フランス 恋愛の歴史

京都産業大学文化学部国際文化学科 中村未知穂

 

     はじめに

春期に、フランスの現在の男女関係がどういうものなのかを調べてみて、それは今に始まったことではないということがわかった。そこで、今期はその歴史について調べた。まずは社会構造の基本、“カップル社会”について...

フランスの恋愛についての価値観や倫理観は、日本とはもちろん、同じ西欧圏でも大きく違う。これは、フランス社会の成り立ちに関わる問題であり、恋愛という切り口からフランス社会の構造を見ることが出来る。

フランスにおいて、男女、男同士、女同士、すべての11の関係を持つ、つまり“個と個の11の関係”を1ブロックとした組み合わせが社会を構成しているのである。このように、11を単位とするやり方は、論理構造にも反映されている。子供たちは、対象を認識するときにこれとこれは「同じ」と言葉を覚え、少し経ってから「違う」とわかってくる。このように11を付き合わせることによって物事を理解していく。そして、フランス人が人と人との関係で成り立っている社会だということも重要である。イギリス人やアメリカ人は、自然を切り開いて社会を作っていかなくてはならなかったために社会関係の基本が「人と物(自然)」ということだが、フランスには自然があり支配しやすかったため自然(物)との関係はあまり重要にならず、人間関係に重点がおかれてきた。

フランス人が個人主義といわれる理由は、ひとつの意見に必ず対立する意見があり、1対のバランスがあり全員が同じ方向を向かない気質があるからである。しかし、個々がバラバラに存在するのではなく、人と人とが1対1で濃く関わる関係を基礎におく“カップル社会”であるといえる。

そもそも、フランス語が男女文化を作っている。名詞はすべて男と女に分かれ、主体(○○する人=精神を持った方)を表す言葉はたいてい男性名詞で、客体(○○される対象=物質、観念も含む)を表す言葉はたいてい女性名詞であり、男女が離れられない文化なのである。

 

     フランス的恋愛の歴史

現在のフランス文化の象徴は、17世紀から18世紀にかけての宮廷社会から生まれた。その宮廷文化はルイ14世の時代に花開き、基本に位置していたのが「恋愛」であった。宮廷では、恋愛は日常茶飯事であり、大きな要素として公認されていた。この文化をリードしていたのが既婚の貴婦人たちである。彼女たちは、地方の領地に夫を残して宮廷近くに館を構え、夫以外の貴族男性と恋に落ちていった。

この恋愛のルーツは、さらに500年前の12世紀にさかのぼる。ヨーロッパにおいて、「恋愛は12世紀の発明(発見)」といわれる。キリスト教の道徳観の支配下の元で、恋愛感情は野蛮なものとされていた時代、その時代に恋愛を歌い上げる“トゥルバドゥール”と呼ばれる叙情詩人たちが登場した。彼らは、恋愛を価値ある新しいものという概念を仕立て上げた。彼らの詩のテーマは、「まことの愛」(フィナモール。純粋な愛。誠実な愛。)であり、騎士が貴婦人にささげる女性崇拝の愛だった。しかし、これらの愛は報われることはない。なぜなら、騎士の愛の対象は身分の高い既婚の貴婦人だったからである。

このような恋愛は、“騎士道恋愛”(宮廷風恋愛)と名づけられた。恋愛は、騎士にとって自分に試練を課し、精神を高めていく行為だった。彼らの関係は、主人と下僕であり、恋のために命を投げ出す純粋さを持つことが美徳であるとされた。この愛に対する見返りは、女性から与えられる何らかの好意的な表現であり、それらは騎士に勇気を与える。

この騎士道恋愛が西欧的恋愛の原型である。つまり、「不倫」が根底にあり結婚とは別物というわけだ。このような恋愛の基本型は、「女1人に男複数」である。

12世紀以後、この恋愛は発展していく。(17世紀から18世紀にかけてのブルボン王朝時代のことだ)

騎士道恋愛の伝統は、精神性を重視したプラトニックな傾向や悲劇性が失われ、恋愛を楽しむゲームの雰囲気が加わった。この時代の恋愛を象徴する言葉として、“ギャラントリー”(優雅な趣味的恋愛)である。女性は手の届かない存在ではなくなり、多くは「情事」となっていく。しかし、基本型は夫のある貴婦人に男性が愛をささげる三角関係である。

 

     宮廷文化からサロンへ、そして...

王妃マリア・テレサの死後、ルイ14世はマントノン夫人と再婚する。彼女は、非常に地味で慎み深かった。彼女の登場で、宮廷に陰りが出てきたころ、宮廷で発展した文化を引き継いだのはサロンであった。17世紀末の有名なサロンの女主人にニノン・ド・ランクロがいた。

18世紀のサロンは、高い教養を身につけた富裕なブルジョワの夫人たちで、そこには多くの文化人たちが私的な交流を求めて集まった。彼女たちは、金銭的援助も含めて、男性の才能を引き出し、育てる役割を果たした。サロン内では恋愛も生まれ、宮廷の男女文化はこのようにしてサロンに引き継がれていった。そして...

18世紀のサロンに出入りし、ニノンを女性の敵として憎んでいたルソーは、社交界に幻滅し「自然に帰れ」を提唱した。貴婦人たちに、社交ばかりせず、自然と親しむ田舎生活を勧め、「自分の子供を母乳によって育てよ。」とした。この時代に「母性愛」はなかったが彼の主張後、パリでは母乳を飲ませる母親が急増した。

ルソーは、「女性に固有の使命は子供を生むこと」であり、「子供を育てるには忍耐、心遣い、愛情が必要だ。女性は子供と父親とを結びつけるものとなる。」とし、子供を育て、家庭を守ることが女性の仕事であり、女性の教育は「すべての男性に関連させて考えなければならない。」という、男性に尽くすことが女性の義務だとした。

ルソーの出現によって、宮廷恋愛は生活臭のある母親業が「使命」や「仕事」になった。恋愛は、「母性愛」・「夫婦愛」に変わっていく。

 

・ “夫の所有物”、そして女性解放

1789年に始まったフランス革命は、宮廷恋愛に終わりをもたらし、代わりにブルジョワの性道徳が主流となる。

ブルジョワの性道徳の基本はキリスト教で、その原則は性的な純潔が美徳とされ、生殖目的以外の性交渉は罪であり、恋愛やそれに伴う性的欲求は神の祝福する結婚とは相いれないとされた。この性道徳を押し付けられるのは当然女性であり、恋愛をすることなく決められた結婚をするという、不自由な身であった。

フランス革命で、女性たちは権利を主張し立ち上がった。オランプ・ド・グージュは1791年に「女性と女性市民の諸権利」宣言を書き、「人権宣言」をそのまま女性にも保証するように求めた。しかし、その要求は通らず、ナポレオン時代には女性の地位はさらに低下する。1804年のナポレオン民法典の女性観は「女は子供を生むために男に与えられる男の所有物である」だった。女性は結婚すると同時に法的無能力者となり、夫に服従し、人格、財産、生活のすべてが夫の管理化におかれることを定めていた。この法律によって離婚は厳しく規制され、1816年から1884年まで離婚は禁止された。

そして、フランスでは最近まで、夫が夫婦の居住地を定める「居住地選択権」が法的に認められていた。廃止されたのは1975年である。夫婦別財産制と妻の職業従事の自由の権利が認められたのは1965年。民法の「父権」が「親権」に改められたのは1970年。合意による離婚が認められたのが1975年。このように、男女平等への法改革は意外と遅いのである。

20世紀の後半、女性たちはこの男社会に矛盾を見出す。19685月に起こった“5月革命”である。この革命は、政治体制を変えた革命ではなかったが、人々の価値観を変えたという意味で「象徴革命」とされている。人間関係、つまり結婚や家族、男女関係一般に対する意識が変わった。「夫婦愛の下での健全な家庭の堅持」という偽善性に気づき、もっと自由で創造的な関係を模索し始めたのである。その中で出てきたのが、「ウーマン・リブ(女性解放運動)」である。彼女たちは、1970年に「さらに無名の戦士たちの妻へ」との言葉を掲げ、デモを起こした。このデモを、アメリカのウーマン・リブを真似て“Mouvement de Liberation des Femmes”(女性解放運動、略してMFL)とした。

ウーマン・リブは、1)“妊娠中絶”、2)“殴られ妻”、3)“強姦”をテーマに取り組んだ。1)当時のフランスは中絶が非合法であり、当事者の女性と助けた者は堕胎罪で罰せられた。この運動によって、74年に女の自由意思による妊娠中絶法案が提出され、79年に恒久立法となった。2)結婚制度で隠された女性への暴力問題である。警察は、夫に殴られた妻の訴えを、妻の体が夫に属する以上「夫婦間の問題」として取り扱わなかった。そのため、いくら夫婦間であっても暴力は犯罪であり、裁かれるべきだと主張した。3)強姦罪は、被害者が処女か、妻か、独身かで刑罰が異なった。一番重いのは処女で、全男性の権利を侵害するとされた。次は妻で、夫の所有権を侵害したことになる。一番軽いのが独身女性で、ほとんどが無罪となった。また、夫婦間の場合も無罪であった。

このような「夫婦愛」に隠された女性差別を、「女の体は誰のもの?」とし暴いた。この行動は、結婚制度についての様々な法改正を導いた。「夫の居住地選択権の廃止」「協議離婚の自由化」「世帯主の概念の租税法からの排除」「女性は20歳になったら未婚、既婚にかかわらずマダムの呼称を選べる」(内閣通達)などである。やがて、社会意識も変わった。当時、批判され、男嫌いとからかわれたウーマン・リブも、結局は男たちの意識を変えたのだった。

 

     まとめ〜新しい男女関係〜

  その後、法的結婚をする若者は減り、事実婚カップルが増えてきた。「ユニオン・リーブル」(自由な結びつき)や「コアビタシオン」(同居)と呼ばれる、一緒に生活しながらもお互いを尊重しあい、自由でいたいというカップル形態である。ユニオン・リーブルは、社会保障法では78年に、被扶養者であれば、婚姻の配偶者と同じように相手の疾病・出産保険の適用が受けられるようになり、家族給付も認められた。72年の民法改正で、婚姻内で生まれた子供と婚姻外の子供は「同一の権利と義務がある」とされ差別を受けないとされた。そして、親子関係の証明として家族手帳が交付されるなど、ほとんど障害がないのである。その後も新しいカップル形態が出てくる。

  次に「ソロ」と呼ばれる独身者たちである。多くは2535歳の男女で、彼らは単なる一人暮らしでなく、忠実な恋愛で結ばれたパートナーがいる。彼らは、ユニオン・リーブルにはならず、そのままの形で分かれて住み続けるのである。このように、個人主義を追求し、男女関係が自由になっていくフランスにおいて、彼らがより快適な生活・形態・関係を捜し求めていく限り、彼らの関係は日々変わり、進化していくのである。

 

 

『フランス 新・男と女〜幸福探し、これからのかたち〜』

                ミュリエル・ジョリヴェ、鳥取絹子 訳 平凡社新書

・『フランス家族事情〜男と女と子どもの風景〜』 浅野素女 岩波新書

・『フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか?』

棚沢直子・草野いづみ 角川ソフィア文庫

・『ジェンダーの西洋史』 井上洋子 法律文化社

・『女たちのフランス思想』 棚沢直子編 勁草書房

http://wedding.biglobe.ne.jp/special/unch/04france/unch2.html

http://www.alcclub.net/^kon/country/france.htm