の多くが近畿を中心に生まれ年間九三〇メートルのスピードで外へ外へと伝播していくという研究まである。

 番組は、ついに罵倒語にかんする全国調査を敢行し、各地の教育委員会にアンケートを送った結果、一三七〇余通の回答を得た。それらを日本地図にプロットして分析した結果、非常に多くの罵倒語が近畿をはさむように東西に分布しており、その最遠部として「ホンヂナシ系」の言葉が東北(「ホデナシ」など)と鹿児島(「ホがない」など)に存在することまで突き止めてしまったのである。鎌倉南北朝期に京の都で使われた「本地なし」が遥かな旅の末、江戸期に日本列島の両端にたどりついたのである。この成果は、一九九一年一〇月に日本方言研究会というれっきとした学会で発表され、またその年の全日本テレビ制作社連盟賞グランプリほか、テレビ関係の賞を総なめにした。

 最近の差別問題業界では、真・善・美をもってよしとする風潮が幅をきかせており、罵倒語全般が差別語として葬られかねない状況であるが、アホ・バカもここまで極めるといとおしいから不思議である。「探偵! ナイトスクープ」に乾杯!