2003/11/14 ■■■■ 京都部落問題研究資料センター メールマガジン vol.039 ■■■■

□論文の紹介□
     鈴木雅子「高度経済成長期における脳性マヒ者運動の展開
          ―日本脳性マヒ者協会『青い芝の会』をめぐって―」
          歴史学研究会編集『歴史学研究』778号(2003年8月)

 「青い芝の会」というと、私のような年代には、1970年代に活躍した戦闘的 かつ左翼的な身障者の反差別運動を実践した組織というイメージが強い。そう した、「過激な」反差別運動の通史的論文が、アカデミックな香りただよう 『歴史学研究』の巻頭を飾ったので、意外の感をいだきながら読んでみたが、 なかなか興味深い論文だった。
 論文自体は、青い芝の会がたどってきた道を、会報である『青い芝』を軸に 叙述したもので、非常に坦々としたものである。悪くいえば、学生や院生が論 文執筆のための基礎作業としてゼミで発表するような、地味な作業的文章であ る。しかし、はやりの「××主義」を振りかざした派手な論文ではない分、逆 に良質の百科事典の項目を読んでいるようなわかりやすさと、安心感があって、 読んでから満足感をいだかせる。
 鈴木論文によれば、青い芝の会は、1957年11月、比較的障害が軽度で裕福な 家庭に生まれた脳性マヒ者たちによって、親睦団体として誕生した。1950年代 は障害者の自助努力による「更生」という、労働への参加願望の強い運動を展 開した。しかし、1960年代にはそうした障害者を「無用」の存在から「有用」 の存在にしようという考えが批判され、「更生」から「保護」へ力点が移って いき、国による障害者収容施設の建設運動として展開されていく。それが1960 年代後半になり、、施設に入った人たちから声が上がるようになると、むしろ 人里はなれた所への隔離収容は、あらたな苦痛であるとされ、今度は1970年代 になって、都営住宅への優先入居運動など、地域で生きていくことに力点が移 っていく。
 また、これらの運動と平行して、機関誌『青い芝』上では様々な興味ある論 争が繰り広げられている。たとえば、生活保護をどう理解するか(当初は、障 害者や運動団体自身に、生活保護を受けることへの抵抗感が強かった)。また、 重度の障害者が、結婚して子どもをもうけていいかどうか、等々。障害者が国 や社会に要求すること自体はばかられた時代から、いろいろな思想的葛藤・苦 闘を経て、現在の到達点があること、そして、1960年代前後の日本の高度経済 成長期が、社会のものの考え方にもたらした巨大な変化を知ることができる。(灘本昌久)

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