乳幼児発達研究所『はらっぱ』一六一号

わらべ歌と差別

灘本昌久

 

はじめに

 最近、差別語や差別表現についてあちこちで書いてきた。その主な動機は、ちかごろ多く見られる差別語や差別表現への抗議が、あまりにも字句にとらわれすぎ、真の差別問題解決には有害無益と思われるケースが増えているように思えたからである。そしてこの原稿を書くにあたり、大阪の保育関係者に聞いた事例は、ますますその心配を強くするものだった。たとえば、子どもの遊び歌にある「通りゃんせ」という歌だ。「通りゃんせ、通りゃんせ。ここはどこの細道じゃ。天神さまの細道じゃ。ちょっと通してくだしゃんせ。ご用のない者とおしゃせぬ。この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります。往きはよいよい、帰りは恐い。恐いながらも、とおりゃんせ、とおりゃんせ」という誰しも耳にしたことのあるポピュラーな歌だが、保育関係者の間では、この「帰りは恐い」が部落をさしての差別的意味を含んでいるので、子どもに歌わせるべきではないという意見があるそうだ。また、これとよく似たケースに、「ほー、ほー、ほたるこい。あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」の「あっち」は部落をさしておりよくないとの指摘もあるそうだ。私にいわせれば、そんな指摘をして歩いている人こそ、人々の潜在意識に部落差別を植え付けているようなもので、問題行動だと思うのだが、少なからぬ人が差別だという指摘に同意しているようなので、ここではそうした問題をどのようにうけとめたらよいかを考えていきたい。

 

 「ぞうり隠しの歌」は差別の歌か

 

 「往きはよいよい、帰りは恐い」については、私自身は直接クレームを聞いたことがないので、同様のケースとして、比較的よく知られている「ぞうり隠しの歌」を題材に考えていこう。「ぞうり隠しの歌」、あるいは「下駄かくしの歌」として知られているこの歌の歌詞は、代表的なところでは「下駄かくしチュウレンボウ 橋の下のねずみが 草履をくわえてチュッチュクチュ ちゅっちゅくまんじゅは誰が食た 誰も食わへんわしが食た 表の看板三味線屋 裏から回って三軒め」というものである。この歌詞の「チュウレンボウ」は部落にたいする蔑視語である「チョウリンボウ」の訛ったもので差別である、との指摘を聞かされたら読者の皆さんはどう考えるだろうか。今から二〇年近く前これを聞かされた私は、この歌が自分もよく歌っていた歌で、部落差別の意味をこめるなど思いもよらないことなので、変なことをいう人もいるもんだと、なかば憤りつつ聞き流していた。しかし、もうすこし「良心的」な人なら気になるところだろう。私も、すこし改心したつもりになって、考えることにする。

 とりあえず解放出版社からだされている『部落問題事典』をひいてみよう。すると、さすが部落問題に関することを網羅的に収録してある事典だけあって、ちゃんと「ぞうりかくし」という項目で解説してある。それによれば、この「チュウレンボウ=チョウリンボウ」説は、同和教育の先覚者である故盛田嘉徳氏が部落問題調査研究会の『調査と研究』一九六四年六月号に発表した「ぞうりかくしの歌」という論文が最初のようである。この雑誌自体は今では手にはいらないだろうが、部落解放研究所から出版されている『盛田嘉徳部落問題選集』(一九八二年刊)に収録されている。それをみると、盛田氏は、「歌詞の前後から推察すれば、この語は、元の形ではチョウリンボウと言われていたものであろう、と私は想像しているのであるが、現在、原形を残している例は、まだ見当ってはいない」とし、「こんな歌に、憶説的解釈を試みるなどということは、まことに愚かしいことではあるが、あえてその愚を試みる」と断わりつつ、「橋の下のネズミ」は、「子供たちが、草履をかかえてこそこそとかくしあっている自分たちの姿から、貧しい雪駄なおしの姿を連想し、差別と圧迫に苦しめられて、世をはばかり、人を恐れるみじめな様を、ねずみに見たててあざけり歌った差別的な意味の歌である」と推測を述べている。そして、論文の最後は、次のように結ばれている。「この小稿は、子供たちから草履かくしの歌を取り上げてしまうために書いたものでは、けっしてない。私の主意は、無心なわらべ歌を耳にしていて、ふといだかせられた疑問について、そこに含まれた問題の真実について、それを明らかにしてみたかっただけのことである。・・・もとは全く差別的な意味をもった歌ではあったが、長い年月の間には中味がすっかり昇華してしまって、現在では、もはやナンセンスな、口調だけの唱えごとに変ってしまったこの歌には、こだわるだけの意味内容はなくなっているのである。この小稿によって、草履かくしの児戯を、一層意味深い気持ちで眺められるようになっていただき、さらに、日頃、何でもなく見過ごしている些細なことの中から、かくれた過去の真実を見つけ出していただける誘いともなれば、望外の喜びとするものである。」

 盛田氏の論稿を読めばわかるが、「チュウレンボウ=チョウリンボウ」説には、まったく根拠はなく、「ねずみ=雪駄直し」にいたっては、本人自身が「憶測的解釈」「文学的妄想」といっているのである。あぁ、よかった。じゃぁ、この歌は差別ではないのか、一安心、一安心といきたいところである。ところが、さきほどの『部落問題事典』には、一九七二年七月に、兵庫県でぞうりかくしの歌が問題になったとある。いったいどんな事件だったのか。ここまで考えてきたのだから、ついでに探ってみよう。

 当時の新聞を探してみると、あった、あった。一九七二年七月九日付の『神戸新聞』は、「わらべうた『ぞうりかくし』/差別の歌だった/兵庫県教委が「自己批判」/保存楽譜から削る」という見出しでけっこう大きな記事を掲げている。それによれば、兵庫県教委主催の「第一回兵庫のわらべ歌合唱祭」で配布された楽譜集に「ぞうりかくし歌」があり、それを見た県教委同和教育指導室課長補佐の中川真澄氏が、差別の歌であると同じ庁内の文化課にクレームをつけた。クレームの内容は、盛田氏の論文と同趣旨である。指摘をうけた県教委では、さっそく各課にくばった二〇部を回収し、学校に配る予定だった一二〇〇部も発送をストップ。楽譜の「ぞうりかくし」は削除し「ずいずいずっころばし」「夏も近づく」に差しかえ、すでにママさんコーラスに配られた六〇〇部の楽譜も回収されることになった。そして、これから開く合唱祭ではこの歌は歌わず、その他のわらべ歌に問題はないかチェックし、差別を許さない文化運動をすすめていくということで、中川氏も了解し、けりがついたということである。新聞には県教委課長のコメントとして「キメ細かな点検をしていなかった点を深く反省する。学校に配布する楽譜は印刷をし直し、すでに渡した楽譜は回収する。これからは差別の歌は歌わぬように指導を強化していきたい」とあり、部落解放同盟県連委員長は、「むかしからの格言、詩、はやり歌、わらべ歌などの中にある差別性を平気で見逃している。今回の『ぞうりかくし』がそのいい例で、悪いことと指摘されすぐ処置をとった行政側の姿勢は一歩前進のように思う。」と県教委のすばやい対応を評価している。

 さて困った。盛田氏の論文を読んで安心したのもつかのま、兵庫県教委は楽譜を回収までして反省し、今後は歌わないように指導を強化していくと決意を語っている。そして、部落解放同盟もすばやい対応を評価しているらしい。もし、ぐずぐずしていたら県教委は怒られたに違いない。

 このままでは気持ちがおさまらないので、もう少し調べてみよう。さきほどの『部落問題事典』には、右田伊佐雄氏の『大阪の民謡』(一九七八年、柳原書店刊)が引用されている。これは、けっこう専門的な本で対象地域が大阪に限定されているので、どこにでもある本ではない。とりあえず、大阪府立図書館に行ってみる。さすが、膨大な蔵書を誇る中之島図書館(通称)だけあって、所蔵されていた。なかなか大部な本だ。この本で右田氏は、自身が「ぞうりかくし」で指摘を受けた経験を次のように語っている。「『下駄かくしチュウレンボウ』が部落差別の歌だとされ、現にこれを新聞や放送で取り上げて糾弾を受けた民謡研究家が少なくなく、マスコミではいまもってこの歌をブラック・リストに載せている。私もこの歌を放送しようとして、局のディレクターから拒否され、部落差別の歌ではないことをクドクドと説明して、やっと了承を得たことがある。いっぽう、どんなに説明してもわかってもらえないどころか、ある日刊新聞の連載読物が、この歌のために中止になった苦い経験もある。」なるほど、一九七〇年代に入ると、盛田氏の意図を越えて、差別の歌としてかなり排撃されたらしい。しかし、右田さん自身は、全国にある二一四例の「履物かくし歌」を検討しても、「チョウリンボウ」と歌っている例はなく、子どもたちの歌の原型がしばしば山伏(やまぶし)の唱える呪文からきていることが多いことから、「チュレンボウ」の語源は、常念坊、常陸坊、日光坊などの山伏たちの名前からきているのではないかという仮説を述べている。さて、どうしたものか。この著名な民謡の研究家によれば、「チュウレンボウ」は「チョウリンボウ」ではないという。

 『部落問題事典』からはこれ以上のことは探れない。そこで、ここからは私の知っていることをお教えしよう。部落解放研究所の「マスコミ・文化創造部会」では、一九八八年に「『わらべうた』と差別表現」というテーマで「ぞうりかくし」などにつき議論しており、この研究会の模様を『奈良新聞』一九八八年六月七日号が詳しく報じている。それによれば、「ぞうりかくし」が差別的といわれた経過や、さきの兵庫県教委の問題が紹介され、出席者からは疑問の声がだされたようである。これにたいし、木津譲氏(大阪府同和事業促進協議会常務理事)からは、「歌の題名が問題なのか、表現や遊びの内容自体が問題なのか、不注意な指導が差別につながるのか、さまざまな観点から差別について考えることが必要」との意見がだされ、林田哲治氏(東大阪教育研究所員)からは、「チュウレンボウ」は植物の「クネンボ」からの変化ではないかなどの意見が出された。また、これらの問題提起にたいし、出席のマスコミ各社から、「ホタル」「通りゃんせ」「竹田の子守唄」についても、放送終了後抗議の声が寄せられたことが報告され、「受け手のとらえ方で判断せざるを得ない」「(放送で)差別されたことを想起させ、不快さを訴えられては、差別の歌であるのかどうかを議論する以前に放送を自粛せざるを得ない」などの意見が述べられた。そして記者のまとめによれば、研究会としては「(一)抗議の声が寄せられたこと自体から判断して差別的歌を決めるけるのが差別的、(二)差別的可能性のある歌を一つの見解から是非の方向性を決めて問題解決とするのは言論の自由に反する。差別的と認められる歌について歌詞を改めていく方向にも慎重な態度が必要―としながら、さらに学問的研究を議論を深めていくことで意見の一致を見た」とある。

 ここまで、調べてくると、「チュウレンボウ=チョウリンボウ」の根拠は薄弱で、かつこの歌の禁止には反対意見が多いことがわかる。では、とりあえず差別の歌であるとはっきりするまで歌わせておくことにするか。ところが、そうもいかない。二、三年前のことだが、埼玉の部落出身女性で著名な文筆家の体験談を人づてに聞いた。その女性は小さいとき近所の子どもから「下駄かくし、チョウリンボウ」といっていじめられたというのだ。その女性の人となりやそれを私に教えてくれた人の信頼性からいって、けっして被害妄想や差別のあらさがしから出た発言ではない。この体験は、すなおに事実だと受けとめていただいてよいと思う。さて困った。現にこの歌で「チョウリンボウ」と差別された人がいるとなると、この歌が差別の歌でないとして子どもに歌わせていいものだろうか。

 

差別の基準はどこに置くべきか

 

 ふつうに生活をしている保母さんが、ある子どもの歌について差別かどうかを「判定」し、歌わせるべきかどうかを考えるにはどうしたらよいのだろうか。差別が大事な問題だとしても、何か差別であると指摘されるたびに、ここまで調べないといけないものだろうか。労をいとうわけではないが、日々の仕事でこなさなくてはいけないことは山ほどある。ここまでと同じ作業をしようと思えば、まるまる一週間はかかるだろうし、よほど部落問題研究者に知りあいでもないかぎり、この程度の調査もとうていおぼつかない。結局は、「差別!」という指摘の前には、「はい、わかりました」という答しか用意されていないのだろうか。

 私は、そうは思わない。そもそも、私がここまでやってきた作業の方法自体が誤っているのだ。つまり、歌それ自体をとりあげて、内容や語源をさぐったり、差別的に歌われた事例の有無を調べるというやりかただ。まず、歌の歌詞、とりわけわらべ歌の歌詞の「本当の」意味をさぐるなどということはできない。かりにこうだという説があり、ある程度なっとくできても、最終的に確定することはない。つねにひっくり返る可能性がある。「チュウレンボウ=チョウリンボウ」説を肯定する材料はこの先いくらでもあらわれる可能性はあるし、否定する材料があらわれる可能性はなおさら高い。では、そのたびにこの歌が差別の歌になったりならなかったりするのだろうか。そんなバカな話はない。現に歌ったという事実があるとき、それが事後的に差別になったりならなかったりするのは背理というほかない。

 ならば、差別的に歌われたという経験のある人の有無によればいいものか。こちらは、多少現実的ではある。しかし、さきほどの埼玉の女性の経験談は、私が偶然聞いたもので、誰でもがいきあたれる情報ではない。差別の歌であるという指摘を受けつつ、そうした体験談を直接聞けないことのほうが多いだろう。それに、「ぞうりかくし」の例でいえば、関西では部落をさして「ちょうりんぼう」とはいわないので、かりに関東でそういう例があったとしても関西人は納得できない。そうした地域性を無視して歌を葬ったさきほどの兵庫県教委のやりかたは、人の痛くない腹をさぐり、相互不信を助長するような本末転倒の結果に終わるしかないのではないだろうか。

 私が思うに、けっきょく実際に可能な作業はまず自分のまわりをみわたして、その歌がげんにどんな意味で歌われているかを考えることだけだろう。それ以外は、外からやってくる知識でしかない。外からやってくるしかない「正しさ」は、自分で確かめようもなく、権威のある個人や機関・団体におうかがいをたてるしかなくなる。ところが、そうして確定された判断は、人に伝えるときに自分の言葉ではなく、権威を振りかざしての押しつけでしかありえず、とかく鬼面人をおどろかす類の誇張された話になりがちである。そんなやりかたが、差別の解消に有効かどうかはいうまでもないだろう。むろん、自分のまわりをみわました経験を絶対化することはない。より知識や経験のある人に聞いてみて、ああなるほどと思いあたることがあれば、認識が深まるわけだ。しかし、それも自分の日常と照らし合わせて確認すべきものであって、ご神託のように受け賜わるものではない。それに、子どもの生活から縁遠いところでその歌がどのように歌われているかということを詮索することに時間をとられて子どもの日々の保育がおろそかになるようでは、本末転倒も甚だしいといわなくてはならない。

 要は、自分の身近での生きた現実が受け取るべき対象であり、かつ働きかける対象であって、それ以遠のことは、日常の経験とつきあわせて徐々に考えていくしかないのだと思う。

 

(註) 最近書いた、差別と言葉については以下のようなものがある。機会があれば参照していただきたい。

『ちびくろサンボ絶版を考える』共著,径書房,一九九〇年七月

「部落問題の地理学的研究と地名表記の問題点」『地理』三六巻一号、古今書院、

  一九九一年一月

『部落の過去・現在・そして…』共著、阿吽社、一九九一年六月

「『サンボ』を通して差別と言葉を考える」日本図書館協会『図書館雑誌』八一〇号、

  一九九一年五月

(なだもとまさひさ・部落問題研究者、近畿大学非常勤講師)

「まんがと差別」現代風俗研究会年報『現代風俗92』リブロポート、一九九二年