新しい差別論のための読書案内

『ある紅衛兵の告白』(上・下)

こぺる刊行会『こぺる』27号、1995年6月

                     灘本昌久

 プロレタリア文化大革命! いうまでもなく一九六六年から一九七六年にかけて中国全土で「闘われた」大衆運動である。毛沢東思想を奉じる紅衛兵たちは、当時の中国共産党組織や政府組織を「走資派」(資本主義への道を歩むもの)として破壊し、幹部やインテリなどをことごとく批判、放逐、処刑した。私は、一九五六年生まれなのでちょうど一〇歳から二〇歳までのあいだに起こった事件だ。同時代的に体験したとは言い難いが、高校一、二年から大学生時代に左翼であった頃は毛沢東に指導される中国共産党をもっとも正統に近い共産主義の体現者とみなしていたので、文革を肯定的に評価していたことはまちがいない。

 ところが、毛沢東の死後、江青ら文革の旗手であった「四人組」が打倒され、文革の実態が明らかになるにつれ、それがとんでもない騒動、愚行、災難であったことが明らかになってきた。本書において一紅衛兵の口から語られる「闘い」の実態をみても、その愚かしさは半端ではない。

 著者である梁暁声は、文革勃発時一七歳の中学生で、すでに「頭の中には中国のことや全世界のことがいっぱい詰まっていて、いまにも燃えたぎる情熱で破裂しそうな状態で」あった。そんなある日、国語の担任の女性教師が突然、前日使った教材である「燕山夜話」がブルジョア思想を宣伝するための本であったと自己批判する。文革がやって来たのだ。何が起こっているのか理解できないうちに、梁はクラス代表として全校大会で文革を支持する決意文を起草し朗読するはめになる。与えられた一五分を費やしても決意文の一文字も書けなかった梁は、壇上でひととおり「何々を『打倒せよ』」といったスローガンを叫んでから、苦しまぎれに「我々は階級闘争の最前線での決死隊となる!・・・」と決意を披瀝する。そして、「共通の敵に立ち向かおうとする戦闘的な雰囲気の中で、・・・(批判されている人たちが)間違いなく反党・反社会主義の反動グループの一味だと信じ始め」た。そして、さらにこう考える。「彼ら以外にも、まだ多種多様な反動分子はたくさんいて、まだ反革命の姿を暴露していないだけなのだ。そうでなければ、毛主席がどうして社会主義文化大革命を発動したりしたのだろう」。

 文革は、進むに連れてさまざまな「ブルジョア的」表現を槍玉に上げていく。片目を閉じたふくろうの絵が実は「『現実を直視したくない』という『反動的寓意』を含んでいる」とか、「任務は重く、道未だ遠し」という革命的標題をつけたロバの絵は、「『望めども活路は見えず』という反動的寓意を含んでいる」、等々。こうした批判闘争は、他への批判だけにとどまらず「鋭い短剣で自分を刺し、血まみれの短剣を引き抜く精神」で自己へも向けられる。自分が、公用の便箋を二枚不正使用したことに思いあたったとしよう。それがもし、一か月、一年と続いていたら。そして多くの人が同じことをやっていたら。その流用されたお金が、本当なら機械購入の資金なら。その機械が、農業用機械でなく医療器械の購入に当てられるはずのものなら。そう問い詰めていくと、人は誰も「万死に値するほどの罪の大きさに思い至る」。そこまで我が身を切り裂いて、自己批判は人々を納得させる。

 こうした大衆運動の進展のなかで、人々はそれぞれの出身階級を「紅五類」(労、農、解放軍、革命幹部、革命烈士家庭の出身者)と「黒五類」(地主、富農、反革命分子、悪質分子、右派家庭の出身者)に分ける考えにとりつかれる。ある時、紅衛兵の集会で読み上げられた電文を、短髪の颯爽とした女性がマイクを奪い取って、革命輸出主義に過ぎると批判した。すると、紅衛兵は彼女の出身を詰問した。彼女は答える。「農奴です」。梁は思った。「農―奴―だと!『農奴』ほど人々を粛然たらしめる出身があるだろうか。・・・この上なく高貴な出身だ」。

 梁は、自分の父親が今や反動宗教組織といわれる「一貫道」に参加していたことを母親に聞かされるが、それを隠したまま紅衛兵組織のメンバーに選ばれる。そして、友人の王文●(王+其)も遅れてメンバーに取り立てられる。父親が、かつて国民党の兵士であったことを摘発し、大衆集会で罵倒し、蹴りとばした功績で。

 梁は苦心の末北京にたどりついて天安門で毛沢東の観閲を受け、故郷のハルピンに帰ってからは革命派内の武闘にも巻き込まれる。この時、相手方の部隊に包囲された梁は死を覚悟する。玉砕の時にどう叫ぼうか。ユーゴーの小説をまねて「糞!」の一言でいくか。いや、自分以外の人がこの小説を知らなくてはどうしようもない。では、「砲撃派、万歳!」でいくか。いや、勇敢さ、壮烈さは十分だが、何か悲劇性が欠けている。「そうだ、『毛主席万歳』をさけばないわけにはいかない。毛主席のために戦死するのに、北京にいる毛主席は間違いなくそのことを知らない。これが悲劇でなくて何だろう」。結局この戦闘には参加させてもらえず、梁は事なきを得るが、翌年農村に下放され、物語はここで終わる。

 私が本書を読んで考えるのは、中国共産党史における文革の評価でもなければ、文革のあやまりでもない。この物語にみられる紅衛兵をとらえた、「正義」の観念。そして、「敵が誰か、味方が誰か。これが革命において最も重要な問題だ」という紅衛兵司令部に書かれてあった文言。これらは、我々の歴史にもたびたび顔を出してはいまいか。戦前の天皇制イデオロギー、戦後民主主義、全共闘、連合赤軍、反差別運動、そして近くはオウム真理教しかり。善なる社会を創ろうとしたときに抱く「正義」の観念。それは、一旦できてしまうとなかなか自分では疑い得ないものとなり、むしろあらゆる価値の源泉となる。他人にそれを振り回されると危険きわまりなく思えるのに、自分が取り憑かれる分には、なんと甘美にして爽快、清浄にして剛毅なものなのだろうか。小さな災いを取り除こうとして、つい爆発させてしまう大きな災い。よりよい社会をめざす我々の小さな願いは、何から出発すれば大過なく積み重ねていけるのだろうか。

(情報センター出版局、一九九一年、各一五〇〇円)