ラニケートゥから見た荘厳なヒマラヤ

 ラニケートゥ(Ranikhet)は、デリーからバスで10時間以上かかるヒマラヤの麓に
ある標高2000メートルの小さな町である。さすがに2000メートルまで登ると、
45〜50度という下界の猛暑も、せいぜい30度までとなり、夏でも快適である。
  イギリス人がインドに入ってきたとき、彼らの最大の敵は暑さであったといわれる。
デリー、カルカッタ、ボンベイ、マドラスといった重要な都市の近くに、まず、避暑地
をつくり、何とか夏をしのごうとした。それらの避暑地はヒルステイション(Hill Station)
と呼ばれ、今日でも多くの観光客を集め、インドの人たちにも親しまれている。ダージ
リン、シムラ、プーナ、ウーティなどは有名である。ラニケートゥもこれらヒルステイ
ションの一つであるが、比較的知られてはいない穴場といってもよい。ちなみに、この
場所を私に教えてくれたのは、デリー大学で私を指導してくれていた故パンデーヤ(R.C.
Pandeya)教授であった。私とヒマラヤとの出会いはこの小さな町のある小ホテルのベラ
ンダからであった。



ラニケートゥの松林の小道

 夏のインドは熱気と砂塵で視界が極端に悪い。わずか200〜300メートル先の風 景も、ぼんやり霞んでよく見えない。日本の春霞(この正体も実は中国大陸の砂塵であ るのだが)より何倍もひどい霞と理解したらいい。この現象はヒマラヤ山麓でも同様で、 眼前に見える小高い丘々はすべてぼんやりと霞んでいる。ましてその霞の奥に何がある かなどはどんよりした空気の彼方、知る由もない。

ダストに霞むヒマラヤ山麓ラニケートゥの真夏

 雨期(モンスーン)が近づくと、いち早くヒマラヤ山麓は雷雨に見舞われる。湿気を 多く含んだ空気が冷やされて水滴となるのである。雨が降れば霞は消えて見通しがよく なるが、今度は雲が多く眼前の丘ははっきり見えるがその奥は果てしなく続く雲の海で ある。

雨上がりのラニケートゥ

 6月下旬のある日、昨夜来の激しい雷雨も朝には上がったものの空一面雲に覆われて いた。午後、いつものようにホテルの室内で本を読んでいた。妻もベランダ(といって も、屋根のついた物干し場のようなものであるが)で本を読んでいたと思う。夕方の5 時頃であったか、ベランダにいた妻から声がした。「あれなに?雲が光っているの?ち ょっと来てみて?」

ヒマラヤを覆う雲

 ベランダに出て雲一面の空を見上げると、確かに何か雲間に光るものがある。角度に して30度くらい見上げたところである。そんな高いところに何が光っているのかとい ぶかっていると、急に雲が切れて晴れ間が広がった。と、そこに光って見えているのは 、紛れもない雪山である。「あっ、ヒマラヤだ!」と叫ぶ間にも雲は刻々と去り、山々 は姿を現した。トリシュール(シヴァ神の持つ三叉武器)と呼ばれる三段になった山の 姿がはっきりと見える。その右側、トリシュール・イーストと呼ばれる山岳群、そして インドヒマラヤの高峰ナンダ・デーヴィー、さらにはその右に目をやるとやや遠くにナンダ・ コットが姿を現している。さらにトリシュールのすぐ左側にはナンダ・グンティが、さらに その左やや遠くに聖地バドリナートやガンゴートリーの山々が青白く輝いているのが見える。 驚くなかれ、眼前180度すべてヒマラヤの雪山が連なっている。  ホテルの従業員たちも駆けつけてきた。彼らは何度もこの風景を見ているに違いない。 にもかかわらず彼らもビュウティフル!といったまま目を山から離さず身動きもしない。 私たちはもう言葉を失っていた。茫然としてただ目を左右に動かし山の姿を追っている のみである。その荘厳な姿はとうてい言葉の及ぶところではない。神秘的な大きな力に 圧倒されたままである。インドの人たちはこの山々を神々の座と呼んでいる。今、この 呼称の意味が全身で理解できた。ふと我に返って写真機を取り出すまでどのくらいの時 間がかかったか私は思い出せない。  トリシュールの青白く透き通った山肌が少しずつ色をつけだした。幸運にも夕方であ ったので夕日が山肌を染めだしたのである。ヒマラヤ独特といわれる青光りをした山肌 は次第に薄いピンクに、さらに濃い赤に染まっていった。そのえもいわれぬ美しい山肌 を、時々、これまた夕日に染まった雲がわざと我々に気を揉ませるかのように去来する。 時間をすっかり忘れたまま、じっと目を凝らしているうちに、あたりはすっかり暗くな っていた。1時間か1時間半ほどの時間が経過していたであろうか。夜になり、外が闇 に包まれていても、薄暗い空に白く雪山が屹立しているのが見えるので、その夜何度ベ ランダへ出たかわからない。しかし、翌朝目が覚めたときにはもはや山の姿はなく、再 び雲が満ち満ちていた。そして、その後ラニケートゥに滞在していた1週間の間に、神 々の座はついに二度と姿を現すことはなかった。  今でも悔やみきれないのは、このとき茫然としつつも撮った写真全て失敗であったこ とである。神々の座の姿が一枚も写真に写っていなかったのは今となっては不思議でな らない。元来写真は苦手であった私であるが、この時ほど自分の写真に対する無知ぶり を呪ったことはない。ラニケートゥでお土産に買って帰ったパノラマ写真(白黒写真に 人工的に着色してあるもの)が唯一、その時の感動を少しばかり思い起こさせてくれて いる。

左からナンダ・グンティ、トリシュール、トリシュール・イーストの山群、 ナンダ・デーヴィー(木の陰で見えず)、ナンダ・コット

 帰国後、何度ヒマラヤの荘厳な山容を夢で見たかしれない、否、見たと言うより、見 る直前までいった、という方が正確であるが。あそこまでいけばヒマラヤが見える、と いう高まる気持ちとともにその場に立ってみると!という類の夢を何十回見たことか。 帰国後5〜6年間は確実にこの種の夢をよく経験した。よほど激しく、心の奥底から揺 り動かされたのであろうと思っている。  ある時妻に「君もヒマラヤの夢を見るか」と訊いたことがある。しかし、妻の返事は 素っ気なかった。ヒマラヤの姿にあれほど驚愕し感動していたはずの妻は、それ以後一 度もその夢を見ていないというのである。この時、私は、男性に比べて、女性の方がは るかに現実的であるといわれていることに、ある種確信に近いものを感じたことを覚え ている。  

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Last modified: Mon May 6 17:41:31 JST 2002