「危機管理と差別問題」

『京都産業大学新聞』1996年10月28日(第112号)

灘本昌久

 一九九三年九月、人気作家筒井康隆氏が断筆して現在に至っていることは、ご存じのとおりである。一時、この事件をきっかけに差別と表現の問題が大きくクローズアップされ、掘り下げた議論がなされかけたが、その後さしたる進展をみないまま、立ち消えになったかの感がある。

 しかし、差別と表現に関する問題は何ら消えてしまったわけではなく、こうして原稿を書いている今日も、知り合いの書店から某コミック誌最新号が「不適切な表現があり」という理由で(というよりも理由を明らかにしないまま)回収となったとの情報を得た。

 このように頻繁に繰り返される差別表現の予防的措置は、世間の差別問題にたいする理解の深まりのひとつの反映であると、気楽に拍手ばかりはしていられない。端的にいえば、差別を理由に表現に対してなされる自主規制や回収騒ぎは、基本的に危機管理である。つまり、避けがたい営業上のリスクを最小限にマネージメントするわけで、極論すれば、総会屋に口封じのためにお金を渡すのと、大同小異である。両者とも、社会的公正のためになされるわけではなく、営業上のリスクの最小化のためになされる。個人の行為においても、差別表現に気をつけるというのは、通常、自分の認識や価値観の内省と無関係になされるわけであるから、火の粉をかぶらないため自分の利益をはかってなされる点で、しょせんは危機管理の一種である。

 もちろん、危機管理は企業にとっても個人にとっても必要なことであり、それ自体を非難するつもりは毛頭ない。差別表現に対する予防措置も、はっきりと危機管理であって差別解消のためではないと認識した上でなされるなら、むしろ歓迎したいほどである。しかし、抗議する側・される側両者によって、それがあたかも差別解消に役に立ちうるかのごとくに錯覚され推進されているところに、大いなる悲劇がある。

 一九六〇年代後半から差別表現、差別語にたいする抗議行動が拡大していったが、それらは一応差別待遇の解消という、社会性と一体になっていた。ところが、一九八〇年代にはいるとそうした表現にたいするチェックがポッカリと宙に浮いて、表現の改善それ自体を自己目的化し、言葉のデリカシーを要求する運動が目立っている。

 このように危機管理を差別解消のための行動であると錯覚するのとならんで、有害なのが「被差別者の痛み」という論法である。差別的意図がなくても、被差別者が痛みを感じる限り、そうした表現を口にしたり文字にしてはならないと。

 私はこうした「××は差別語であり、被差別者を傷つける」という論法の有害性は、二つあると思う。第一は、ある言葉を用いるときの妥当性や正当性あるいは正義が、自分の外部からしかやってこないということだ。自分がどのような意図でその単語を使ったかということよりも、「この単語の意味はカクカクシカジカである」ということが優越していると、発話者にとって、その単語を用いることの正義は外部に存在するしかない。つまり自分自身の内部で確かめることに道をとざしてしまうのである。有害性の二つめは、被差別者がある言葉で傷つく原因の一半が被差別者自身に内在することを見落とすことである。アメリカ黒人が「ブラック・ピープル」といわれて傷ついた理由のかなりの部分は、「黒い肌はマイナス」という価値観を白人と共有していた自分自身の美意識によるのである。たとえば、今アメリカで黒人を「ブラック」ということをとがめる人は少ないだろうが、一九六五年のある調査では黒人の五九パーセントがそう呼ばれることを不快に思っていた。それは、黒い肌は醜く劣っているという白人の価値観を黒人自身が身につけていたせいである。その後の「ブラック・イズ・ビューティフル」という黒人の意識運動が、そうした美意識を克服させ、黒人が自分のありのままの姿を肯定することを可能にしたのである。

 「差別してはいけない」という社会的合意が一定成立している現代にあっては、差別語を「なくそう」とする行動は言葉のデリカシー要求運動に収斂していくほかなく、その内実は危機管理の徹底なのである。そして、社会が優しくなったことが裏目に出て、「被差別者の痛み」という大義名分のもとに、被差別者自身が危機管理の対象とされていくのである。