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ボールルーム・ダンシング

その教本と歴史書


英国のボールルーム・ダンスは,1920年代以降,ダンス教師による専門家協会の設立, ベイシック・フィガーの定式化,標準テキストの編纂, 競技会の開催と審査員の派遣を通じて, 国境を越えて影響を及ぼすようになります。 この点に,英国スタイル(modern English style)のボールルーム・ダンスが,のちのち 「インタナショナル・スタイル」 と呼ばれるようになる大きな理由があったといってよいでしょう。

ですが,ボールルーム・ダンスの歴史を繙くと,英国スタイルが「インタナショナル」 と呼ばれることには,いまひとつ大切な意味があるように思えてなりません。 すなわち, 英国スタイルがボールルーム・ダンスの世界標準を確立したということよりも, むしろ他国からの文化的影響を受けて英国スタイルが確立された, ということの方が重要だと思えてくるからです。

英国人が,もしも自国の狭い世界に閉じこもっていたとしたら, そもそも英国スタイルの確立はなかったといっても過言ではありません。 タンゴやヴェニーズ・ワルツはもとより,スロー・ワルツや スロー・フォックストロットに至るまで,いずれも他国で発展した踊りでした。 ボールルーム・ダンスはもともと 「インタナショナル」な影響関係の中で作り上げられたものなのです。

歴史を振り返ると,将来が見えてきます。ボールルーム・ダンスは, これからもインタナショナルな相互作用の中で内容を豊かにしていくことでしょう。 こんにち,イタリア出身の世界チャンピオンがダンス界に新風を吹き込んでいるように, ボールルーム・ダンスは,異なる文化に根ざす音楽表現や身体技法の影響を受 けることによって,その魅力を増していくはずです。 同じフィガーが,踊り手の違いによって,微妙な音楽表現の差異によって, 斬新なアマルガメーションの創造によって, まったく異なるフィガーのように見えることも稀ではなく,そこに限りない喜びを感じます。

以下では,ボールルーム・ダンシング(およびラテン・アメリカン・ダンシング) にかんする,主として英語で書かれた教本と歴史書をとりあげて、その内容紹介を試みたいと思います。

(2007年3月1日記す)

Alex Moore, Ballroom Dancing: With 100 Diagrams of the Quickstep, Waltz, Foxtrot, Tango, etc. (London: A & C Black, 2002). アレックス・ムーア氏の筆になる名著『ボールルーム・ダンシング』については, もはや多言を要すまい。初版の出版年が1936年だから,以来読みつがれて,およそ 70年近くになるわけだ。この間に舞踏法 (choreography) ばかりか, ボールルーム・ダンスの考え方や基本フィガー についてさえ少なからざる変化があり,それらを取り入れるべく本書はたびたび 改訂されてきた。2002年に出版された本書は,その第10版である。

一見したところ,一般のダンス教本とあまり違わないように見えるが,本書 の魅力は細部に宿っている。たとえば,私たちが何気なく使っている「ステッ プ」とか「フィガー」という言葉について,あまり目立たない脚注の中で, 次のような説明を加えている。 ステップは音節 (syllable),フィガーは単語 (word), アマルガメーションは文 (sentence) と考えるとよいです。 複数のステップを組み合わせてフィガーが作られ, 複数のフィガーでアマルガメーションは組み立てられます。 したがって,複数のアマルガメーションをつなげた一曲のダンスは,あたかも 「一段落の文章 (a paragraph)」のようなものです,と。ですから, 言外の意味をくみ取って,ムーア氏のいわんとするところを補足するならば, ダンスは美しい文章をつづることであり, それによって一つの物語を創造することなのです。

本書は,英国ダンス教師協会 (Imperial Society of Teachers of Dancing, ISTD) の発行している Ballroom Technique (日本ボールルームダンス連盟から 邦訳が出ている,通称「ボルテク」)の基になっている書物ゆえ,内容的に大き く重なっているが,違いも少なくない。以下,簡単にその特徴を述べてみよう。

全308ページからなる本書第10版は,序章を含めて9つの章で構成されている。序章では, ホールドやフットワーク,ライズ&フォールといったスタンダード・ダンス全般にか かわる基本的な事柄が説明されている。

第1章から第4章まで,および第6章において,クイックステップ,ワルツ,ス ロー・フォックストロット,タンゴ,ヴェニーズ・ワルツの順に,基本的なフィガー について詳説されている。取り上げているフィガーの範囲は「ボルテク」と大幅 に重なっており,時には文中に "a standard variation" といった表現が使われいることもあるが,いずれも “basic figures”に属する。

「ボルテク」との大きな違いは,以下の五点にまとめることができるだろう。 (1)個々のフィガーについて,男女別の“フットプリント”がついていることと, (2)膝や足の使い方といった細かな注意点が記されていることだ。「ボルテク」では 実際のフィガーを充分にイメージできない読者には大きな助けになる。(3)「ボル テク」では省かれているヴェーニズ・ワルツについて,英国ダンス議会による説明 が付加されている。ただしこれについては“フットプリント”がついていない。

また,本書はダンス目的に応じて特別の章が用意されている。(4)第 7章では, アマチュア上級者や競技ダンサー向けのアドバイスが記されており,「ダンス表現」 にも言及している。

最後に,(5)本書のもっとも大きな特徴のひとつは,厳密な意味での“ボール ルーム・ダンス (ballroom dancing)”と“社交ダンス (social dancing)”を分け て,後者に対して特別の章を割いていることだ。それが第5章「リズム・ダンス」 である。本書でいう「リズム・ダンス」というのは,混雑した舞踏場,つまりクラ ブやホテル,レストランなどで踊るためのフォックストロットのことだ (p. 159)。 クイック・ステップの基本的なフィガーをゆっくりしたテンポで踏むもので,“ソー シャル・フォックストロット”と本書では呼んでいる。なお,第8章「パーティ・ダ ンス」で説明されているのは,わが国のダンス・パーティ会場でよく見かける「出 会いタイム」の英国版と考えればいいだろう。

なお,第9版には邦訳書がある。

Guy Howard, Technique of Ballroom Dancing, new ed., rev. Alex Brown (England: Chapman Graphics Corporation Limited, 2002). ボールルーム・ダンシング(ワルツ,スロー・フォックストロット,タンゴ, クイックステップ,ヴェニーズ・ワルツ)に関する最新の教本。

日本ボールルームダンス連盟(JBDF)で発行している『ボールルーム《スタンダー ドダンス》テクニック』は,本書に依拠しています。

Imperial Society of Teachers of Dancing, The Revised Technique of Latin American Dancing, 5th ed. enl. (London: ISTD, 1983). ラテン・アメリカン種目の教本。 1983年に第5版が出版されてから,その後改訂版が出ていない。
Geoffrey Hearn, A Technique of Advanced Standard Ballroom Figures (London: Geoffrey and Kiana Hearn, 2004). ボールルーム・ダンスの「ヴァリエーション・フィガー」を体系的に扱った唯一の教本。 本書には細目次がついておらず,検索に手間取る。

最近,本書の内容がDVDにまとめられました。実技を演じているのは現在の世界 チャンピオン,ミルコ・ゴッゾーリ&アレッシア・ベティ組です。本書の説明だ けではなかなか納得できない部分も,DVDを併せて参照することによって理解 が深まることは言うまでもありません。

Philip J. S. Richardson, A History of English Ballroom Dancing (1910-45): The Story of the Development of the Modern English Style (London: Herbert Jenkins Limited, n.d.[c.1945])   本書は,副題にあるとおり、現代の英国流ボールルーム・ダンス(modern English style) の成立を跡づけた歴史書です。「現代」といっても1945年までの 歴史ですから、今日から見れば、半世紀以上も昔のダンス・スタイルの成立が語 られているわけです。今日「インタナショナル・スタイル」と呼ばれている、英 国流ボールルーム・ダンスの源流が明らかにされています。

  興味深いのは、本書に収められているたくさんの写真です。その多くは、ダンス をしているカップルが撮されているのですが、実に麗しい。今日の競技ダンスと はずいぶんと様子が違っていて,たとえば,腕をいっぱいに張ってホールドして いるダンサーはひとりもいません。男性の腕は適度の張りを維持しつつも,ごく 自然に女性を包みこんでいます。女性の流れるようなドレスともあいまって、魅 惑的で高雅な香りが漂う。端的に美しい。恋人同士の踊りですね。

  また、ブラックプールでのアマチュア競技会の様子も写真に収められていますが、 そこでも腕を張っている人はひとりもいません。みなさんコンパクトなホー ルドで踊っています。したがって、この頃は、コンペでもパーティでも、ホー ルドにはあまりおおきな違いがなかったのかもしれません。なお、アマチュ アに比べるとプロ・ダンサーのホールドの方がやや腕を張ってい る感じですが、それでもごく自然な広がりです。

  思うに(ぼくの勝手な想像ですが)、ダンス音楽の変化とダンス・スピードの向 上が、腕をいっぱいに広げる今日的な競技ダンス・スタイルのホールドを作りだ していったのかもしれません。その方がダイナミックで大きな運動に適していま すから。このような「ボールルーム・ダンスのスポーツ化」ともいうべき変化は いったいいつ頃から進展したのでしょう。 とても興味深い研究テーマになりそうです。

(2009年4月28日記す)

Philip J. S. Richardson, The Social Dances of the 19th Century (Liverpool & London: Charles Birchall & Sons, Ltd., 1960). 19世紀段階における社交ダンスの発展を跡づけた歴史書。

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