なぜフランスは美食大国なのか

京都産業大学文化学部 国際文化学科 松井 まどか

 

はじめに

フランス食文化と聞いて多くの人が想像するのは、ホテルやレストランで出される高級フランス料理だと思う。もちろん高級フランス料理はフランスの食文化として代表されるものだろう。さらに、フランスは「美食の国」とよく謳われるが、なぜこう謳われるようになったのだろうか。実際、フランスでは食にこだわりを持つ人が多いようだが、なぜフランスでは食にこだわり、美食を愛するのかを解き明かしたいと思う。

 

 

T 時代からみる“食”の変化

1、「大食い」から「美食」へ

中世において、食事の内容は日常も特別な日であってもあまり変化はなかった。また、フランスだけでなく、ヨーロッパ全体を見てもその地域特有の料理はなく同じような食事をしていた。ただ違っていたのは上層と下層の食事内容の違いだった。上層階級においては、特に政治に関わる人々にとって政治と食事の場は密接に関わっていた。つまり、政治家は食事会の中で外交を結んだり、権力を誇示していたのだ。このように食事というのは上層階級のフランス人にとって大切なものになっていったのだ。

フランス人が食を重んじるのには、それなりの理由がある。彼らの祖先であるガリア、ゲルマン、ケルトといった民族の人々の性格は、人付合いが良く、ずぼらで快楽追求の傾向があり、このことが食を重んじることに関係してくる。その中でも特徴的なのが、彼らの多くは「大食症」、つまり大食いであったことだ。フランスは「美食の国」とよく言われるが、その中には「大食症」という一見美食とはあまり関係のなさそうな特徴も持ち合わせていたのだ。この頃の食事の様子は、「彼らの食物は少量のパンと、茹でるか炭火で焼いたり、串に刺して焼いたたくさんの肉である。彼らはそれをきれいに整えて供するが、食べる時はライオンのように、両手で鶏や獣の手足を掴み、かじる。」(注1)ということであった。ここから分かるように、当時は味より量という傾向であったようだ。食べ方も豪快で食事のマナーなどもまだなかったようである。

しかし、このような食事は貴族の場合であって、農民たちは貴族とは違い、菜食主義であった。パンが基本で、それもライ麦や大麦を使用し、保存の利くおおきなものだった。その他は、多少固めの粥やチーズなどが食されていた。ここから考えて、「大食症」といっても貴族中心のものだったようだ。

そして、15〜16世紀になると、アメリカ原産の野菜が入ってきたため、料理のバリエーションや彩りも豊かになっていった。また、普段の食事も無骨で品数も少なめだったものが、祝祭日にはご馳走が並ぶなど変化していった。そして、教会による絶食が行われるようになったのもこの頃である。

「日常的粗食→精進・絶食→ご馳走、飲酒」

この頃からフランス人はこのような繰り返しを美化するようになる。それに加え、陽気、豪快、人付合いの良さといった気質が、世界でも有数のフランスの高級料理の開花にとって重要な要素となる。また、それだけでなく、特に過剰な飲み食いを続けることは、フランス人が自らの存在を証明するための重要な要素でもあるようだ。

 

2、キリスト教における食

前項にも登場したように、キリスト教では食に関して精進・絶食が行われてきた。旧約聖書でも、節食や禁欲は賛美されてきた。しかし、これは重大な束縛ではなく、何よりイエス・キリスト自身も絶食期間を除き、よく食べていたようだ。このように、キリスト教において“大食い”は許される罪であるが、他の罪を犯す可能性もあるのではないかという考えもあった。それでも修道士たちもイエス同様絶食期間以外はよく食べていたようで、

肉を好み、ワインなどアルコールも好んでいたようだ。

しかし、キリスト教全体が“大食い”や“贅沢”を許していたわけではない。キリスト教の中でも、これらを禁止していたのがプロテスタントである。現在ではプロテスタントの信者もおいしいものを好んでいるが、当時は菜食主義者中心の禁欲派だった。ジャン・ジャック・ルソーもその一人だったが、彼は「食べることは、人間の手の入らない“自然”と自然に立ち向かう農民の苦悩との厳かな交感である」とし、食物に快楽が入ってしまうと、それは食物への裏切りになると考えた。

キリスト教の中でも、美食を愛するものとそうでないものがいるように、当時のフランス人全てが美食を愛するわけではなかった。しかし、プロテスタントの信者たちも現在では反対していたことを後悔しているようだ。

このように、美食に対して反対する者もいたが、禁欲生活をする修道士、また、信者たちも食に対しては甘かったと考えられる。

 

3、ルイ王朝

まず、中世、ルネサンス期になると大量の金銭の流通により、おいしいものが容易に食べられるようになる。しかし、料理自体が洗練されるのは14世紀になってからのことである。それまでのフランスの食事は、イタリアやロンドンなどの大都市の食事内容とさほど違いはなかった。だが、祝いの席などの大宴会では、肉料理中心の大盤振る舞いであったことが他の都市とは異なるところである。また、当時使用されていた香辛料には、殺菌の意味があったが、それは何より権力の象徴の意味があった。そして、フランス全体が食に対してさらなる威信を獲得していくが、それは代々の国王とその宮廷の意志によるものである。

ルイ王朝時代になると、食卓におけるマナーや新たな調理方法など現在のような高級料理が確立され始め、政治との結びつきも濃いものとなっていく。

まず、ルイ13世の時代には、フランス式のマナーが上流社会に普及していった。客をもてなす方法、食卓のマナー、接待客の席次、スプーンとフォークの使用などが確立されていった。それまでは貴族であっても手づかみで食事をしていたことを考えると大きな変化である。また、ルイ13世も病気をするまでは大食いだったことで知られる。

そして次の治下を背負ったルイ14世は、多面的な食欲の持ち主だった。彼が望んでいたフランスの威信にとって、その食べ物が独創的で洗練されていることが必要だったからだ。そこで、彼は自分の宮廷に菜園を作らせるなど食材に対してもかなりこだわっていたようだ。ここでも分かるのは、やはり政治にとって食事の場は自分の威厳を誇示するなど、とても重要であった。そのため、彼は宮廷の晩餐を一般庶民に公開もしていた。社会が貧しかった時代、食事の量を誇ることは「社会的ステータスや威信」を意味していたのだ。ルイ14世だけでなく、他の王侯にとっても祝祭日などの大宴会は、彼らが自分自身に与えたいイメージ作りに大いに役立っていたようだ。また、食事は統治の手段であると同時に、外交の手段でもあった。外交において親密さを増すためには、庭での食事会や「スペ」と言われる夜食が重宝されていた。また、ここで欠かせないのが「シャンパン」で、このシャンパンの泡立ちは軽妙さ、喜び、贅沢を想像させるものだった。やがてスペは上流階級全体に広がり、ここで美食は誰もが実行できるフランス風俗に近づく。

そして、ルイ14世の時代には、フォークの使用が一般化され、料理の出し方では、「フランス式サービス」が登場する。これは、料理を三回に分ける出し方で、一回目にはスープなどが何種類か出され、二回目には何皿もの大皿のオードブル、そして三回目にはメインディッシュが出されるというものだった。しかし、このサービスでは料理が冷めてしまったり、料理の一番良いタイミングを逃してしまうため、19世紀末頃からは現在のように一皿ずつ順番に出していくロシア式のサービスになっていった。

また、「フランス風」という言葉が登場するのもこの頃で、多くの料理書も出版され始める。その他にも、宮廷などでの食堂の登場、さらに食事の中での会話術も重要になっていく。

一方、農民が貴族たちのような食事(ここでは大御馳走という意味で)を許されたのは、復活祭前の禁欲期間に入る3〜7日前のカーニバルの時だけであった。

さらに、食に対する変化は女性の美の基準の変化からも分かる。15世紀には痩せ型が美しいとされていたのが、17世紀には肥満型が美しいとされるようになった。その理由として、17世紀になると、料理のソースにバターが多く使用されるようになったことにある。フランスの食文化は、女性の美に対する価値観にも影響していたようだ。

ルイ王朝時代をみてみると、食事と政治は密接に関わっていたことが分かる。また、この時代に料理やマナーに多くの変化がみられたり、さらに食に対する関心が高まったのには、この政治と関わっていたことが大きく影響していたように思う。

 

4、フランスらしい制度、レストラン

また、忘れてはならないのが、「レストラン」の登場である。レストランとは、もともと栄養とブイヨンを意味し、それが軽くて健康的な料理を意味するようになった。ルイ14世の治下ではすでに、パリには何軒かのレストランがあったようだ。さらに、17世紀にはカフェや惣菜屋がすでにあったようだ。

そして、レストランが大きく変化するのがフランス革命後である。革命後、宮廷で働いていた料理人たちは行き場を失い、街へ出てレストランを開いたことで、それまでの大食いから美食を求めるレストランが広まった。ここから、ブルジョワの屋敷で働くシェフたちも技術を習得し名が広まるとレストランに転職するようになった。しかし逆はなかったようだ。それでも、19世紀前半では、美食と言われるような料理を出すレストランはパリに限られ、他の地方には地味なレストランや飲み屋が多かったようだ。

また、レストランで欠かせないのが、「ミシュラン・ガイドブック」で、これは世界的タイヤメーカーミシュラン社が1900年から発行しているレストランのガイドブックである。1926年から現在の星マークがつくようになり、約4千店が掲載されているが、三ツ星ともなると、20店強と狭き門になっている。

 

5、ヌーベル・キュイジーヌ・フランセーズ

 

時代が変わり、最近のパリではワールドフードに人気が及んでいるようだ。特にアジアンテイストが人気でシャンゼリゼ通りに中華料理店や回転寿司の店ができたり、スーパーマーケットにはスシコーナーがあるようだ。このような流行の火付け役となったのが、1970年代に登場するようになる「ヌーベル・キュイジーヌ・フランセーズ(新フランス料理)」だ。これは、伝統的なフランスの料理を守りつつ新しい風を吹き込もうという新たな試みだった。しかし、当時の料理人たちは、自分達の料理に貢献できると正当に評価した部分は取り入れ、必要でないと思うところは退けていた。

このヌーベル・キュイジーヌは1968年の五月革命がきっかけとなる。五月革命とは、政治、経済、文化などフランス社会の現代化を促進する社会運動で、これにより料理の世界でも革命が起こった。そして、この革命を進めたのはフランス各地のシェフたちであり、「フランス料理の現代化」を推し進めることとなる。この頃になると、一般のフランス人も私たちがイメージするような高級フランス料理を食べるようになる。

しかし、ヌーベル・キュイジーヌのような料理の現代化の前に、料理の近代化も起こっていた。その中心的人物の一人がアントナン・カレームで、彼は料理界のナポレオンと呼ばれていた。彼は当時の政治家であるタレーランのお抱え料理人で、特に豪華な宴会料理で才能を発揮した。その有名な話として、ウィーン会議の話がある。タレーランはウィーン会議にカレームを連れて行き、高級なフランス料理と上質のワインを大盤振る舞いした。その結果、フランスは敗戦国であったにもかかわらず、実質的には勝戦国のように会議の主導権を握ったという。これはまさに、フランス料理が持つ力を発揮した瞬間だったのではないかと思う。このように、ブルボン王朝では、“権力”が料理の後ろ盾となっていた。また、カレームは建築術と菓子に関心を持っていたため、彼の料理は食べる料理というより、内容より見た目の装飾を強調したもの(視覚への快楽)だった。

そして、そして近代化に最も大きく寄与したのがオーギュスト・エスコフィエである。彼は料理人の王様と呼ばれ、それまでの芸術性を強調した麗々しい宮廷料理を「洗練、簡潔」にすることで改革した。また、料理人の社会的地位の向上、調理場の改善などにも力を注いだ。彼はモダンという考え方が通用した時代の人物で、権力が料理の後ろ盾という風潮も弱まっていた。そこで、エスコフィエは料理の洗練と簡潔を追及すること(食の快楽)ができたのだ。エスコフィエは、料理の「内容に重きを置き、徹底的に装飾を削ぎ落とし、ひたすら簡素さを追い求めた。美術や音楽と同じように、料理もまた究極に至る道は簡潔さに通じるか、食材の持ち味を充分に引き出すための技術を最大限に駆使し、滋養にも富んだエスコフィエの料理は、それ以前の料理とは根本的に違っていた。」(注2)ということである。しかし、彼の料理も“時代”に縛られていた。食材を調達(運搬)するのに時間がかかり、今のように新鮮なものが手に入りにくかったからだ。

さらに、何人かのシェフが料理の簡素化を行うが、フランス料理はそれまでの伝統を守ることに必死で、社会の民主化・大衆化にはついていけなかった。そのため、一般の人々は高級なフランス料理を食べることがなかなかできなかったようだ。

このような“近代化”の後登場したのがヌーベル・キュイジーヌである。

この頃活躍していたポール・ボキューズにより書かれた『市場の料理』は特徴的で、“料理人の使命とは、新鮮な食材を早く手にいれること(それまでは新鮮な食材が調達しにくかったため、濃いソースでカバーしていた)など食材の持ち味を生かした料理法が書かれていた。そして、五月革命により時代と社会という味方がついたこと(スピーディーに変化する社会は伝統的な料理を拒否した)と、アメリカからのダイエットブームでフランス料理界が大きく変化した。逆に言えば、ヌーベル・キュイジーヌは、フランス社会の変化やフランス人の食に対する欲求に率直に応えようとしていた。

また、ヌーベル・キュイジーヌに貢献したのはフランス人シェフだけではない。この頃から修業に来ていた日本人コックも貢献した人々の一部である。それまでは、日本料理ならば、会席料理の美しい器や華やかな盛り付けなどは取り入れていたが、必要のない部分は排除してきた。しかし、日本人コックにより魚料理の巧妙な味加減や素早く巧みな熱処理などが取り入れられるなど、調理の場で生かせる技術も上手く取り入れられるようになる。それだけではなく、それまで奴隷のような扱いを受けていた日本人コックたちも、このような技術と共に、手先の器用さ、スピーディーな仕事振りなどにより評価されるようになる。

ヌーベル・キュイジーヌによりフランス料理はさらに大きく評価されるようになったのだが、1980年代には、適当な料理や、真似ただけの料理などによる弊害を招き、客からの信頼も薄れ、表舞台から身を引くこととなる。しかし、ここでまた素晴らしい高級料理を表舞台に立たせたのが、ジョエル・ロブションである。彼は、正当なフランス料理の最後のシェフであったが、伝統を破壊するような料理ではなく、ヌーベル・キュイジーヌで得た食材の新鮮さや的確な加熱などプラスの部分は積極的に取り入れていった。さらに、そこに伝統的地方料理や家庭料理がプラスされることでさらに進化した料理を提唱した。

このように、フランス料理が世界に通じる洗練された高級料理まで上り詰めたのは、もともとフランス人が食べることが好きだったこと、政治と結びついていたこと、社会の変化を利用したシェフたちの努力によるものだと思う。しかし、それだけではないはずだ。やはり、素晴らしい料理には素晴らしい食材、そして料理の原点は家庭料理にあるのではないかと思う。ここからはそれらについて補論として述べておきたいと思う。

 

 

U 補論

1、地方料理

ここでいくつか地方別にわけて、家庭料理について述べていきたいと思う。

まず、アルザス地方だが、ここは文化的にドイツとの共通点が多く、ビールやソーセージがよく作られる。有名な料理が“シュークルート(ドイツ名ザワークラフト)”で、これはキャベツを大量に使用する。

続いて、南に位置するプロヴァンス地方ではオリーブオイルがよく使用される。オリーブオイルを使っただけで“プロヴァンス風”と言われることもあるようだ。ここではトマト、ナス、ニンニクなど色の濃い野菜を使った“ラタトゥユ”や、魚介を使った“ブイヤベースがよく作られる。

そして、ワインで有名なブルゴーニュでは、“マスタード”がよく使われる。フランス女性の大半はフルタイムで働くため、週末やバカンスでないと食事の支度に時間をかけないようだ。そこで、肉を焼いた後のフライパンにマスタードを加えるだけのマスタードソースはよく作られるようだ。

このように、各地によってその土地の食材を生かした様々な地方料理があるが、これらはほんの一部にしか過ぎずまだまだ多くの料理がある。これら全てを味合えるのがパリである。しかし、逆にパリで流行していることが他の地方に広がることはあまりない。これも一つの特徴のようだ。

 

2、ワイン

フランスの食に欠かせないのがやはりワインである。歴史は古く、ヨーロッパへワインが伝来したのは紀元前10世紀のことで、キリスト教とも結びつくようになる。

聖書マルコ伝によれば、キリストが赤ワインのことを「これは多くの人のために流す我契約の血なり」と言った記述がある。キリスト教ではワインをキリストの血であると考え儀式には必ず使用されるため、ワインの普及に影響を与えた。それだけでなく、ブドウ栽培も修道院が中心となって進められた。

また、ワインも料理と同様洗練されるのには、法律の制定や格付けが大きな役割を果たしている。

まず、19世紀に流行したブドウの害虫被害の後、政府により生産地名の不当表示取締りの法律が制定され、これは現在まで続く「原産地呼称統制法」の先駆けとなる。

さらにEU加盟国ではワインの品質をテーブルワインと指定地域優良ワインに分類し、さらにその中で格付けを行っていて、原産地呼称統制ワインが最上級である。このように、法律により最高のワインの品質は守られているのだ。付け加えておくと、原産地呼称統制法はワインだけでなく他の農産物の品質も維持する法律のようだ。

また、フランスでは水質の悪さから水代わりに飲まれ、ビストロなどに行くと、それぞれのテーブルには水代わりのワインが置かれていることが多い。その他フランス革命後から登場した、ワインのスペシャリストであるソムリエもフランスワインを世界に広げている要因となる。

このように、ワインは宗教により普及し、法律により保護されることで洗練されていった。

 

まとめ

いくつかの視点からフランスの食文化について見てきたが、高級フランス料理は他の地方料理や家庭料理と区別されるものではないように思う。私は地方料理や家庭料理の集大成となったのが、世界でも名の通る高級フランス料理であるのではないかと考える。その背景となったのが、政治に関わる食事会、または、その権力を誇示した時代だった。それでもここまで洗練されたのは、もともとフランス人の先祖である民族の「大食い」、つまり昔から食べることが好きだったという性格から始まっているようにも思える。

そして、「美食」に関しては、見た目そのものより食材や料理そのものに対する追求こそが「美食の国」と謳われる要因であると考える。また、フランスの歴史と共に歩んできたのが「美食」ではないかと思う。

 

 

()『美食のフランス』 p33

()『フランス料理は進化する』p63

 

参考文献

 

・宇田川 悟『フランス料理は進化する』 文藝春秋 2002

・ジャン=ロベール・ピット『美食のフランス』 白水社 1996

・湯浅 赳男『フランス料理を料理する』 洋泉社 2002

・田中 清高、末尾 慶子『ワイン物語 ラベルは語る』 時事通信社 1998

http://www.winespiral.com/entrance/history.html