探検部設立趣意書
(一)探検部結成目的
現代資本主義社会が、高度に組織化され、細分化し、国家独占段階にある当然の結果として、大学がマスプロ化し、社会的要請に迎合し、学問文化が商品化し、本来の目的である「学問文化の創造」が忘れられ、実利集団的サークル活動が増加する中で「学問文化の創造」を科学の根本として「未知へのあこがれ」というロマンチシズムを媒介としてこれを追及し、青年のエネルギッシュな行動力を基調に、ひとつのパーティを組織し、対象を捉え、細分化した科学を総合的に再編成し、共同研究を通じて、其の対象を自然と人間との関係において把握し、人間の本来ある可き姿を追及すること(人間学の研究)を目的とするものである。
(二)探検の現在的意義
探検とはどういう意味か。 広辞苑によると、「探検=危険を冒して取り調べること。」と此処には、生命の危険を感ずるものであり、又、遠隔地に出て行くことが、本来の意味に含まれる。勿論、此の意味での危険は、「危険を冒すこと」それ自体は手段である。 コロンブスの航海などの種々の航海やリビングストンやスタンレーのアフリカ探検、アムンゼン、スコットによる南極探検は、此の意味での「探検」と呼ぶにふさわしい、危険を冒し、スリルに満ちたものであった。又「探検」の動機にしても、時代とともに発展してきた。 すなわち、資源の調査や通商路の開発の為の経済的動機、領土的野心を政治的に若しくは軍事的動機、又は布教の為の宗教的動機などであり、或いは、地理的動機であった。しかし、二十世紀中葉の現在、南極が開発され、アフリカがすでに暗黒大陸ではなくなった。其の事は、伝統的意味での「探検部が行われる余地がなくなった。」即ち、我々が敢て、危険を冒して調べることを持って、探検部と考える時代は、過ぎてしまった。地理的発見時代の探検が、本来の探検であり、現代の探検が探検でないとするならば、現代のそれは、学術調査で良い筈である。然るに、現代でも探検と云われる行動をしているのは、単にそこを調査する丈では片付けられない何ものかがあるからである。いまだ未知僻地、秘境と呼ばれる地域は沢山ある。又、そういう地域を調査実施する場合がある。そういう場合、交通が不便で、密林や砂漠地帯で生活すると云う非常に困難さが要求される。従って様々な危険なアクシデントが起り、多くの人数を必要としたり色々な探検技術を必要としたり、又それをやりとげる探検精神がなければ出来ない。それ故、過去と現在の区別されない探検精神をもった現代の探検家によって、組織された探検隊でなければならない。 現代の探検は、常に、人類の幸福、繁栄に向けられなければならない。それ故、現代の探検は、人類社会と離れて存在せず、常に、社会の支持と協力を前提とし、人類の歴史に参与するものである。
(三)学生探検の意義
学生探検とは、生活上、不便な地域(俗に云う秘境又は、僻地)に行き、しかも、其の地域は、学術的にも社会的にも我々学生が、探検して成果のある様な、学生で出来る学術探検のことを示す。我々がやる学術探検は、専門かのそれと違った限界がある。即ち、幅広い教養や、専門知識、技術、それに不屈の探検精神をもって、強調し合ってこそ一つの探検が完成するからである。しかし、学生探検は、其の基礎を学び、それをより深め机上の学問を実施で応用し、生きた学問を学生の立場から学び摂るところに意義がある。それ故、如何なる場合も学生探検である以上、学生の主体を失ってはいけない。
(四)サークルとしての探検
現在の学問が非常に細分化し、専門化して、又時には閉鎖的利己本位になされ、サークルとして、学生全体の状況分析より生まれ、それを汲み上げた活動が停滞している上に、大学で学んだ学問自体が、日常生活に定着し得ず、又それを応用するということが認識されにくい現状にあり、それに顧み、学問を社会に還元し、又社会から学びとり、物事を学問的に思考する態度を養い、それを実施する目的で探検部が生まれたのである。それは、一つの専門的知識を持った者の集まりでなく、個人の個性、技量を充分に生かし、それを総合した全体ので高めなければならない。そうした操作を通じて、学生サークルとしての人間陶治教育の場の目的を達成したい。
以上の如く、探検部活動はまさしく
(一)学術性を離れて存在しない事。
(二)非常に社会性に帯びていて、閉鎖的研究のみでは、探検自体の目的を果たす事が出来ない。
(三)それが、学生探検なる故、全学生の欲求を汲み上げて活動することが必要である。
(四)それが、総合的立場から対象を捉える必要上、他のサークルと横の関連をもってする相互協力体制が必要である。