2003/10/02 ■■■■ 京都部落問題研究資料センター メールマガジン vol.036 ■■■■

□論文紹介□
  杉之原寿一「京都市の『同和中毒都市』への転落過程
                      ―その要因の歴史的究明―」
               『人権と部落問題』708号(2003年9月特別号)

 1951年に起こったオールロマンス事件は、戦後の部落解放運動・同和事業の 出発点として語られてきた。この事件を契機として、運動や行政は、差別の原因 を、個人の遅れた考え方ではなく、部落の低位な生活実態にもとめるようになり、 差別解消のための同和事業が始まったとされたのである。  それにたいして、私は、雑誌『オール・ロマンス』に掲載された「特殊部落」 の登場人物の大半は在日朝鮮人であり、歴史的社会的経緯により低位な生活を余 儀なくされているのは部落民だけではないこと、したがって、現在の同和対策事 業の次には、一般対策への解消でもなく部落だけへの特別措置でもない、「部落 のみへの特別施策から社会的公平の確保へ」と運動の戦略をシフトさせていくべ きであるという問題提起を行なった(「部落差別を根拠とする権利の合理性につ いて」『こぺる』1988年6月号→こぺる編集部編『部落の現在・過去・そして』 に再録)。部落解放同盟系の陣営にあるものとしては、例外中の例外的な部落解 放基本法反対論である(その後の経過、とりわけ基本法運動が今ひとつ盛り上が らないまま敗北したことにより、この問題提起の正しさは証明されたと思ってい る)。
 その後、金静美氏が、オールロマンス闘争を、部落解放運動による朝鮮人差別 (朝鮮人に対する差別事件を部落差別といいくるめた)の事例として糾弾するに 及び、この論争は、闘争が朝鮮人差別であったかなかったか、小説の舞台が朝鮮 人部落であるか被差別部落であるかという方向にむかい、私の意図とは違う方向 であるが、多くの人が参加する議論に発展した。  そして、今回は、古くから解放運動にかかわってこられた杉之原寿一氏による、 京都市行政内部の動きを中心とした、あらたなオールロマンス闘争研究である。  一読して、いろいろと啓発されることの多い論文であるが、私が読んで感心し たのは、昔の行政や審議会は、けっこう運動団体や部落住民に対して、厳しいこ とも言っていたのだなぁということだ。たとえば、1949年に京都市長に出された 京都市同和問題協議会答申は、「もし自らは一片の努力すら払わず専ら外部の援 助のみ頼り、或は他よりの援助を私益に利用せんとするような傾向がありとすれ ば、一応外形上の改良はなし得ても根本には前記地区市民の自覚奮起の熱意を減 退させる結果となり、かえってマイナスとなるのではあるまいか。…対象地区に ある市の施設は総て特に所在市民のみを対象とせず、広く全市民に利用され、共 用されることを目標として建設し、運営されねばならない。新しい施設が建設さ れる場合は全市民が最も利用し易い場所を選ぶべきであり、現状に於いて特別の 施設として持たれる場合に於ても、漸次かかる方向に移行されることが望ましい。 」(62-63頁)と述べている。また、運動自身の欠陥も原則的なところを突いてい て、今読んでも、古さを感じさせない。
 ただ、そうした原則が貫かれなかった原因を、杉之原氏は、朝田善之助やその 後の解放運動の指導者の資質に求めているようであるが、共産党系の運動団体で ある全解連も、運動の実態は、大同小異であったことを考えると、必ずしも妥当 だとはいえないと思う。むしろ、大衆の経済的・物質的要求がそのまま組織や運 動に反映されていく、現代社会のありかたを明らかにしなければ、大衆運動の問 題点を、組織の指導者の個人的資質に還元する誤りを繰り返していくことになら ないだろうか。                        (灘本昌久)

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