2003/6/4 ■■■■ 京都部落問題研究資料センター メールマガジン vol.029 ■■■■

□雑誌レビュー□
   灘本昌久「部落解放に反天皇制は無用」
   (京都部落問題研究資料センター通信『Memento』12号、2003年4月25日)

 部落解放運動は、現在大きな転換点に立っており、過去の運動を支えてきた 解放理論も、すでにその力を失っている。今後、更地から家を建て直す決意で 再構築していく必要があるのだが、その際に、つまづきの石になりかねないの が、反天皇制イデオロギーである。
 詳しくは、論考を直接読んでいただきたいが、以下は、その結論部分である。 「ここで話を冒頭の、1997年綱領に戻そう。部落解放運動が階級闘争主義を放 棄したことは、当然のことで、いまさら部落解放運動を左翼運動・階級闘争と して継続していく理由はないだろう。2002年3月末で同和事業の時限法が切れ て、これからは、要求中心の行政闘争ではなく、地域に根ざした街づくりを進 めていこう、そして、その時は、なるべく思想信条を越えて幅広く手をつない でいこうというのが、現在の部落解放運動の方向性である。そのとき、綱領中 に置き忘れられた『天皇制…に反対する』という文言に、何か意味が見出せる だろうか。
 今まで述べてきたように、中世から近世にかけての天皇と河原者の関係は、 決して単純な支配・被抑圧の関係ではなく、庇護・奉公の関係であって、そこ に部落の天皇への親近感の一端が根ざしていること。解放令以後、『天皇の下 での平等』は国の基調として終始一貫しており、水平社の糾弾闘争もそれを基 盤になされたもので、水平社運動を担った人が、内発的な動機から反天皇にな ることはなかったこと。戦前に松本治一郎が反天皇の急先鋒であったことはな く、戦後も天皇の存在を一定認めたうえでの、限定的な批判であったこと(私 的にはともかく、公的には)。戦後、解放同盟が反天皇を綱領に明記したのは 1960年からで、しかも運動の中に広まるのは、1980年代後半以降の短い歴史し かないこと。こうした経緯をふまえ、また普段の生活の中での差別問題の具体 的像を考えると、部落問題の解決という点からみて、反天皇の運動を先鋭に繰 り広げる必要は、どこにも見出せない。現在の部落解放運動に散見される極端 な反天皇主義は、極端な天皇神格化と同様危険な発想であり、足が地について いない思想なのである。」
 今までの解放理論になじんてきた人には、聞きなれない、あるいは聞き捨て ならない主張かもしれないが、是非ご一読のうえご意見を聞かせたいただきた い。(灘本昌久)

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