差別って、いったい何だろう

京都部落史研究所月報『こぺる』165号、1991年9月

 

考えるようになったきっかけ

 

 京都部落史研究所の灘本と申します。今日は、『ちびくろサンボ』を題材に差別問題について考えていこうということで提起をさせていただきます。新聞などで見ておられると思いますけれども、長い間、日本で子どもたちに非常に人気のある絵本として読み継がれてきた『ちびくろサンボ』が、人種差別絵本であるということで、絶版になっており、現在、本屋さんでは買えない状態になっています。私は、今回の『ちびくろサンボ』が批判され、絶版にされていく過程に、現在の差別問題の扱われ方がよく表れており、よくないことであると思っています。「差別」というレッテルが貼られた途端、皆が議論しなくなって、何が本質かわからない間に、出版物が消えていく。消えていったら、それでおしまい。こういうことが本当に差別問題の解決につながるのか、疑問に思います。今日はその経過も振り返りながら、私の考えるところを述べていきたいと思います。詳しくは、径書房というところから『ちびくろサンボ絶版を考える』という本が出ておりまして、この中に経過や、あるいは、絶版についての賛成意見、反対意見が、載っています。興味のある方は読んでいただきたいと思います。

 一九八八年の七月二二日、ワシントン・ポストという新聞が「黒人の古いステレオ・タイプが日本で息を吹き返す」という記事を載せました。その中で、「そごう」という百貨店で陳列されていた黒人のマネキン、あるいはビーチウェアに印刷されている黒人キャラクター等が批判されまして、その中に「ちびくろサンボ」も入っていたわけです。ここでいう「ちびくろサンボ」は『ちびくろサンボの絵本』を指していたわけではなく、サンボ・アンド・ハンナというサンリオから出ているグッズのほうのことを言っていたみたいですが、絵本のほうも無関係でないということで、批判されまして、それから半年ほど経って、一九八八年の一一月の末から八九年の一月にかけて、いろんな出版社から出ていた『ちびくろサンボ』が、全部絶版になってしまったわけです。

 それを聞いた時、「何かおかしいな」と感じました。自分も小さい時に読んできたし、運動の中で部落問題だけでなく、黒人問題とかも考えてきていましたから、「どこが黒人差別なのかな」と不思議に思ったんです。聞くと、アメリカではすでに絶版になっているという。『ちびくろサンボ』を批判する人は、「アメリカではこんなもん、絶版になっているんだ」ということでしたけれども、知り合いのアメリカ人に「アメリカでは、『ちびくろサンボ』は絶版になっているのか」と聞きますと、「いや、そんなことはない。アメリカでは、子どもに人気がある」と言うんです。その知り合いは白人だったんで、白人だから「人の痛いのは三年でも我慢できる」で、あまり関心がないのかなと思っていると、その人がしばらくして、「アメリカでも、『ちびくろサンボ』関係の本は出ていますよ」といって本のリストをくれたんです。

 そこでリストにある本全部を注文しましたら、どういうものがきたかといいますと、一つは絵本です。アメリカで現在、売られている『ちびくろサンボ』の絵本が三種類来ました。あとで、スライドで見ていただきます。それと、イギリスのBBCのプロデューサーが書いた、『ちびくろサンボ』の作者であるヘレン・バナーマンという婦人の伝記“Sambo Sahib ”、それと、“Sambo;The Rise and Demise of an American Jester ”という、絵本そのものではなく、サンボという言葉とか、あるいは、ステレオ・タイプといいますか、差別語としてのサンボについての研究書、それが送られてきました。もう一つは、“Little Black Sambo”という『ちびくろサンボ』についての論争を紹介した本です。これは、出しているところは、The Council on Interracial Books for Children というところで、子どもたちに人種関係を改善するためのいい本を提供しようという機関です。基本的なトーンとしては、『ちびくろサンボ』に反対はしているわけですけれども、どういうな経過で、どういう議論がされてきたかということが、詳細に書いてあります。

 これらの本が来た時、絵が日本では全然見たこともないものだったんで、非常にびっくりしました。日本で知られているのは、一番よく売れている岩波書店の絵本にあるニグロ系の黒人の顔で、僕らの年代の人は、これで読んでいます。ところが、後でスライドで見ていただきますけれどもアメリカで出ている絵本、あるいはもともとの絵本というのは、だいぶ趣を異にしています。

 この本を読んで、なぜ『ちびくろサンボ』が批判されるに至ったかということが、もうひとつ分からなかったんですけれども、これらの本を読んでよく分かりました。よくわかったというのは、「なるほど、『サンボ』はけしからん」というのではなく、「ああ、なるほどな。『サンボ』というのは、最初人気があって読み継がれてきたのに、こういう形で後に批判されるようになったんだなあ」ということが分かったんです。ですから余計に、

絶版なんて、とんでもない話だと考えたんです。

 

 

『ちびくろサンボ』の成立

 

 『ちびくろサンボ』の絵本を描いたのはヘレン・バナーマンという人です。旧姓がワトソンで、一八六二年にイギリスのエジンバラで生まれています。幼年時代をポルトガルのマディラ島で過ごし、父親はそこでスコットランド自由教会の牧師をしていました。一〇才の時、正規の教育を受けるためにスコットランドに帰ります。一八八九年、インディアン・メディカル・サービスの軍医であるウィリアム・バナーマンと結婚し、ヘレン・バナーマンとなりました。夫のウィリアムさんは、主にインドで伝染病の予防等にあたっていた人で、自身も伝染病にかかって、一時期、髪の毛が全部抜け落ちるような災いにもあい、伝染病予防のための仕事で殉職しているということです。

 ヘレン・バナーマンは、夫の仕事先のインドへ一緒についていきました。一八九三年、一八九六年、一九〇〇年、一九〇二年に子どもができ、それぞれ八〜九才の時、叔母の住むエジンバラに教育のために帰しています。自分たち夫婦はインドにいて、子どもは教育のためにイギリスへ帰したわけです。その子どもたちを元気づけるために、ヘレンは毎週手紙を送り、そこには、たいがい水彩で挿絵をつけていました。

 一八九八年、ヘレンは、子どもたちを連れて高原避暑地に行き、列車で夫のいるマドラスへ帰りました。その旅の途中、『ちびくろサンボ』の物語がヘレンの頭に浮かんだそうです。そして、絵本を作り子どもたちに送りました。これを見た友人は、彼女に絵本として出版することを勧めました。原作は、これよりまだ少し小さいわけですけれども、見開きになっていて、片方に絵が、片方に文章がついています。当時の絵本は、子ども向けと言ってもとても大きなもので、こういうスタイルの絵本は、非常に斬新なものでした。“The Story of Little Black Sambo ”は、一八九九年一〇月、Grant Richards社から出版され、ずっと版を重ねています。

 一九〇〇年には、アメリカに渡って、Frederick Astokes 社から出ました。それ以来、一九〇五年から一九五三年の間に、絵や文章の違う異版が二七種類以上も出ています。これらの中には、さっき見ていただいたように、絵もあまり好ましくなかったり、黒人が聞くと侮蔑感を感じるような、黒人なまりふうのセリフに書き改められている版もあります。他に、フランス、スペイン、オランダ、ドイツ、ヘブライ、アラブなど各国語に翻訳されたということであります。

 

 

『サンボ』への批判

 

 今世紀の初めから一九六〇年代まで、サンボは推薦図書のリストに載り続けていました。ストーリーの展開とか、絵とかで、イギリスでも、アメリカでも、ずっと高い評価を受けてきています。ところが、これに対して批判がだんだんと持ち上がってきます。

 一九三〇年代末、アメリカで、児童文学における黒人の扱われ方に対し大衆的抗議が起こりだしました。一九三七年から三八年にかけて、さらに関心が高まります。文学の中に黒人があまり出てこなかったり、出てきたとしても脇役的な扱われ方だったり、あるいは性格的にも、あまりよくない性格として描かれている。そういうことに対して、黒人の側から抗議が高まり、この時期そういう研究が増えてきます。一九四二年にエレノア・ウィークリー・ノーレンが、児童図書における方言や性格描写における危険なステレオ・タイプについて警告しています。こうして、文学のあらゆるレベルでの、黒人に対するステレオ・タイプ化された扱いに抗議が起こり、一九四〇年代には、多くの論文が書かれています。

 はじめ、『ちびくろサンボ』は、そうした他の否定的な本と比べた場合、黒人の子どもにとってフレッシュで能動的なイメージの模範的モデルとされました。文学における黒人の扱い方に対する問題提起が始まったころ、『ちびくろサンボ』は黒人が主人公で、幸せな家庭生活を送っているというような、比較的好ましい黒人の扱い方がなされているということで、インド風の物語であるけれども、アフリカ系アメリカ人の扱われた図書としてリストに載っていました。“The Negro:a Selected List for School Libraries of Books by or about the Negro in Africa and America(1935年) ”という学校図書館向けの本のリストにも、『ちびくろサンボ』が掲載されています。このリストは、The Division of School Libraries of the Tennessee State Departmentというところが編集したもので、かつこれを提案しているのは、The State Agent for Negro Schools 、アドバイザ−がCharlemae Rollins,the Director of the Department of Reseach of the National Urban Leagueというところです。このNational Urban League というのは、部落解放運動で言えば、部落解放同盟みたいなところで、非常に古くから活動している団体です。NAACPという老舗の運動団体と並ぶ黒人組織で、そこの人がアドバイザーとして加わっています。その中で、『ちびくろサンボ』は、黒人をよく扱っている推薦図書として、リストにあげられていました。このリストに関して、オーガスタ・ベーカーという黒人女性図書館人の草分けの人は、一九四三年に「ジェ−ムズ・ウェルドン・ジョンソン記念コレクション」に関して論文を書いている。その中で、“The Negro;a Selected List for School Libraries of Books by or about the Negro in Africa and America ”についてコメントしています。そこには、このリストが「黒人生活のあらゆる側面についての、かたよりのない、正確な、均整のとれた絵を子どもたちに提供する本を収集することを目的とし」、「言葉・テ−マ・イラスト」の三点に留意して選択されたとあります。この中に『ちびくろサンボ』が入っているわけです。つまり、有名な黒人の図書館人であるオーガスタ・ベーカーさんがほめた、黒人運動団体である全国都市連盟の調査部長がアドバイザ−として参加している黒人のための本のリストの中に『ちびくろサンボ』は黒人をうまく扱ったいい本だといって書いてあるということです。

 

 

批判の要点

 

 次に、資料の七五ページにあります、挿絵の問題です。挿絵に対する批判としては、「戯画化されたミンストレル・ショー風の絵である」というものがあります。ミンストレル・ショーというのは、数人が舞台に上がってやる即興劇みたいなもので、その中で、黒人をいつもニヤニヤ笑って、アホやけども善良で、みたいなステレオ・タイプとして描いている出し物がよくやられたそうです。白人が顔を真っ黒に塗り、口だけを白く塗って、黒人の恰好をして演じるミンストレル・ショーに、『ちびくろサンボ』の絵はよく似ているというんです。

 また、Ann Allen Stockleyという人が一九七〇年に書いた次のような批判の文章があります。「ニグロの子どもたちに関する出版の歴史において、ヘレン・バナーマンの『ちびくろサンボ』が初めて出版された一九〇〇年」、これは事実誤認で一八九八年ですけれども、「という年は、暗い後向きの一歩であった。擁護派の白人の図書館人が、いくらこの本はインドの少年の物語であるといってみたところで、赤くて厚い唇のこっけいな挿絵、ぎんぎらぎんで不調和な赤いコート、青いズボン、底と内側が真っ赤な紫色の靴、さしかけた緑の傘、それにサンボという名前まで加わって、何世代にもわたって白人の子どもたちにニグロの子どもたちのステレオ・タイプ化されたカリカチュアを示してきたのだ。破壊的な効果をもつこの物語は、黒人の子どもをおとしめ、からかうカリカチュアを提供することにより、疑いもなく発達中の白人の子どもたちの心に長く醜い影を落としてきた」。

 名前に関する議論について言いますと、ある時期、多くの教師や図書館人は、リトル・ブラック・サンボのブラックという形容詞が、『ちびくろサンボ』の不快さであると考えました。アーバスノットの『子どもと本』がその一例であるとされています。

 話がやや横にそれますが、黒人の一般的な呼称でブラック・ピープルというのがあります。ところが、もともとはブラック・ピープルという言い方はあまりいいものではないと思われていたんです。今の感覚では、「何で?」と不思議に思うかもしれませんけれども、かつて黒人は、白人から徹底的にしいたげられ、黒人であること自体が恥ずかしいという状態までおとしめられていて、ブラック・ピープルという言い方をされるのを、非常に嫌ったんです。一九六〇年代末、キング牧師暗殺事件の頃までは、ブラック・ピープルという言い方はしていません。それまでは、カラード・ピープルという、色つきというか、有色人種というような言い方が品のいい言い方とされていたんです。ブラック・ピープルという言い方は、露骨で品がなく、育ちのいい人は使わない言い方とされていました。そして、黒人の多くはニグロと自称していたんです。いまNHKの教育テレビで、毎週金曜日の八時から、公民権運動を描いた番組を放映しています。ちょうど昨日、キング牧師が暗殺されるところまでをやりました。その番組の中での演説を聞いていますと、一九六〇年代のなかばぐらいまで、黒人自身、ほとんど例外なく「我々黒人は」という意味で、もっぱら「ニグロ」を使っていました。ブラック・パンサーなんかが出てきた頃から、ブラック・ピープルという言い方をしはじめるんです。つまり、六〇年代の半ばまではニグロというのが自称であって、ブラック・ピープルという言い方はよくないとされていました。だから、リトル・ブラック・サンボのブラックという言い方も、当然嫌がられと思います。

 「この作品は、出来の悪い本がもたらし得る害の代表的な例ではなかろうか。ちびくろサンボの登場人物には悪意はなく、とりとめもない物語である。しかし、あとになってすべての黒人にサンボあるいはブラック・サンボとあだなをつけるというつけをはらわされることになった。これらの呼び名はDago(軽蔑的にスペイン系の人)、Heinie(軽蔑的にドイツ人)、Wop (軽蔑的にイタリア人) と同様に、そう呼ばれた人の気持ちを逆なでするものなのである」。これはポール・コーネリアスという人の意見で、また、黒人はサンボという名前を聞くだけで嫌なんだという批判も現れています。

 サンボの語源について、従来どういう批判がされていたかというと、スペイン語のZambo で、O脚あるいは猿という意味である。西アフリカの民族の名前である。あるいは、セネガルのフラニ語の「おじさん」という意味であるとか等々の意味。ハウサ語で「二番目の息子」。アメリカでスペイン人が奴隷をさして「サンボ」という。あるいはアメリカ南部で白人の血が1/4、黒人の血が3/4の黒人をさしてサンボという。あるいは、ミンストレル・ショ−のエンドマンをサンボという等々の説がありますが、それらの中でサンボという言葉が差別語だという論拠になっていたのが、最初のスペイン語のZambo 、O脚あるいは猿という意味であるということです。ヘレン・バナーマンは、この猿という意味からとったサンボという名称をわざわざつけよったんやという批判をされてきたんです。 名前の問題については、最近、径書房から出されました『ちびくろサンボ速報』の中で、国連関係機関に勤めてインドで長く仕事をしておられた方が、インドのチベット方面のシェルパ族では、「サンボ」というのは、日本で言うと「太郎」みたいな非常にありふれた名前で、「マンボ」「ジャンボ」もよくある名前であると書かれています。サンボが「優秀な」、マンボが「たくさんの」、ジャンボが「大世界」という意味であるそうです。ヘレン・バナーマンさんは、たぶんここから名前とったんだろうという可能性も出てきています。

 『ちびくろサンボ』がアメリカに渡った時、すでにサンボという言葉があまりよくない言葉として流通していて、その二つが合体したような形で、批判されるに至ったんじゃないかと思います。『ちびくろサンボ』が、アメリカでどういう否定的な状況をもたらしたかというと、次のようなことです。「『ちびくろサンボ』についてのあなたの記事を読んで、私はむかし学校で先生がその話を私たちに読み聞かせた時のたいへん辛い経験を思いだしました。そのころ学校の中で(一九四六〜四七年、コネチカット州ウェストポート)私は唯一の黒人の生徒でした。その話を聞いたあと何人かのクラスメ−トが私のことをきまってサンボと呼んだことを覚えています。彼らは、育ちがよかったので、ニガーとは呼びませんでした。そして初めてもう学校になどいくもんかと思いました。今日まで私は、母にサンボが無害であると言った教師と校長を憎んでいます。唯一『ちびくろサンボ』で学んだのは、それ以後学校生活で用心深くなったということだけでした。いえ、いかに一人の子どもをだめにするかを示す実例になっただけなのです」。そういう否定的な例があります。

 また、ジェシ・バーサという人は次のように書いています。「次第に一部の白人の教師・司書が、一見無害な『ちびくろサンボ』にひそむ否定的な意味あいに気付きはじめた。もっとも黒人児童図書の専門家が、その名前に問題のあることを司書に再び警告する必要を感じたのは、つい最近、一九六九年のことである」「もしこの種の話が黒人と白人の両方がいるお話の時間や教室で読まれることがあれば、黒人の子どもたちにいやな思いをさせ、さらには劣等感までいだかせるようになる。なぜなら、白人のクラスメートが黒人の友人を見てニヤニヤし、サンボと呼んでいじめるからだ。ある本がどんなに面白かろうと、一部の人々の気持ちを踏みにじってまで、その本を楽しむ権利は誰にもないのである」という批判です。

 以上がサンボという名前に関しての批判、かつそれがもたらした否定的事例を紹介したわけですけども、次に、さっき見てもらった『ちびくろサンボ』の絵本の筋立て自体に、どういう批判がされてるかということなんですけども、いろいろあるわけですが、落ちたバタ−を食べるというのは、黒人を何だと思っているのか、そんな非衛生的なことはしない。あるいは、サンボの服装を見て黒人は原色を好むという偏見を表している。黒人が色彩感覚がないと思っているのかという批判。お母さんが二七枚、お父さんが五五枚、ちびくろサンボは一六九枚食べた、というのはけしからん。黒人が異常な食欲の持ち主と思っている証拠やという批判。

 そういう経過で現在に至っておるわけであります。主には一九六〇年代に批判され、あちこちで図書館から撤去を要求されていきます。日本みたいに、全部やっつけてしまえ、というようなことで無くなってはいませんが、図書館で閉架図書にしているところもある。要するにオープン・スペースではなくて、司書の人に頼めば出てくるところに移してある場合もあるし、そういうことは一切してない場合もあります。

 出ている部数ですけど、イギリスでは、だいたいオリジナルに近いものが現在、年間一万部ぐらい刷られて、子どもに読まれています。アメリカでも、現に僕が買ってもっているのでわかるように、印刷されて売られております。ですから、「世界中でなくなっているのに、日本でだけ絶版になっていない」というのは誤りでありまして、むしろ、完全に読めない状態になったのは、おそらく日本だけであろうと思います。

 

 

日本での論議

 

 日本での論争については、時間がありませんので、詳しくは「『ちびくろサンボ』の絶版を考える」に書いた文章を読んでいただきたいと思います。簡単に触れておきますと、一九五三年に岩波書店が絵本を出しています。当時は戦後すぐで、子どもの絵本のいいものは供給されていませんでした。それに、絵本というのは、出版界では地位の低いものであったわけです。ですから、岩波が絵本をてがけるということには、皆ある種の驚きがあったわけです。あの岩波書店が、なんと絵本みたいなものに手をだすんかということで。それぐらい、子どもに絵本を与えることの重要性は認識されていなかった頃でありまして、そこに出たこの『ちびくろサンボ』は、非常に好評を呼びました。非常にいい本だということで、子どもに人気があった。

 昔は、今みたいに、おいしいおやつが当たることはめったにありませんでしたね。ぼくも記憶があるんですが、親にデパートなんかに連れていってもらったとき、ひと通り買い物が終わると屋上に近い食堂にいって、そこでご飯を食べさせてもらうのがとてもうれしい時代でした。それが終わってからデザートにホットケーキを頼むと、一センチ五ミリぐらいのホットケーキが二枚重なって、上にバターのかけらがのっかって、シロップがかかっていて。今は、家で焼いて食べれますから、そうありがたみがないですけれども、昔は、無性にうれしかったのを覚えています。『ちびくろサンボ』の絵本では、一つは虎をやっつけるという筋の面白さもありますけれども、最後のホットケーキを山のように積んで食べるというところに、ものすごくうらやましいという印象をもったのを覚えています。私は一九五六年生まれですから、『ちびくろサンボ』がちょうど大量に読まれている時期に小さい時を過ごしたわけです。『サンボ』が日本でも子どもたちに人気を博した時代、たぶん、そういう読まれ方をしてたと思うんです。

 一九七一年頃から、アメリカなどの影響を受けて、『ちびくろサンボ』という絵本に問題あり、ということで議論されるようになりました。特に、七四年に『月刊絵本』という雑誌で、『ちびくろサンボ』が全面的に批判されます。黒人を傷つけている本を日本人がへらへら笑って読んでいると、手厳しい批判がされております。当時は、ちょうど差別問題というのが社会的にクローズアップされてきた時代です。それまで、文学批評の中に差別問題というような切り口はなかったと思うんです。いくら面白くても、差別問題という別の切り口から見れば、この作品はこういう見方もあるんだという言い方をしたのが、全く無駄であった訳ではなかったとは思いますけれども、今から読み返してみますと、やっぱり時代の産物やなという気がします。差別問題というのが、社会の前面にクローズアップされるという時代の勢いをかりた三流批評という感じが、ぼくはするんです。

 

 

語源と差別

 

 以上が『サンボ』とそれをめぐる論争の紹介です。次に、それを踏まえて、ぼくの考えていることをいくつかお話したいと思います。

 まず、サンボは差別語やという議論ですね。これが一番、人のど肝を抜くというか、知らない人は、びっくりする話です。日本人にとったら、サンボでなくとも、ヤンボーでもマーボーでもいい訳で。とにかく、「サンボ」が差別語やというので、どんな言葉やったんやろなと調べてみたんですが、先ほど紹介したように非常につかみどころがない。言えるのは、少なくともアメリカの黒人にとっては、悪いことを思いださせるというか、侮蔑的な響きをもった言葉ではあるということですね。けれど考えんといかんのは、さっきも説明しましたが、この本は、長い間、黒人の子どもが主人公になって登場する、いい物語だと黒人自身からも言われてきてたことです。だから、「サンボ」という言葉がどれぐらい否定的なイメ−ジを黒人にとって、そして白人にとって引き起こしているかというのは、少し考える余地はあると思うんです。もしも、本当にすべての黒人にとっていやで、使うだけでも身の毛もよだつような差別語であれば、黒人の本のリストに載ったり、黒人の図書館人に推薦されるような本にはならないだろうと思うんです。かなりの時代を経て批判されるようになったということは、「サンボ」という言葉の持っているニュアンスも、それほど一律に百%批判されるほど否定的なものではなかったのではないか、というのがぼくの推測です。

 そもそも、ある言葉が差別語であるか否かということは特定不能なことだとぼくは思うわけです。差別するのに用いられやすい単語はあっても、言葉そのものが差別語であるわけではない。具体的状況の中でのみ検討ができるんです。何々という単語は差別語や、という言い方というのは基本的にできないというのがぼくの考えです。ただ、ある特定の言葉は差別するために非常に使われやすい。あるいは、使われ続けた結果として、使うだけで差別する側、される側、両者に特定の意味を引き起こす言葉というのはあると思いますけれど。単語そのものが、固定的な意味を持っているわけではないんです。

 語源の問題ですけれど、かくかくしかじかやから差別語やと、これも非常によくやるやり方ですけれども、あまり好ましいことではない。ある言葉から非常に差別的なニュアンスを感じられる時に、語源をたどってその背景を探るとかいうことはできても、かくかくしかじかの語源を持っているから差別語や、という言い方はできないだろうと思うんです。

 語源というのは実はいいかげんなものでして、ある言葉の語源なんていうのは、なかなか確定しようもないことです。例えば、サンボは差別語や、スペイン語のZambo でO脚もしくは猿という意味や、黒人を猿と同列に扱っていることが語源でわかると言われてきました。ところが、さっき言いましたように、いやいや違うんだ、インドのシェルパ族の言葉には、こういういい意味があるんだという説もある。ヘレン・バナーマンが住んでいた地域とか状況から考えて、差別語じゃないという理論も成り立つわけです。しかし、その説にしても覆る可能性は常にあるわけです。語源はかくかくしかじかやと言っても、それは常に覆る可能性があって、確たるものではない。サンボだったら、「サンボ」と言った時に言葉は意味を持って発せられている。語源によって「サンボ」の意味を探ろうとすれば、常に新説によって覆る可能性があるわけですから、未来永劫、語源というのは定まりません。意味を持ってその言葉が発せられているのに、その言葉の意味が定まらないというのは、変な話になります。ですから、語源というのは、補助的手段ではありえても、言葉そのものを差別である、ないと判定することはできないというのがぼくの考えです。

 

 

ステレオ・タイプの克服

 

 「『ちびくろサンボ』=黒人に対するステレオ・タイプ」という批判ですけども、まず一つは原作がステレオ・タイプとはほど遠いものだということです。さきほど見ていただきましたように、肌は真っ黒けで、唇が分厚くて、どんぐり目玉で、というような典型的なニグロの描き方とは全然違う絵ですね。ですから、ステレオ・タイプであるという批判は当たらないと思います。そのことに関連してですが、文化圏を越えた差別というのは、ありえないというのがぼくの考えです。この場合、唇が厚く、色が黒いという特徴が、その文化圏でどんなマイナスの価値を与えられているかが問題であろうと思うんです。

 ある民族を思い浮かべれば、ある特定の映像的なイメ−ジというのが、喚起されますね。アメリカン・インディアンを思い浮かべれば、羽根の飾り物をつけたインディアンが思い浮かぶだろうし、エスキモーだったら、毛皮を着た、犬ぞりに乗ってるような、寒いところにいるエスキモーを思い浮かべます。たとえば、弓矢を引き、犬ぞりに乗って雪の上を走っているようなエスキモーの絵を描いたとします。それがエスキモ−にとって、いかなる意味を持っているかということは、絵だけからは客観的にわかりません。エスキモーが、自分たちの文化に対して、どういう考え方、感じ方を持っているかによるわけです。たとえば、エスキモーが機械文明・工業文明に侵略されて、徹底的に文化を破壊され、お前たちの文化は、劣っているんだ、犬ぞりをひいて狩りをしているような人間は劣った人間だということを、文化的に強要されたとします。エスキモーがそれを受け入れれば、自分たち自身の生活なんていうのは、全く否定的なものとして、自分たち自身にもイメージされるわけですね。そういう状況におかれたとしますと、我々がエスキモーを思い浮かべて、犬ぞりに乗って、弓矢をひいているエスキモーの絵を描いたとしますと、それは当然、怒りの対象になってくる。「昔はどうか知らんけど、今はこんな格好はしとらへんぞ。スノーモービルに乗って、ライフル撃っとるんや」という怒り方が出てきて不思議ではありません。

 ですからステレオ・タイプといった場合、ある民族からある特定のイメージを思い起こすということ自体が、悪いわけではなく、それにどういう価値づけを行っているかということが、問題にされなきゃいけないわけです。黒人の絵が決まりきったパターンである。唇が分厚くて、色が真っ黒で、目が大きいというのがけしからんのではなくて、それにマイナスの価値づけがされているということが、問題だと思います。かつ、黒人がそういうものをマイナスとして受け入れていることも、克服の対象とされなければなりません。ブラック・ピープルという呼ばれ方をされるのがいやな間は、黒人はどういうふうに描かれても、やっぱり黒人にとって、いやな描かれ方だろうと思います。

 

 

差別に関する報道のあり方

 

 今回の問題のきっかけになったワシントン・ポスト紙の報道についてですけれども、日本で人種差別が強まりつつあるような印象を与えるのは一種のデマゴギーです。言葉がきついですけれども、そういうふうに思います。ワシントン・ポストというのは、アメリカの全国紙です。日本の場合は、新聞というのは、全国紙が主ですが、アメリカでは地方紙が主で、全国紙は少ない。その少ない全国紙の中に、「日本では……」ということで、センセーショナルに訴えられた。僕は、あの報道にはそれほど意味がない、というよりよくない報道の仕方だと思っています。日本における黒人の扱われ方なり、黒人に対して持っている日本人のイメージというのをもう少し検討してから、本当に黒人差別が強まっているのかどうかを考えてもらわないと、不要な摩擦だけが増えるんじゃないかと思います。 確かに、ぼくなんかが小さい頃に黒人に持っていた印象、日本人がかつて抱いていた印象を考えますと、やはり、野蛮人というか、自分らより劣っている、とにかくマイナスの価値づけを持って見ていたということはあります。それらが全く払拭されているとは思いませんが、いろんな分野に黒人が進出してきて、主にはスポーツ選手、あるいはエンターテイナーですけれど、そういう人がどんどん日本に入ってきて、そういう人たちの力によって、全体状況としてはステレオ・タイプ的な印象から脱却してきていると思うんです。クロマティがおれば、オスマン・サンコン氏もいるというように、知っている黒人の数が増えれば増えるほど、ステレオ・タイプ的な見方というのは、減っていくでしょう。もちろん、楽観することばかりでないかもしれませんけども、減っていってると思います。今の子どもの持っている黒人への印象は、ぼくらの頃から比べれば、格段に改善されていると思います。この点については、異論もあるかと思いますけれども、ぼく個人が感じていることを言えば、改善されてきていると思います。そこからすれば、「日本では、アメリカで死に絶えているような人種的カリカチュアが復活しておる」というような書き方は、差別問題の解消にはあまり役に立たない。むしろ、アメリカの黒人に「日本ではとんでもないことが起こっているん違うか」という気持ちを呼び起こすだけで、そうすると日本から足も遠のくだろうし、本当の意味で対話を開始するようなきっかけには全くならないと思います。

 

 

差別の痛み

 

 もう一つ、「差別の痛み」論というのが、『ちびくろサンボ』の議論の中で出てきています。「差別されている者しか、差別かどうかはわからない」というものです。特に、絶版を主張した人は「差別かどうかなんて議論する必要はない。そんなことは自明で、反省するかどうかが問題なんだ」というふうに提起されていました。けれども、これが結局、差別問題を袋小路に追いやった、重大なきっかけだったと思います。少し冷静になって、せめてさっき紹介しました、『ちびくろサンボ』の論争を紹介したようなパンフレットを翻訳して出すぐらいのことをしておれば、「臭いものにはフタ」ということには終わらなかったと思います。

 さっきから繰り返していますけど、黒人自身にとっても、克服すべきことが数多くあるわけです。自分たち自身をどう考えているのか。ブラック・ピープルという言い方をしてほしくない、カラード・ピープルと言ってほしいとかいう心理状況だと、白人の文化に対抗するだけの強さを蓄えられません。鏡に映っている自分の姿を自分自身で嫌悪するのであれば、いったい、誰に対して解放の要求をすることができるのか。とてもじゃないですけれども、黒人が嫌がってるからやめとけ、というような議論は成り立ちません。黒人は一体何を嫌がっているかということをよくよく見極めて、黒人が嫌がっていること自体にも問題が含まれているとすれば、「それは、こうと違いますか」と言うのが本当の友情だと思うんです。「嫌がってるからやめよう」では、話にも何にもなりません。

 今、差別問題としていろんなものが取り扱われていますけれども、水膨れして、拡散してしまっているというか、何が本当に問題なのかということが分からなくなってしまっている状況があります。いろんなものが差別と言われるわりには、差別を克服するきっかけにもなっていないし、人間を変えるようなインパクトもありません。一つの原因として、この差別問題の上滑りな扱われ方があると思います。例えば、資料にも載せています「ぞうりかくしの歌」。「げたかくしチュウレンボー……」という子どもの遊び歌があるんですけれども、このチュウレンボーというのは、「チョウリンボー」という差別語から出てきているという説が、一九六〇年代ごろ言われました。関東方面で、被差別部落をさして差別する言葉として「チョウリンボー」というのがあるんですが、これに違いないと言われたんです。非常に根拠薄弱なんですけれども、一時、わらべ歌の歌集から「ぞうりかくしの歌」を削るような時期がありました。このは説自体に根拠がなく、全くナンセンスであるということは、議論の中で明らかになっています。でも一方で、現に埼玉では小さい時、友だちに「げたかくしチョウリンボー」と言われていじめられた経験をもっているという人もいます。歌そのものを問題にしてほじくっても、それを具体的な状況から切り取ってきて、プレパラートにのせて顕微鏡で覗くような作業をしてみても意味がありません。その人を取り巻いていた状況をもう少し具体的に見ないといけないと思うんです。けれども、現在の差別語の問題のされ方は、逆なんです。具体的な状況から離れちゃって、言葉だけを取ってくる。「サンボ」が差別語や否や。「げたかくしチュウレンボー」のチュウレンボーはチョウリンボーや否や。いくら議論したって、意味のないことです。その言葉が、ある否定的な意味合いをもたらすとしたら、それを取り巻いている差別的な環境を、もう少し見つめていく必要があります。それが、全く転倒した扱われ方がされているのが、現在の差別問題の由々しき状況であろうと思います。

 

 

被差別者の被害感情

 

 最後に、さっきも触れました、被差別者の被害感情とは何か、課題は何かということですけれども、差別を支えている価値観を共有している被差別者が自分自身との闘いを進めるという課題を設定しなくてはいけないと思います。被差別者が、自分が何か不快だというふうに思った時に、「不快だからけしからん」とは結論づけられないということです。例えば、「エタ」という言葉を聞くだけでもおぞましい、「エタ」という字を全部消してしまいたいというような感情に襲われているとしたら、その人自身の中に、克服すべき課題が山積みしているということを指摘できると思います。「エタ」という言葉が嫌いで、それに墨でも塗りたいと思っている部落出身者がいたとします。その友人は、この部落民に対してどういうことを言うべきか。一緒に本から文字を消すのを手伝ってあげるのが、本当の友人であるのか。あるいは、彼の、彼女の話をよく聞いて、言うべきことは言うのが、本当の友人であるかは、よく考える必要があることです。

 繰り返しになりますが、「差別語問題」を考えるとき、言葉はでなく、言葉に含まれている差別的内容のみを問題にするべきであるというのが、ぼくの考えです。言葉だけを切り取って論じるということは不毛であって、その言葉をはさんでいる人間関係を検討し論じるべきと思います。これは「言うは易し、行うは難し」ですけれども、そう問題をたてるべきなんです。

 『サンボ』絶版騒動は、差別問題の取り扱いを誤ると、その解決には百害あって一利もない、ということを示していると思います。「差別問題でもめ事にあわないための用心深さ」を与えただけではないでしょうか。その無用な用心深さだけを増長させたことの例が、長野市での焚書問題です。長野市の教育委員会が、長野の解放同盟から「サンボは差別本やから、映画上映したり、図書館に置いたりすべきでない」と要請を受けたんです。途端に、「はい、わかりました」と言って、幼稚園とか保育園に、本があったら処分してくれ、各家庭に残っていたら、それもよくないから処分してくれ、ということを文書で通達し、批判を受けたということがありました。あれなんかも、本当の人種差別問題を考えての行動じゃなくて、「もめたら困る」という、単なる事なかれ主義のアンテナに引っかかっただけに過ぎなかっただろうと、ぼくは思っているわけです。これについては長野市の教育委員会の方がおられたら、反論があると思いますけれども。