2003/6/20 ■■■■ 京都部落問題研究資料センター メールマガジン vol.030 ■■■■

□雑誌レビュー□
   「昭和天皇 国民への謝罪詔書草稿」(『文芸春秋』7月号)
   「『校長連続自殺』に潜む広島教育界アンタッチャブル」
                         (『新潮45』7月号)

 前号で、部落解放運動と天皇制の問題(『Memento』12号関連)を扱ったが、 その後立て続けに、天皇制にかかわる重大な論考が目を引いた。ひとつは、月刊 『文芸春秋』2003年7月号に掲載された「昭和天皇 国民への謝罪詔書草稿」で ある。これは、田島道治宮内府長官文書の中から発見されたもので、同時に掲載 された加藤恭子「封印された詔書草稿を読み解く」によれば、昭和天皇の命によ り、田島が作成したものではないかということである。もう少し専門家の史料批 判を重ねてからでないと作成経過や作成者について確定的なことは言えないが、 内容はかなり衝撃的なものである。戦争による惨禍にたいして「朕ノ不徳ナル、 深ク天下ニ愧(は)ズ」として、端的に天皇が謝罪する文面なのである。  加藤典洋・橋爪大三郎・竹田青嗣氏らによる『天皇の戦争責任』(径書房)は、 旧来の天皇の戦争責任論を転換し、主権者たる国民が責任を一旦引き受けた上で、 あらためて天皇の責任を論じようという問題意識で書かれたものである。その中 で、加藤氏は、「あれだけの国民(臣民)が自分の名のもとに死んだ」、そのこ とを昭和天皇は「どうおもっているんだろう」(297頁)という問いをたてている。 これにたいして、橋爪氏が「加藤さんの『天皇がほんとうはなにを考えているか』 という内面に関する追及の視線は、皇道派青年将校とうりふたつであるという気 がする」と応じて、ふたりの立論のスタンスの違いを述べている。上記の「草稿」 が本当に昭和天皇の命によるものとすれば、加藤氏の疑問はかなりのところ解け るものと思える。そうすると、次にはどういう展開になるのか、いちど問うてみ たい。
 『新潮45』の論考は、広島の部落解放運動・反天皇闘争と、あいつぐ校長・ 教員の自殺の問題を論じたものである。この文章では、最終的には部落解放運動 を利用した一部教員の過激な反天皇制運動と、教育委員会の無責任が、喧嘩両成 敗的に断罪されて終わっていて、もう一段の掘り下げがほしい気がするのだが、 それ以前の問題として、こうした問題の報道や伝聞に接するたびに、解放運動・ 教員組合と教育委員会だけがリングの上にあがって闘っている感じがするのだが、 両者の目には、一般の保護者(運動に同調していない部落の保護者を含む)や子 どもたちが目に入っていないような印象を受ける。そうした人に「日の丸・君が 代をどうしましょう?」という問いかけが完全に欠落していて、片方が片方を押 し切ったら、自分たちの言い分を通していいような錯覚をもっているのではない か。そうした問いのないところに、同和教育をめぐる問題が地に足の着かない空 中戦に終始する原因の一端がある気がする。
(灘本昌久)

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