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北欧文化にみる独自性 〜中世北欧社会とアイスランドの共和制議会〜 京都産業大学文化学部国際文化学科 溝口雄一朗 私はこの一年間、文化演習を通して北欧文化圏における文化研究をしてきたがここで今一度、中世北欧社会の特徴と現代北欧社会との繋がりをアイスランドを中心にまとめてみた。 北欧とはデンマーク王国、ノルウェー王国、スウェーデン王国、フィンランド共和国、アイスランド共和国の五カ国(その他にデンマーク領フェロー諸島とグリーンランド、フィンランド領オーランドの三つの自治領を含む)のことを指すことは語るまでもないであろうが、8-11世紀にかけてのスカンジナヴィア半島はViking「探検、海賊行為」(の意味を持つ)と呼ばれる人々が暮らす「農民」社会であった。彼らは交易者、植民者、傭兵としても知られ、特に商人として優秀であったといわれているが、もともとは農民であった。彼らは自分たちの上に上層階級を持たず、生活面、政治面、軍事面においても独立していた「独立自営農民」であった。ではなぜ農民たちがVikingと呼ばれたのか。それは、彼らの生活の自給率はとても高かったのだが入手できないものは外部との接触で入手するしかなかった。そこで彼らは外部の文明レヴェルにより交渉手段を変え、ヴァイキング(掠奪遠征)や貢租要求、傭兵勤務など行っていたのである。つまりは結局、ヴァイキング活動も外部との接触方法に過ぎず農業社会における生活活動の一面に過ぎなかったのである。故にヴァイキング=略奪者と結びつけるのは適当ではないといえる。 彼らは家族単位で生活し、異なる農民世帯と相互契約を結び生活していた。アイスランド社会を例にするとこのような社会のなかで問題が起こった場合、原則として当事者同士で解決するのがルールとされていた。もしも二次的問題が起こった場合はその共同体にある集会で裁判が開かれ、有罪になったものはその共同体から追放される。つまりこれは共同体の共通法から守られなくなることを意味する。この相互関係から成立した規定は曖昧で、犯罪の連鎖を起こしかねないが、これにはスカンジナヴィア半島に見られた血の復讐が関係していると思われる。当時、血族が略奪などで殺された場合、復讐というあだ討ちをとるのが一般的であった。また当時の人々の主観には亡くなった人は復讐されることで救われるといった血なまぐさい考えが強く、あだ討ちを行わないものは臆病者とされた。このような少々原始的要素を含みつつも当時のスカンジナヴィアの農民たちは共通法をもった相互関係の上に成立した共和制的社会の中に生活していた。 こういった共同体の社会の共通法、集会は北欧社会全体で見られたが、その殆どが地域レヴェルでの集会、議会でしかなかった。というのもノルウェーやスウェーデンでは国土の大きさや人口の多さからか、共同体だけでは社会体系を維持できず、王権体制を設けることになるからである。12世紀頃にはキリスト教の侵入、普及も重なり、よりはっきりとした王権社会が出来上がっていくことになる。だが王権成立初期頃は王を決定するのに一部の市民たちの意見、賛成が必要とされ、共和制的一面も持ち合わせていた。また農奴荘園制といった従属制度も発展しなかった。これは現代の北欧人の性質に関係してくることのように思えるがこれについては後ほど述べたい。 一方でアイスランドは人口も比較的少なく、共同体を維持しやすかったこともあり、キリスト教を受け入れつつも、王権政社会は取り入れなかった。彼らはアルシングと呼ばれる、議長を中心に4つに分類された「全島議会」を設け共和制を維持していた。このことは王権社会が主であった周りの欧州社会と比較すると極めて稀であるといえる。 さて続いては、中世の社会体系から離れ、当時の文化、宗教について触れておこう。スカンジナヴィアの人々はかつてルーン文字を使用していた。ルーン文字に関してはその起源は鉄器時代にまでさかのぼる。古いルーン文字は2世紀のものが知られているが、初期のルーン・アルファベットは24文字から構成されるフサルクというもので、ほとんどが垂直線と斜めの線から構成され、古い時代には木、骨、石に「書く」もしくは彫った。というのは、それらは木、骨、特に石(多くの知識が残されている記念碑「ルーン石碑」)の文字からである。既に述べたようにルーン文字は24文字から構成されているが、ヴァイキング時代にはルーン文字は16文字に数を減らした。その減少の理由は知られていない。さらに減少したフサルクのために1つのルーンが多くもしくはいくつかの発音を持ち、そのことが北欧中に広がる碑文であるルーン碑文を理解し難くさせる。ルーン文字に長けた者はほとんどが力ある重要な者であったといわれている。もし抽象的に考えると、ルーン文字に長けた者は我々が「魔法」として理解している事柄に密接に関連していたに違いない。…※1(※1『ルーン文字とヴァイキング』http://www.runsten.info/より) ここに文字と呪術的結びつきを見ることができ、インドのヒンドゥー教と同じように言葉の魔力を強く信じていたのではないだろうか。またルーン文字は大まかに、標準ゲルマン、スカンジィナヴィア、アングロサクソンの三つに分かれている。 宗教としては元々、古代ゲルマン民族全体に広がっていたことで有名な北欧神話(サガ、エッダ)からなるオーディンを主神とした独自の多神教を信仰していたことは有名であるがその特徴を一語とで言うとすれば「悲劇的結末」ではなかろうか。というのもこの神話は神々と巨人の対立が続いており、最終的には共倒れになってしまう。ギリシャ神話でも神々と巨人族は多少の対立は見られるが神々の優位がきちんと描かれている。 そして共倒れになった神々は残ったわずかな人々と神々が今の世界を作っていったとされている。この「破壊→創造」の流れはノアの箱舟やマヌの洪水に代表されるように世界中に見られる。しかし主神(オーディン)が飲み込まれるという点や、神々さえも常に死の危険にさらされているという点を見ただけでも他の宗教にはなく過激でかつ破壊的に思える。これは当時の北欧の厳しい生活や自然環境を反映しているのではなかろうか。そのせいか貴族に人気だった知の神オーディンより農業の神であったトール(トゥル、トゥール説も)が広く信仰されたが、トールが力の神であることを考えれば、当時の人々は「神に縋る、祈るよりトールのように自分たちの環境、立場に対し力強く生きていこう」という意識のあらわれだろうか。同様にこの圧倒的な敵(巨人軍)と戦う英雄(神)の姿と、その「死に様」は当時の戦士としての理想観がこめられていたようにも思え、「ゲルマン魂」と呼ばれる反骨精神の根本とも思える。またこれは多神教に共通しているころかもしれないが、神々が人間性豊かで、多くの化身、分身が登場することも神話の物語の面白さを感じる。そんな北欧信仰も11世紀末にキリスト教の進入によりその立場を追われるが、その際キリスト教徒たちに破壊される神々の偶像をみて自分たちの信じていた神々の無力さを痛感し、改宗していったといわれている。 こういった当時の文化、社会、特に中世アイスランド社会を知るうえで貴重な文献資料として知られているのがsagaである。 サガ(saga)とは12―14世紀にアイスランドで成立した散文の物語で、数百編が現存し、ジャンルもさまざまであるが代表作はノルウェーの歴代の王や、アイスランドやスカンディナビアの歴史的・伝説的な男女の英雄たちの物語である。その大部分の原作者の名前は不詳である。またSagaは「言う」という意味をもち、口頭文献であり、賢者(この表現にも言葉を操る、綴るものに対する敬意、呪術性が見える)と呼ばれる識者によって散文にされた。発見当初は、ゲルマン文献と思われていた。現在は中世アイスランド社会を知ることができる貴重な資料である。 では現代の北欧社会はどうなっているか。以下に箇条書きしてみた。 〇参加型の政治色が強く、3,4年ごとの国政選挙では投票率が五カ国とも70%〜80%以上。 また国民投票も他の欧州諸国同様に実施されている。 〇アメリカなどの個人的自由を社会的利益に優先させる意味合いが強い民主主義をとる国と違い、社会の利益の優先し個人はそのなかで利益を実現させるという意味合いを強くもつ民主主義とる国が多い。共和制的要素が強い一方で全体主義(権力集中による支配や個人より国家を重視、社会主義的考え)につながる危険性をもっているといえる。 〇税率が収入の40〜60%。そのかわり公共の医療、教育機関は無料。しかし近年スウェーデンでは税率を引き下げ、一部を有料化する動きもある。→ブラックマネーで稼ぐことも。 〇三王国は立憲君主国で男女を問わずに長子に王位継承権が与えられている。 ○男女の自立が進んでおり、特にデンマークでは1960年代以降、家事の分担は当たり前で家事のできない男性は結婚対象外といわれる。さらには男性の育児休暇率は95%と非常に高い。 こうしてみると、先に述べた、中世時代の共和制もしくはその形を残した社会(荘園制が成立しなかったこと等)は箇条書きに見られる北欧の高い個人の自立と精神面の自律をもった考え方に少なからず影響しているのではないだろうか。またアイスランドではアルシングが名称だけだが(今は独立党、進歩党をはじめとする政党政治)残っており、世界初の女性大統領を選出した。 最後に日本との交流史を紹介したい。北欧諸国との交流は公式には江戸時代からとされている。1638年頃、デンマーク東インド会社が日本進出を企てているとオランダ側から知らされたことにより「北欧人」というものが日本人に認識され始める。1680年にもデンマークは日本進出を試みるもいずれもオランダの妨害に遭い失敗。また出島の商艦の船員であるスウェーデン人、オロフ・E・ヴィルマンが『日本滞在記』を残している。しかし来日するスウェーデン人たちはオランダ人として来日していたため、日本人に「北欧人」としての意識は持たれなかった。それでも日本人もオランダ人による風説書や世界地理書などで北欧の知識を得ていく。一方で1830年にロシアに10年以上も滞在した仙台の漂流民五人がはじめてデンマークを訪れたが彼らも北欧の人々には「日本人」としては意識されてはいなかったようである。(参考:百瀬 宏・村井誠人『北欧』(新潮社)) 余談だが日本で言う「ヴァイキング料理」は実は北欧起源のものではなく、日本の帝国ホテルが始めたものである。ただ、「好きなものを選んで食べる」という形はスウェーデンにある各種の料理を一テーブルに集める「スメルゴスボード」というものと似ている。 まとめ こうして中世から現代にかけて、アイスランドを中心に北欧社会をまとめてみたが、日本も北欧のような良い面の個人主義、男女の自立は見習うべきであるが、決して男らしさとか女らしさを無視した平等やジェンダー論と勘違いしてはいけない。あくまで北欧社会のそれは協調性のうえに成り立つ平等と自立であるのだから。さらには福祉先進国家として日本が見習うところも多いだろう。税制は賛否両論あるだろうが。今後としては日本神話と北欧神話の比較や現代に残る北欧神話について取り上げてみたいと思っている。 参考文献 『サガから歴史へ』熊野 聡 『サガの社会史』 J.Lバイヨック ともに東海大出版会 百瀬 宏・村井誠人『北欧』(新潮社) レジス・ボワイエ著、持田智子訳『ヴァイキングの歴史と文化』(白水社) 『ルーン文字とヴァイキング』http://www.runsten.info/ |