若松ゼミ 歴代最優秀卒業レポート要旨(建設中)


The Summary of Best Graduation Reports of Masashi Wakamatsu Seminar Every Year


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第1期生=1994年度  笹部昌利「幕末維新期における神戸海軍操練所と海援隊の活動内容と       その意義について」
第2期生=1995年度 西村正則「薩摩藩の密貿易と北前船」  この論文の主旨は、あまりよく知られていない薩摩藩の密貿易について明 らかにし、その影で北前船が一定の役割を担っていたことを検討することで ある。その主旨に沿って、この論文の内容を簡単に述べると、次の通りであ る。  まず、薩摩藩が行った密貿易の前提となったのは、1609(慶長14)年の琉 球侵攻以来始まった琉球を介した中国との貿易である。領内の農業生産力が 低く、財政が苦しかった薩摩藩は、この貿易に財源確保の道を見いだそうと したのである。また、当時中国との貿易は長崎に限定されていたが、幕府は さまざまなメリットが得られることを考慮し、薩摩藩のこの貿易を黙認した。  しかし、近世中期以降の長崎・薩摩両貿易において、輸出品が銀・銅から 俵物・諸色海産物に、輸入品が生糸・織物類から薬種に代わるようになると 幕府の態度は厳しくなり始める。長崎貿易の衰退を懸念した幕府が、薩摩藩 による薬種の輸入を制限し、俵物・諸色海産物の輸出も長崎だけに限定する ようになったのである。  中国との貿易の収入が重要な財源であった薩摩藩にとって、昆布を中心と した諸色海産物の輸出を禁じられたことは、代わりの輸出品がなかっただけ にとりわけ痛かった。ゆえに、薩摩藩は抜荷によって昆布を集め、中国に輸 出するようになる。これが薩摩藩の密貿易の始まりである。  そして、この密貿易において、薩摩藩への昆布廻漕に活躍したのが北前船 である。薩摩藩は越中(現在の富山)の製薬業者たちに領内での行商を認め る代わりとして、昆布の抜荷を命じていたと思われる。その昆布の運び役を 北前船が担ったのである。  だが、昆布の回漕は、決して容易なことではなかった。なぜなら、抜荷で あったため、当時遭難する確率が高く、航路も未発達であった東廻りのコー スを航行しなければならなかったからである。  薩摩藩の密貿易は諸色海産物、なかでも輸出の大部分を占めた昆布がなけ れば成立しなかった。その意味において、北前船の常に危険を伴った薩摩藩 への昆布廻漕は、重要な役割だったといえるのではなかろうか。  北前船は、近世期において、商品流通の発達や文化の交流などの面で貢献 していただけでなく、こうした表舞台に現れないところでも貢献していたの である。 ・主要参考文献  上原兼善『鎖国と藩貿易−薩摩藩の琉球密貿易−』(八重岳書房、1981)  塩照夫『昆布を運んだ北前船−昆布食文化と薬売りのロマン−』(北国新   聞社、1993)  原口虎雄『鹿児島県の歴史』<県史シリーズ46>(山川出版社、1973)  大石圭一『昆布の道』(第一書房、1987)
第3期生=1996年度 山澤大作「近世但馬杜氏の歴史−その発祥と背景−」
第4期生=1997年度  河野洋平「加藤清正と肥後国の朝鮮出兵」
第5期生=1998年度  道田清隆「持株会社の今と昔」
第6期生=1999年度  犬伏誠「天保期薩摩藩の財政改革」  俵拓夫「第二次世界大戦に財閥はどう関わったか」  吉田友「世界の海援隊」  和田栄子「広告のなかの女性史」 (4人同点)
第7期生=2000度  岸田賢一「明治から戦前における百貨店の歩み」  小谷晃治「教育産業(受験産業と大学)の競争とその環境」 (2人同点)