昭和40年本学創立。
時を同じくして、こよなく野球を愛する者達が集まり硬式野球部が創部された。キャンパスの片隅のキャッチボールもままならない環境で練習が始まった。
やがて、次年度新入生の受入れのために、新しい教室棟の建設工事が始まり、野球部は、その練習場所を失うことになった。
その後は、宇治の黄檗球場、北区原谷グランド、東山高校山科グランドなど練習場所を求めて転々としていた。
原谷グランドは御室仁和寺の側道から5分程登った山中にあった。山中のグランドだけに、水道設備がなく、真夏の炎天下でもグランドに水をまくこともできず、スパイクの底から熱が伝わってくるような厳しい環境下で、黙々と練習を繰り返した。練習後の喉の渇きを潤すのも、グランドの隅にある、わずかな涌き水を、ぼうふらを掻き分けながら両手ですくって飲んでいた。よく腹を壊さなかったと今になって懐かしく想う。