部落問題の地理学的研究と地名表記の問題点

『地理』36巻1号、1991年1月、古今書院

 

 地理学研究と部落問題研究とは、本来非常に近い関係にあるはずだ。例えば、被差別部落は、概して低湿な居住に適さない地域に立地していると信じられており、事実そうした面がないではないが、今まで多くの部落を歩いてきた経験からいうと、必ずしも当該地域において最も劣悪な立地条件であるとは限らない。ならば、部落の立地条件は、その部落のいかなる歴史的、社会的、経済的条件によって規定されているのか、部落史を研究する中でしばしば考えさせられる課題である。しかし、歴史学の方法ではそれらを充分に解明するだけの技術をもちあわていない。例えば、ある集落の居住条件の優劣を客観的に記述することさえ、いざやろうとすると歴史学畑の人間は困ってしまうのである。

 ところで、地理学側からの充分な成果はまだないという。そして、そのように地理学研究者をして部落問題研究を躊躇させる要因として、地名の取扱いが関係しているようである。つまり、被差別部落を地理学研究の対象として選んだ場合、その部落の所在や地名をどの程度表記したものか考え込んでしまうのだそうだ。

 現代の部落差別を象徴しているもののひとつに部落地名総鑑というものがある。これは被差別部落の所在をしめした一覧表のようなもので、企業の人事担当者などに一冊数万円で売り込まれて、採用の際に部落出身者を除外するのに用いられたとして、社会問題になっている。地理学研究で部落の地名を正確に表記した場合、こうした地名総鑑のような役割を果たしてしまわないだろうか、あるいは部落住民にそう受け取られないだろうかという心配が先にたってしまうのだろう。

 結論をさきどりしてしまえば、私は基本的には部落の地理学研究で部落を対象とした場合でも、地名は極力記すべきであり、みだりに伏せるべきではないと考えている。そのことによって、当該地域に不利益が生じる可能性がゼロとはいえないが、それは部落問題を問題として考えはじめた途端さけられない危険性である。研究に限らず、例えば、ある部落が部落解放運動に立ち上がることは、すなわち内外に自分たちが部落民であることを宣言することにほかならず、そのことによって生じるある種の「危険性」は論文で地名が表記されることの比ではない。しかし、そうした危険性をゼロにする方法はないわけで、あるとすれば部落問題をいっさいとりあげないことに帰結する以外にない。

 また、実際問題として部落差別が再生産されるうえで部落の所在に関する情報の伝達経路はマスメディアにはほとんど依存していないことは押さえておく必要があるだろう。ある地域が被差別部落であると論文で表記されたところで、そんなことは、当該の地域社会では自明のことであり、誰も論文で知る必要はないわけだ。だから、気をつけるとすれば、あまりにも一覧性・通覧性の高い地名総鑑的なものが、大量に出版されることぐらいであると思う。

 しかし、理屈でそう割り切ったとしても、部落差別は血筋に対する差別であるが実際にはそれを地域によって特定しているというのもまた厳然たる事実である。部落差別をする人が部落民を特定する唯一の方法は居住地域を限定することであり、現在もしくは過去に部落に居住していたかどうかによって、部落民としての血統を擬制的に確認しているわけである。近代になっての人口の流動状況のなかで、江戸時代から代々「穢多村」に住む由緒正しい部落民など今どきそうざらにいるわけではない。したがって、部落住民が差別を回避する最も効率のよい方法は、自分が部落にすんでいることを隠し、また、部落がどこにあるかの情報を消すことがとりあえずの早道であることになる。当然そこからは、部落の地名表記に関する過剰な反応がでてくるのも人間の心情としてはやむを得ないことである。さきごろも、ある公共図書館で古地図などの展示会を開催したところ、その片隅に「穢多村」と描かれているのが見つかり問題化したことがある。実際には、その旧「穢多村」には、現在さまざまな同和事業に基づく住宅や病院、会館などがたちならんでおり、古地図に「穢多村」と出ていたところで今さら実害などあろうはずもないのだが、やはりなかには感情をいたく刺激された人もあったわけである(もっとも、そうした自然な感情を運動団体がストレートに代弁することの是非はまた別の問題であるが)。

 このように、理屈で割り切った結論と、個々の部落住民の感情は、差別の現実が消えない限り、なかなか一致するものではない。したがって、万人が納得する最終的「正解」はありえないわけである。

 現に『京都の部落史』(全一〇巻)でも地名表記は常に問題になってきたし、時々にとられた方針が確固不動のものであったとはいいきれない。例えば、第六巻に収録した「明治十九年臨時旧穢多非人調書」は、松方デフレ政策によって打撃を受けた部落の生活状況を詳細に調査した貴重な史料であるが、あまりにも網羅的であり、また一覧性も高いので、最終的には「○○郡○○村内○○(小字)」と原文にあるのを、郡名だけを残して村名以下を省略してしまった。今読み返すと、どこの状況かわからない史料は、内容が如何に詳細でも、歴史史料としては使いようもないものであって、痛恨の極みであるが、当時は全文掲載の決断ができなかった。冷静に考えれば、史料に出てくるのは古い地名であり、現在に害を及ぼすようなものではないことは今ならば自信をもって主張できるのだが。

 部落問題研究で禄をはんでいる私たちのようなものでさえ、確固たる方針が出せないのだから、人様に提言などできた筋合いではないが、やはり地理学からの研究成果、それも概論的なものではなく、具体的な地区を対象としてのフィールドワークに基づいた研究がどんどん出てきたら、どんなに素晴らしいことか。若い世代の研究者諸氏の御健筆を願わずにはいられない。