2002/12/11 京都部落問題研究資料センターメールマガジン vol.017

□テレビ番組レビュー□
 「人権ゆかりの地をたずねて」
   (KBS京都、12月8日18:00〜18:55)

 KBSが人権週間にちなんで放映した番組で、舞鶴引揚記念館、柳原銀行記念資料館、ツラッティ千本などを紹介している。柳原や千本の施設は、今までにも様々に紹介されてきており、人権関係では著名な展示である。
 私が今回、はっとさせられたのは、舞鶴引揚記念館である。この番組では、「戦争は最大の人権侵害」というコンセプトで引き揚げ問題をとりあげたようであるが、従来は、この問題を人権の問題として取り上げることが少なかったように思う。
 その原因は、1960年代末から盛り上がった部落解放運動やさまざまな人権運動が、日本の加害責任を問うことに急なあまり(それ自体の意義は認めるとしても)、日本人全体を侵略の側に一括して断罪してきたことにある。確かに、アジアへの加害の問題に無自覚なまま、戦争被害者としての側面だけを捉えがちであった戦後の平和運動、日本人の意識に問題はあったけれども、日本人を加害者、他のアジア諸国の人々を被害者として一般化するのも、裏返しの偏見である。
 50数万人の日本人戦争捕虜をシベリアで酷使して5万人以上を死亡させたソ連によるシベリア抑留が、重大な国際法違反であったことはもちろん、一般日本人も家や家財道具などすべてを失って生活基盤のない日本に帰国せざるをえなかったこと、そして帰国途上、子どもをおいてこざるをななかったことの中で生じた中国残留孤児問題などもすべて、戦争によって引き起こされた重大な人権侵害だったことをあらためて思い起こす必要がある。
 労働者の祖国ソビエトだから免罪される、韓国の独裁政権だから糾弾するが北朝鮮だから免罪するといった偏見に満ちた人権の物差しが、いかに歪んだ結果をもたらすかは、このたび明らかになった北朝鮮による拉致事件で明白だろう。
 終戦時に海外にいた日本人は600万人以上にのぼり、乏しい輸送力などで帰国は困難を極めた。最後の帰国者が興安丸で舞鶴港に帰ってきたのは、1956年のことである。戦争が終わって、実に13年がたっていた。(灘本昌久)

《参考データ》
・「舞鶴引揚記念館」
   <http://www.city.maizuru.kyoto.jp/yokogao/hikiage/kinenkan.html>
・「柳原銀行記念資料館」
   <http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yanagin/>
・「ツラッティ千本」(京都新聞より)
   <http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/yorimichi/yori07.html>

 「人権関係テレビ番組情報」は、以下をご覧ください。
<http://www.asahi-net.or.jp/~qm8m-ndmt/tv/contents.htm>