週刊金曜日 2000.2.4(301号)
「痛み」の絶対化は対話を閉ざす
 ― 丸子王児氏の『ちびくろサンボ』批判に答える ―
                                  灘本昌久

 

 本誌昨年十一月十二日号で丸子王児氏が「“かわいい”が歪める先入観」と題する論稿を発表し、絵本『ちびくろサンボ』を復刊した私にたいし批判の労をとられた。このことにつき、心からお礼を申し上げたいと思う。

差別論議を回避した出版ではない

 一九九九年六月三日に『ちびくろサンボ』問題にたいする私なりの主張をこめた『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』を径書房より刊行し、絵本『ちびくろサンボ』のオリジナル版も同時に出版したのだが、『ちびくろサンボ』批判派の人たちは、新聞の取材に応じる程度で、ほとんど何の反応も示してこなかった。サンボ絶版の中心的存在である「黒人差別をなくす会」の有田利二氏は、『毎日新聞』六月三〇日号(夕刊)で、径書房と私に抗議するといっておられたが、半年以上たった今もまったく抗議行動をする気配はない。ちびくろサンボを黒犬の主人公に描きかえた森まりも氏の『チビクロさんぽ』にさえ、あれだけタフな議論を挑んだのだから(http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/)、本物の『ちびくろサンボ』が刊行されたら批判するのが会の責任というものだろう。

 そうした黙殺状態を打ち破っての丸子氏の論稿には敬意を表するものであるが、一読して失望の念を禁じ得なかった。というのは、丸子氏の論は古い批判の繰り返しで、議論の水準を一気に過去に引き戻す種類のものであるばかりか、私の著作を読まずに批判していると思えるふしがあるからである。

 たとえば、丸子氏は、私が『…よみがえれ』の中で五ページにわたって阪神大震災のボランティア団体にまつわる「ちびくろ救援隊Tシャツ事件」を紹介しているのに気づかないまま、「『ちびくろ』の名称をつけたボランティア団体」について書いている。氏の紹介とはちがって、あの事件で主に問題だったのは、「サンボ」という名称ではなく、ちびくろ救援隊のTシャツに描かれていた震災被災者の象徴が、鎖につながれた黒人奴隷に見えるという(まったくの誤解にもとづく)点だったのである。この件は、私の本の中では、単なるエピソードではなく、差別問題を考えるときに「被差別者の痛み」を絶対化すると、お互いの誤解が解けないまま真の対話を閉ざしてしまうことになり、憎しみだけが自己増殖していくことを論じた部分で、第五章「反差別の思想 [被差別の痛み論批判]」の核心ともなる事例なのである。

 また、丸子氏は、『ちびくろサンボ』が一九三五年に出版された黒人向け推薦図書リストに掲載されていたという、私の指摘にたいし、「六〇年代の公民権法成立時まで、黒人は各州の差別法規により、教育・言論・集会・選挙などあらゆる面で自由を奪われていた。自分たちに本当に有益な本を選択する自由などなかったのである」として、黒人の意志に反して推薦本にあげられていたかのごとくに反論する。もともと、私がこの事例を出したのは、『サンボ』絶版派の人たちが、『サンボ』は出版されて以来、終始一貫して世界中の黒人に排斥され、日本を除くすべての国で絶版にされているような虚偽の宣伝をしたことにたいして反論したまでのことであり、この一事をもって『サンボ』を全面的に正当化しているわけではない。

 私の指摘にたいして、以前より丸子氏のような反論を絶版派の人から受けていたので、私は『…よみがえれ』の中で、このリストが、黒人運動団体の調査部長がアドバイザーとして加わり、黒人差別撤廃の教育に携わっている図書館関係者や黒人大学の研究者になど多くの黒人の専門家も多数参加して、当時差別撤廃をめざした人々の総力をあげて作った図書リストであることを補強して論じておいてので、その箇所を読まれるようにお願いする。当時、黒人の社会的権利が生活の様々な場面で制限されていたことは事実であるが、そのことをもって、黒人の行動を強制によってなされたと一面的に解釈するのは、大きな誤りである。

 絵本と同時発売の『…よみがえれ』をまともに読まずに批判文を書く丸子氏が、「八八年、『サンボ』が抗議を受けたとき、岩波書店など二十数社の出版社がただちに絶版を決め、灘本助教授も指摘するように、その背後にある日本の差別問題の根源に迫る努力を怠った。今回も本来なら、復刊を云々する前にその点について、十分な議論がなされるべきだったのだ。」と、あたかも議論を回避して、単に絵本だけ出版したかのごとくに批判するのは、自己矛盾というものであろう。丸子氏が、『…よみがえれ』をよく読んだのち、再度批判をしてくださることを希望する。

絵本の外側の人種差別を投影

 ところで、丸子氏は「『サンボ』という呼称を、蔑称として認識しているかどうかで物語の受け止め方が違ってくる」あるいは、「サンボの母『マンボ』と父『ジャンボ』も、単にサンボとの語呂合わせでなく…」と、あいかわらず名前にこだわっておられるが、『…よみがえれ』で書いたように、『ちびくろサンボ』が批判されはじめた一九四五年のアメリカでの議論で、「サンボは差別語」という理由はほとんど見られず、一番問題になったのは、黒人がトラの住むようなジャングルで暮らしているというところだったのである。ましてマンボ、ジャンボを問題にするような議論は、アメリカではほとんどお目にかからない。サンボという言葉への不快感が現実にあるアメリカでは、マンボやジャンボという名前にクレームがつかないのにたいして、サンボという言葉が差別語として存在しない日本では、逆にマンボやジャンボまでがサンボと同列に非難されるような過剰なことになってしまう。これは、差別であるという結論が先にあって、その非難の材料探しをするからである。むしろ、どうしてアメリカにおける絵本『ちびくろサンボ』への批判点が、ある時は「サンボ」という登場人物の名前の差別性に、ある時は落ちたバターを集めて食べる野蛮性に、ある時はホットケーキを一六九枚も食べる大食にというふうに、人それぞれでくるくるかわり、説得性に欠けるのかを考えたほうがよい。私は、絵本の外側にある人種差別を『ちびくろサンボ』に投影するから、偏見の数だけ批判点が湧いてて出てくると思うのだ。

目先の気遣いが被差別者を追い込む

 また丸子氏は、「『かわいい』から、『日本で親しまれている』から良い、と思っているものが当事者たちには不愉快な場合がある。その痛みを認めず、自分の好みを通そうとするのは独りよがりで傲慢だと僕は思う」ともいう。これは、私に向けられる批判によくあるタイプの議論であるが、誤解である。私は絵本『ちびくろサンボ』に黒人が不快を感じたり、ときとして痛みを感じることを理解していないわけではない。むしろ、『ちびくろサンボ』の差別性を主人公の「サンボ」という名前にのみ還元する人たちよりもはるかによくわかっているつもりである。しかし、被差別者が痛いといったときは、その言葉を、よくかみしめてみて、どうすればその痛みがとれて、より生きやすくなるかをともに考えたほうがよい。痛いといったときに、トゲが刺さっているならば抜かなくてはいけないし、膿が溜まっているのなら切開手術しなければならない。私はけっして、相手が痛いといっても自分は痛くないので、患部をごりごりこすってもいいといっているわけではないのだ。絶版派の人たちは、まさに腫れ物に触るような慎重さで、痛いところに触れるな、かわりに良い音楽を聴かせれば、そのうち痛みはなくなる、といって治療を遅らせているのである。そうした、目先の気遣いが、長期的には被差別者をのっぴきならないところに追い込むことがままある。「地獄への道は善意で敷き詰められている」とは言い得て妙である。

 なお、この問題に関する議論を継続するために、情報提供のホームページを開設しているので、ご覧いただければさいわいである。(http://www.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/)