京都産業大学外国語学部では、英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・イタリア語・ロシア語・中国語・韓国語・インドネシア語を専門的に学ぶことができます。
統計学の教材を見ていると、標本に含まれる観測値の数のことを「標本の大きさ」や「標本サイズ」と言い、これを「標本数」と言ってはいけないとしばしば注意されている。なぜ観測値の数を「標本数」と言ってはいけないのか。それは、統計学で言う「標本」は、個々の観測値ではなく、観測値の集まりを指し、「標本数」はそのような集まりの数だからと言うのである。例えば、3つの母集団のそれぞれから標本を取れば、「標本数」は3ということになる。それに対して、標本に含まれる観測値の数は「標本の大きさ」と言わなければならないと言うのである。しかし、注意がしばしばなされると言うことは、そのような「誤用」が多いと言うことでもある。
なぜこのようなことになるのか。それは、統計用語が英語からの翻訳だからである。「標本」はsampleの訳語だが、これは個々の観測値ではなく、その集まりを指している。これは、vocabulary(語彙)がword(単語)の集まりを指すのに似ている。そもそも、「彙」と言う漢字は集まりを意味しており、それゆえにvocabularyを「語彙」と訳すのである。それゆえ、例えば、She has a large vocabulary.(彼女は語彙が豊富だ)と言ったり、He has a small vocabulary.(彼は語彙が乏しい)と言ったりするのである。vocabulary(語彙)が単数形のまま、largeやsmallで修飾されて「大きさ」で捉えられていることに注目されたい。同じようにsample(標本)も観測値の集まりであり、それに含まれる観測値の数は「大きさ」なのである。それゆえ、sample sizeと言う言い方をするのであり、これを日本語に訳すと「標本の大きさ」や「標本サイズ」となる。これに対して、「標本数」は、観測値の集まりの数を意味するthe number of samplesの訳語として用いられる。ここでは、samplesが複数形になっており、観測値の集まりが複数あることが文法的に表現されている。
英語では単数・複数の区別があって、名詞の指示対象を数えているかどうかが明確である。また、ある名詞が集まりを指しているのか、個々の要素を指しているのかもはっきりと区別される。しかし、日本語ではそのような区別は曖昧になりやすい。例えば、「語彙」は単語の集まりだが、「語彙数」と言う言い方を普通にしており、単語の方を数えている。更には「語彙」が「単語」の意味で用いられることもある。これは本来誤用だが、俗用として挙げている国語辞典もある。「標本」も観測値の集まりなのだが、「語彙数」と言うのと同じように「標本数」と言ってしまうのは日本語母語話者にとっては自然なことだろう。また『広辞苑』は「標本」を「推測統計のため集団から抜き出した個々の要素」と定義しており、辞書編集者でも集まりを表す名詞が要素を表すと誤解してしまうことを例証している。
学術用語は英語からの翻訳が多い。そのため、日英両語の文法的な仕組みの違いからその意味が分かりにくくなることがある。そのために、その用語を正確に理解できなかったり、誤解したりということもある。逆に、英語の文法的な仕組みを知ることにより、その用語の意味をよりよく理解することができるのである。
©平塚徹(京都産業大学 外国語学部)
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