Cape Town
The Mother City of South Africa

 2009年のIIPFは,なんと南アフリカ・ケープタウン!一体,誰がどーやって会場決めてるんだか...でも,豪華な(?)学会が期待できそう!ヨーロッパの国々と違って,こういった勢いのある国では,国を挙げて国際会議招致に取り組んでいるから。
 何はともあれ,関空からトランジット込みで丸1日半のフライトの末たどり着いた“母なる街”で,とんでもない体験をすることに...(残念ながら写真は収められていません)
 ケープタウン・西ケープ州観光局
 ケープタウン国際コンベンションセンター(学会の会場となった所)
 
Excursion
 学会中日のエクスカージョンです。喜望峰までは行けませんでしたが南アフリカの大自然を味わい、ワイン農場でテイスティング,夜は民族村(いわゆる観光用施設ですが)で、アフリカの踊りと音楽と料理を楽しむ流れです。 今回は日本人がすごく少なかったのですが,参加した方々は後日喜望峰までのツアーに行かれたとか,まじめに学会に出ていた私は,後で井堀・板谷両先生に「ここまで来た意味ないじゃん!」と激しく突っ込まれました。あんな大先生方に,あそこまで突っ込まれた人間も珍しいかも... 
Dutch Harbor
 学会最終日の午後,近くのダッチハーバーへ。オランダ統治時代の港を観光施設にしたもので,会場からのシャトルバスがここに入るために,頑丈なゲートを通って行ったのは印象的でした。ゲートの中は平和な世界なのですが,外は正直...な場所なのです。ここから見るテーブルマウンテンは壮観です! 知り合いのイタリア人一団に遭遇。学会中,全然見なかったねと聞くと,「だってサファリ行ってたもん」だって。 改めて,自分は人生損する生き方をしている気がした瞬間...
Township Tour
 午前中,帰国便が夕方だったので,半日のタウンシップツアーに参加。これは良い経験になりました。南アフリカに来た意味を実感。
 左は,元District 6(6番街?)だった界隈に残る元教会の博物館。アパルトヘイト時代,ケープタウンの都市開発のため,ここに住んでいた黒人達はタウンシップへと強制移転させられた。 安全上,外から建物外観を撮影することはできませんでした...
 その後,もっとも大きなLangaタウンシップへ。ガイドさんによるとその人口は100万人を超えるとも。ツアーバスが入る前,「みなさんの身の安全のため,カメラ撮影,散策などは,僕が許可したところで以外はしないこと」とガイドさんから注意。ツアー客一同黙りこくる。
 一口にタウンシップと言っても,その中にも様々な地区がある。最初に入った地区は,いきなり撮影禁止地区。バラックが建ち並び異様な雰囲気が漂う。見学を許された地区には,70年代からの古いアパートと最近建設されたものが並んでいる。時代の移り変わりが一戸の広さの大きな違いに表れている。更に,綺麗な一戸建てが並ぶ「タウンシップのビバリーヒルズ」も拡張が進められている。
 日本で目にする典型的な物置くらいの広さしかない小屋の集落。あるお宅の中も拝見させてもらった。子どもたちが寄ってきたのだが,発する言葉は「Money...」。こちらは絶句するしかなかった。
Langa一のショッピングセンター街。が,バスで素通り。「街を歩いている人たちからはっきり分からないように」との条件付きで,撮影はOKだった。
 上手くできたツアーの最後は,ツアー客に安堵と希望を持たせる。 左は,女性の職業訓練施設&保育園。女性は職業訓練以外に,いわゆる読み書きそろばんの類および性生活と薬物についての教育も受けられる。 保育園の元気な子どもたちの写真もあったのですが,カメラの性能が悪くて真っ暗でした...
 ガイドさんによると,南アフリカの成長は著しいとは言え,こういったタウンシップ居住者がケープタウンなどに出ていっても職を得られない状況はまだまだ深刻だとか。 一方で,富を得ている人々は剣柵・有刺鉄線・感電線によって自分たちの住居を守っている。 この国の抱える複雑を垣間見た半日だった。
 
...と,貴重な体験を胸に帰り支度をし,ホテルに迎えに来るはずの空港へのバスを待っていたのだが,待てど暮らせど来ない。時間にルーズなのも程があるとホテルでタクシーを頼んだのだが...途上国にありがちな大!大!大渋滞につかまり,通常40分で行くはずのところが3時間近くかかってしまった。当然,乗るはずだった帰国便は既に発った後。結局,この後私は改めて飛行機を予約できるまで空港近くのホテルに2泊することになった。
 タクシーの運転手さんがものすごく良い人で色々な抜け道を試してくれたのだが,その道中で目にした光景を私は忘れることができない。略奪にでもあったのかと思われるほど荒れ果てた住居や商店(でも,人は住んでいるし,店も営業している),頑丈な鉄格子で全面覆われ金銭と商品を渡す窓口がわずかに開いている店が並ぶ商店街(それでもショーウィンドウらしき部分は破壊されている),入口に銃を構えた警備員(?)が2,3人立っているスーパーマーケット。渋滞に巻き込まれた人々は皆苛立ち,バンパーをぶつけながら割り込みをしたり,逆に割り込みを阻止するためにぶつけたり。至る所でクラクションが鳴り響き,どなり合い,窓を開けて相手の車を殴ったり。更には,渋滞の列を,大量の通行人が無秩序に横断。
 飛行機に乗り遅れるかもという焦りを忘れて呆気に取られ,思わず私がクレイジーだとつぶやくと,運転手さん「普通だよ」と一言。タウンシップツアーもさることながら,この目の前の混沌と喧騒は,この国の今を強烈に私に見せてくれました。タクシーの中からとは言え,カメラを向けていたら,私は無事ではなかったでしょう。何となく本能的にそれを感じて,写真を撮ることはできませんでした。

 ワールドカップの1年前の出来事です。開催後の南アフリカはどうなっているのでしょうか。
ここなら色んな情報が得られそうです → 
ケープタウン新聞