1996年度日本史研究会大会
近世史部会共同研究報告関連のページ

The Japanese Society of Historical Studies
General Meeting 1996
Early Modern History Part Report


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9月某日
  お鈴「先生! 今度、日本史研究会の大会で報告するんですって」   若松「そうなんだ」   お鈴「あと2か月ですよね。進み具合はどうですか?」   若松「色々な方向性を考えつつ、史料を読み進めているところだよ。個別的に見      れば、色々おもしろい史料はあるんだけどね、全体としてのまとめ方に苦      労してる状況かな。お鈴ちゃん、ちょっと話聞いてくれる?」   お鈴「少しくらいならいいですよ」   若松「ありがとう。これが『日本史研究』410号(10月号)に載る準備ペー      パーなんだ」

近世中期における貿易都市長崎の特質                          若 松 正 志

 今、近世中後期の長崎研究がおもしろい。しばらく前までは、正徳新例以降の長崎 貿易は年間貿易高が徐々に縮小(制限)されていったことなどから、あまり見るべき ものはないように考えられていたが、制限高のなかで輸出品・輸入品双方の価格を下 げて取り引きが行われていたこと、また種々の枠外貿易の存在などから、見かけほど 物の流れが減ってはいなかったこと(中村質『近世長崎貿易史の研究』(吉川弘文館、 1988年)の後半部分)、さらにはこのような長崎貿易を成り立たせたオランダ・ 中国・日本の商人それぞれの動向やその利潤獲得のシステムについても新たな研究が なされ(石田千尋氏・鈴木康子氏・八百啓介氏・岩崎義則氏・小山幸伸氏など)、近 世中後期の長崎貿易研究は現在大いに進みつつある。  しかし、進展著しい近世中後期の長崎研究のなかにあって、貿易都市長崎について の研究は十分ではない。この時期の貿易都市長崎について直接扱った研究は、すでに 25年近く前になる中村質「近世長崎における貿易利銀の戸別配当」(『九州文化史 研究所紀要』第17号、1972年)以降、概説書である加藤章・外山幹夫『わが町 の歴史 長崎』(文一総合出版、1984年)がいくぶん詳しく扱ったほかは、近世 中期長崎貿易改革との関連で言及した鈴木康子氏の最近のもの(「寛延・宝暦期の長 崎貿易改革」(『日本歴史』第532号、1992年)など)がある程度である。以 上のような研究動向を考えた場合、このあたりで、近世中期の貿易都市長崎について 考えることは、十分意味があることであろう。本報告は、このような認識のもとにな されるものである。  さて、都市論ということになると、この方面の研究もここ数年で大きな進展を見せ ている。本報告では、それら都市史研究の成果・視点・方法論もできるかぎり組み込 み、「町共同体」・「公共性」・「役」と「補償」などをキーワードに、長崎桶屋町 の史料(町触など)を中心に、長崎に視点をすえ、貿易都市長崎を成り立たせたさま ざまな要素を見ていくことにしたい。具体的には、長崎貿易の構造、都市・会所・町 の行政・財政の問題、社会構造、町人の貿易への関わり方などを追究することになろ う。  次にまた、外国人との接点という長崎の特質をふまえ、長崎における日本人と外国 人との関係についても考えてみたいと思う。従来この点については、日本型華夷意識 といった形での議論は行われているが、報告者としては長崎における日常レベルでの 事例(貿易取引時の慣習など)も加え、この問題を見ていく必要があると考えている。 その際、貿易制限および統制強化への対応という時代的な特質(変化)についても明 らかにしたいと思う。  なお鈴木報告との関わりについては、鈴木報告がオランダあるいは幕府(長崎奉行) の側の視点を重視するのに対し、報告者は長崎に(できれば中国にも)視点をすえて 見ていくことで、議論の幅を広げられればと考えている。  また報告者のこれまでの研究との関わりについて述べれば、報告者はすでに、「長 崎唐人貿易に関する貿易利銀の基礎的考察」(『東北大学附属図書館研究年報』23、 1990年)、「近世前期における長崎町人と貿易」(渡辺信夫編『近世日本の都市 と交通』河出書房新社、1992年)などで、近世前期の長崎を対象に、貿易制度の 変遷と関わらせ、貿易利銀の獲得形態、町の役割、長崎町人の存在形態、社会構造の 変化などを明らかにしてきた。今回は、貿易制限が強まる近世中期の段階で、長崎が どのような展開を見せたかということを、明らかにすることになる。  なお、いまだ史料収集継続中であり、改めるべきこと、あるいは補足すべきことが 生じた場合には、私のホームページ(http://www.kyoto-su.ac.jp/people/teacher /wakamatu)のなかに、追加情報を掲載することも考えているので、ご参照いただけ れば幸いである。
  お鈴「でだしのあたり、先生らしい文章ですね。それはともかく、具体的にはど      のような事例を扱うんですか?」   若松「今見ているうちのひとつは、長崎の塵芥処理・川浚・湊浚などの史料だよ」   お鈴「今はやりの環境問題ですか?」   若松「そういうことにもなるかな。これらの費用負担の体系を見ていくなかから、      貿易都市としての特質や変化がきっと見えてくると思っているんだ」   お鈴「ほかには何かありますか?」   若松「おちこぼれ」   お鈴「それって、わたしのことじゃないですよね」   若松「あっ、ごめん、ごめん。長崎の貿易慣習のひとつに砂糖などの荷物を運搬      する際にこぼれた物を「落盈(おちこぼれ)」とか「盈物(こぼれもの)      とかと称して、日雇がそれをもらいうけ売却して賃銀の足しにしたという      ことがあったみたいなんだ。これを追究すると、鎖国制下の国際関係が見      えてくるんじゃないかと思ってるんだけど.......」   お鈴「ふたつの事例の共通点は何ですか?」   若松「う〜ん。やはり貿易都市長崎の成り立ちということになるかなぁ」   お鈴「そうですか。たしか当日まであと2か月ですよね」   若松「そう。1996年11月24日だよ」   お鈴「がんばってくださいね。私も当日を楽しみにしてます」   若松「ありがとう。お鈴ちゃん」   R 「先生、死に水はおれがとってやるから、安心して報告しろよ」   若松「突然登場のRくんもありがとうって、それはしゃれになってないぞぉ」                                    (;_;)
10月23日
  お鈴「先生! 『日本史研究』の410号が出ましたね」   若松「とうとう、来るべき時が来たって感じだね。果たしてどれくらいの人がこ      こにアクセスしてくれるだろうか」   お鈴「それはともかく、その後進みました?」   若松「先週、3回目の準備報告をやったんだけど、当初考えていたところとは違      うところに話の重点が移りそうなんだ」   お鈴「共同研究報告ですから、そういうこともあるかもしれませんね。それで?」   若松「前回、おちこぼれの話をしたよね。それとの関係で、長崎の日雇をメイン      にしたらというアドバイスをいただいたんだ」   お鈴「日雇と言えば、吉田さんの江戸の研究が思い浮かびますけど、長崎でそう      いう研究はあるんですか?」   若松「無い」   お鈴「じゃあ、パイオニアになれますね(^^)。ところで史料は?」   若松「無い」   お鈴「えっ^^;)。どうするんですか?」   若松「う〜ん、困った。しょうがない。長崎に行くしかないか」   お鈴「あっ。長崎に行けばあるんですか?」   若松「う〜ん、多分無いと思う」   お鈴「えっ^^;) まさか国外逃亡を企てているんじゃないでしょうね?」   若松「ぎくっ^^;)。まさか。ははははは」   お鈴「そうですよね」   若松「う〜。どこかに江戸時代の長崎の日雇の日記でも落ちてないかな」   お鈴「そういう史料、知っている人がいたら、教えてくださいね。E-Mailアドレ スはPXB00601@niftyserve.or.jpまたはwakamatu@cc.kyoto-su.ac.jp です」   若松「よろしくお願いします」m_O_m


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