パブリックスクール

京都産業大学文化学部 国際文化学科 今井利佳

 

・はじめに

 私は春学期に『スポーツ文化』について調べた。その中でパブリックスクールについても少し触れることがあり、詳しく知りたいと思っていたので今回調べることにした。

 

まず、パブリックスクールとはどういった学校を指すかと言えば、はっきりした定義はないようだが、伝統的な意味から言うと、「主に寄宿制で、授業料が高く、豊かな階級の子弟が通う伝統的な中高一貫のイギリス私立学校」のことである。ウィンチェスター、イートン、ハロー、ラグビー、セントポールズなどの学校がよく知られている。

 

・理念

 イギリスのパブリックスクールは、上流階級の師弟を養成するものとして、イギリスの社会に深く浸透している。パブリックスクールは、長きにわたる伝統の中で洗練されてきた教育方法を持ち、スポーツからはフェアプレイの精神を、寮生活からは心と体を鍛え、エリートの基本となる責任感やリーダーシップなどを身につけることを目的としている。

昔のパブリックスクールの生活は、過酷かつ質素なものだったそうで、精神と肉体の鍛錬に重点を置いた「スパルタ式教育」を取り入れていた。例えば、貧相な食事や外出禁止、さらには上級生の下級生使役(いじめ)が制度としてあったと言われる。イギリス人が教育のために自由を奪うことで学生に自由の意義と規律の必要性を理解させることが目的だった。

 

・起源

 パブリックスクールの起源は中世ヨーロッパの文法学校(グラマースクール)に遡る。文法学校とはラテン語やギリシア語の「文法」を教えていた学校で聖職者への道を開くことを目的に設置された。やがて、これらの学校から貴族の基金をもとにした学校が現れる。孤児院や救貧施設と付属しており、貧しい少年を無料で、または安い授業料で入学させることが定められていた。こうして生徒は全国から集められ、貧しい少年たちにも開かれることになった。だから、「パブリック」スクールと呼ばれているのである。しかし、スコットランドではパブリックスクールは公立校のことを指す場合が多い。

基金立学校となると、1382年創立のウィンチェスター校、ついで1440年創立のイートン校がパブリックスクールの元祖となる。パブリックスクールが今日のエリート私立学校の意味を持つようになったのは、次のような事情がある。

基金立学校はインフレが起こると教師の給料は著しく低くなった。そこで教師の低給料を改善するために私費生をとるようになり、次第に私費生は増えていった。さらに、17世紀には、それまで家庭教師を雇って教育していた貴族達が子弟をこれらの学校に行かせ始めた。そのうちに、貧しい学生の割合は減り、今の上流階級のための学校になったというわけである。

 16世紀になると、宗教革命によって800もの修道院が解散され、付属していた文法学校までも廃校に追い込まれてしまった。しかし、その施設や基金は教育目的に転用され、その庇護のもとで、続々と学校が興り、文法学校も再興された。今日のパブリックスクールには前記の2校を除いて、この宗教改革時代に創立されたものと、19世紀の教育復興の機運に乗じてできたものの、二つの集団に分類することができる。

 

・イギリスの学校制度

〈公立の場合〉

イギリスでは2,3歳になると幼稚園に通う。5歳で初等学校に入学し、義務教育が始まる。11歳からは中等学校に進学。以前は進学する前に試験が設けられていたが、現在ではほとんど廃止されている。そして、中等教育卒業は16歳で義務教育は終了する。

〈私立の場合〉

私立だと、異なるパターンがかなりあるが、通常では2歳から7歳までプリ・プレップ・スクール([パブリックスクールの]準備校)に行く。プレップとはプレパラトリー(準備)の略である。その後、7歳から13歳までプレップ・スクール(小学校)に通う。卒業年齢に規定はなく全国統一学力試験に合格すれば、シニアスクールと呼ばれる私立学校に進む。この中のある一群の学校がパブリックスクールである。パブリックスクールに入るには、11歳までに名簿登録をしておき、面接とテスト、そして、彼らが通っている学校の校長の推薦状も合否の判断材料になる。

 

公立と私立に分けて述べてきたが、公立の初等教育から私立の中等教育へ進学するパターンも一般的にある。義務教育での公立の生徒は全体の93%を占めている。

16歳で義務教育は終了するが、生徒たちは16歳になると全国学力試験(GCSE試験)を受け、合格すると義務教育修了証書が与えられる。その後、進学する者は第6学年級に進む。パブリックスクールでは第6学年級への進学は当然とみなされている。そこでは、Aレベルの受験コースを2年間学び、試験で志望校が提示する条件を満たす成績を修めれば、大学に進学できる。ここでも入学志願書での校長のコメントは重要視される。ケンブリッジ大学、オックスフォード大学入学者の5割以上がパブリックスクールの出身である。

 

・生活

次に、パブリックスクールでの生徒の生活について寄宿生を中心に見ることにしたい。

パブリックスクールの生徒には寮に入る寄宿生と実家から通う通学生がいる。以前は寄宿生のみだったが、現在では寄宿生だけの学校はイートン校など7%でしかない。理由としては、寄宿生になると、通学生に比べて約2倍の授業料を支払わなくてはならないからである。または、寄宿生活を通じての人格形成よりも学力養成の方が重要とされるようになったからというのがある。

寄宿生は、ハウスと呼ばれる寮で生活を送る。一つのハウスには5年ほどの年齢差のある生徒たちが混ざって60人程度が生活を共にしている。ハウスの中で、学生は共同生活の中で教師と学生、または生徒同士の親密な交流により、責任、規律、忍耐といった精神を育んでいく。また、ひとつの学校には10前後のハウスがあり、ハウス同士でスポーツや演劇、勉学の競争を通して、人格の基礎を形成していくのである。

ハウスでは舎監(ハウスマスター)と呼ばれる先生も共に生活しており、さらに先生の家族も一緒である。ハウスマスターは各寮に専属していて、学生と共に生活し、学生の教育だけでなく、生徒の相談にも乗る一番身近な先生である。ハウスマスターの優劣が寮の気風に反映されるといわれている。

その他に、数人の学校監督生(プリフェクト)もいる。パブリックスクールの基である中世の文法学校から見ることができるほど古い制度である。上級学年に属する彼らは、人格や成績など他の生徒のお手本となる者で、ハウス内の秩序が保たれるように監督し、時には、規則違反をしたものにトイレ掃除など軽い刑罰を下す役割を担っている。下級生の相談に乗ったり、ホームシックになった生徒を慰めたりすることもある。校長先生によって選ばれるので、責任重大であるが、それだけに特権が与えられ、大きな名誉にもなる。就寝時間の自由、下級生の一室6人部屋とはかけ離れた冷蔵庫つきの個室、寮費の一部免除などの特権が与えられている。

 

〈寄宿生の生活の一例〉

7:00  起床

   起きるとまず、集まって、点呼や簡単な連絡事項の連絡が行われる。その後、朝食や掃除。後は礼拝堂に行き、お祈りをする。ほとんどのパブリックスクールには校内に礼拝堂があり、イートン校のものは観光名所にもなっている。

9:00  午前の授業

授業の間には30分の休み時間があり、生徒たちはハウスに戻り、パンなど軽いおやつを取っているようである。

13:00 昼食

14:00 スポーツ

  スポーツは紳士的公平な態度や、忍耐、弱者への思いやり、他者への奉仕など、人格形成に有効だと認識されている。そういったことからスポーツの時間は特に重視されている。行われる種目はクリケットやラグビーなどから柔道や空手など多種にわたる。ラグビーがパブリックスクールのひとつであるラグビー校から生まれたことからも分かるように、パブリックスクールが近代スポーツに与えた影響は大きいと考えられている。

16:00 午後の授業

ここで、ボランティアや軍事訓練をおこなう学校もある。

18:00 夕食

その後は21時くらいまで自習の時間で、再び集合がある。上級学年になると義務教育終了試験が控えているなどで、その後にも自習時間がある。

22:00 就寝

 

・現在

 イギリスのエリートのうち約60%がパブリックスクール出身者である。彼らはもともと上流階級出身者なので、相続によって特権的地位を継承する場合も少なくはないが、近代社会におけるエリートの地位は実力主義によるものである。このような社会でのパブリックスクール卒業生によるエリート支配には二つのことが言える。

一つ目は、パブリックスクールは卒業生のコネやツテといったネットワークを形成することができる場であること。重要な情報は卒業生とのパーティやクラブなど非公式での接触の中で得られるのである。二つ目は、ヨーロッパ社会は「平等な実力主義」という建前の陰に、実は上流階級の文化を持ち合わせているかどうかが問われる社会であること。人格の基礎になっている文化こそが目に見えない選抜基準なのである。

 しかし、高いエリート率を誇っているとはいえ、その割合は減少傾向にある。パブリックスクール出身者であるかどうかより、オックスブリッジ卒業生であるかどうかに重点が置かれるようになっている。

 また、従来、生徒を男子に限ってきたパブリックスクールが、女子にも門戸を開くようになった。1970年代には第6学級のみに女子の入学を認めるようになったが、次第に最初からの入学も可能となった。1992年のデータでは男子校は29%、部分的な共学が25%、共学が46%となっているが、イートン校、ハロー校、ウィンチェスター校などは依然として女子に対して門戸を閉じたままである。

 

・おわりに

エリート占有率やスポーツについて見ると、イギリス、さらには世界中に与えた影響は大きいものだっただろう。今では、寄宿生の減少や女子の入学許可などの変化が見られるが、現在でもその理念が受け継がれていることは魅力的だと思う。

 

 

【参考文献】

池田潔『自由と規律』岩波新書、1949年

竹内洋『パブリック・スクール 英国式受験とエリート』講談社、1993年

伊村元道『英国パブリック・スクール物語』丸善ライブラリー、1993年

秋島百合子『パブリック・スクールからイギリスが見える』朝日新聞社、1995年

下條美智彦『ヨーロッパの教育現場から―イギリス・フランス・ドイツの義務教育事情』春風社、2003年