そのみちのコラム 3 危機管理と差別問題 灘本昌久
財務省印刷局編集・発行『時の法令』1644号、2001年6月30

 差別問題を考える時に突き当たる、ひとつの難問が存在する。反差別の運動団体は、ソフトで無力なのがいいのか、それとも強面【こわおもて】で影響力のあるのがいいのか。悩ましい問題である。
 通常差別される側の人間は、社会全体のうちの少数派である。その少数派が多数派の壁を打ち破るためにとりうる方策は、差別の非を社会に納得させることであるが、被差別者が物腰柔らかく説得にあたっても、なかなか多数派に差別の非を認めさせることは困難で、被差別者にとっては百年河清を俟【ま】つに等しい。そこで、少数者は団結の力をもって差別の壁を打ち破ろうとし、パワーを身につけるに比例して、社会は彼らの存在に気づき、少数者の要求は通りやすくなる。しかし、その時の存在感は、裏をかえせば警戒心と畏怖心でもあり、差別意識と紙一重の感情である。
 一九八二年の暮れのころだったと思うが、私が勤めていた部落史の研究機関で広報誌を発刊することになった。そして、第三種郵便物の認可をとる(認可されれば送料が二分の一ほどに安くなる)ために、所長と事務局長が管轄の郵便局に申請の手続きに行ったときのことである。所長たちは、同じ郵便局に用事のあった部落解放運動団体の人たちに、宣伝カーで送ってもらった。当然、車のボディーには組織名が大書きしてある。そして、郵便局に着いて宣伝カーを止めたが、そこは郵便集配車の出入り口か何かで、駐車禁止の場所であった。中から、郵便局員が出てきて、他の適切な場所に移動するように口調も厳しく注意したところ、管理職のお偉い方がでてきて、その郵便局員を逆に叱責し、「そこで結構です、どうぞ、どうぞ」と平身低頭わびたというのである。わが所長は、研究所に帰ってくると、その管理職の腫れ物に触るような態度にいたく憤慨し、「こちらが悪いのに、どうしてあんな卑屈な態度なのだ」と憤懣やるかたない面持ちであった。
 このエピソードを聞いて、部落解放運動関係者であれ、そうでない一般の人々であれ、多くの人は管理職の不見識を批判し、郵便局員の行動を是とするであろう。そこで、私は敢えてこの平身低頭の管理職氏の肩を持とうと思う。管理職氏が、ああいう態度をとった背景には、これまで郵政省や各地方の郵便局が、さまざまな差別事件を起こして、運動団体の抗議を受け、もちろんその中には反省すべきこともあったのだが、差別でないものまで差別と認めさせられて、過剰な譲歩をしてきたことの影響が直接・間接的にあったのだと思う。したがって、車の駐車方法ごときで、もめごとを起こされたのでは、たまったものではないという計算が働いても、しかたのない面がある。むしろ、危機管理としては、妥当な判断かもしれない。また、管理職氏をして、危機管理的対応をさせたことは、反差別運動が社会を動かす力をもってきたことの証【あかし】でもある。
 しかし、危機管理の対象とされているということは、一目置かれていると同時に、危険な存在と見なされているということでもあり、差別を解消して、まったくなんのこだわりもわだかまりもない人間関係を作り上げようという、反差別の目標とは重大な齟齬【そご】をきたしている状態でもある。上述のように、反差別運動が、社会に影響力を持つために、一定の存在感が必要であり、畏怖・警戒されることも生じてくるのだが、それはあくまで必要悪であるという自覚が、運動団体にも、また一般社会にも必要である。危機管理の対象とされている限り、真の平等ではないと。
 私は、部落問題の領域に限れば、パワーに頼る時代は過ぎたと感じている。存在感をしめすことに意味のあった時代に別れを告げ、融和への道をさぐる時代に今こそ入りたい。