研究内容

大学院生・研究者向けの詳細な紹介もあります(こちら)。

タンパク質のバイオジェネシス 〜タンパク質の誕生と成熟の物語〜

タンパク質の合成工場であるリボソームは、DNAからmRNAに複写された遺伝情報を設計図にしてタンパク質を合成します。アミノ酸が一つずつつながり、やがて1本の「ひも」となった新生タンパク質は、リボソームの内部から、トンネルを抜け、細胞質へと姿を現します。その後、全長の合成が完了し、リボソームから解離した新生タンパク質は、しかるべき場所に運ばれ、また、正しい立体構造を形成することで働くことができるようになります。タンパク質が合成され成熟する過程、すなわち、「タンパク質のバイオジェネシス」は、DNAやRNAに記述された遺伝情報が、タンパク質のアミノ酸配列、さらにはその三次元構造へと変換されることで生命活動を営む実働部隊へと姿を変えるダイナミックなプロセスです。私たちは、タンパク質が作られ、運ばれ、成熟する過程、すなわち、「タンパク質の誕生と成熟の物語」に興味を持って研究しています。


ときどき立ち止まるタンパク質合成

四文字の羅列で記された“ことば”がどのようにして生命の営みへと正しく“翻訳”されるのか?これは、単に遺伝暗号のアミノ酸配列への正確な変換作業が正しく行われればよいという単純な問題ではなく、その過程の「動的な要素」が遺伝子の自己実現に重要な役割を果たすのではないかと私たちは考えています。タンパク質の合成(翻訳)は、単にそれだけで進行するわけではなく、翻訳によって新生タンパク質が伸長してゆくまさにその途上から、新生タンパク質の立体構造形成(フォールディング)や生体膜への組込、膜透過などといったプロセスが、翻訳伸長と同時並行に進行することもあるようです。このときに、翻訳伸長の速度に緩急をつけ、時に一時停止する(アレストする)ことが、新生鎖がフォールディングや膜組込、膜透過の準備をするための時間的余裕を生み、そのおかげでこれらのイベントがうまく進行するらしいのです。私たちが何かを学習したり創作したりするときに、一定のペースで物事が進むのではなく、時に立ち止まり、考えたり悩んだりする時間が必要なのと似ていますね。この、翻訳伸長速度の「緩急」の重要性が理解されるにしたがい、翻訳伸長速度の調節のメカニズムとその生物学的意義を明らかにしようとする研究が少しずつ注目を浴びるようになってきました。タンパク質が生み出される過程そのものが、タンパク質のその後の運命を決定することもあるようなのです。

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合成の途上で働くタンパク質の発見

ところが、最近になって、翻訳伸長速度の立ち止まり(翻訳伸長アレスト)を利用し、細胞は予想以上に多様な“仕事”をしている事が明らかになり、タンパク質のバイオジェネシス研究が新展開を迎えつつあります。私たちが現在主に取り組んでいるのも、まさにこの、「翻訳アレストを細胞が巧妙に利用して細胞内の装置の働きを監視する」しくみについての研究なのです。本来タンパク質は、全長が合成され、しかるべき立体構造を形成して初めて働くことが出来ます。合成途上の未完成なタンパク質(新生ポリペプチド鎖)は、まだ働くことが出来ません。ところが私たちは、ある特殊な例として、翻訳途上の新生ポリペプチド鎖自身が、自らを合成しているリボソームに働きかけ、自身の翻訳伸長を一時停止させ、その状態で、細胞内のタンパク質膜組込装置であるYidCの働きを監視するセンサーの役割を担っていることを見出しました。すなわち、この特殊なセンサータンパク質(私たちはMifMと命名しました)は、合成が完了する前に働いているのです。後で述べるように、タンパク質の膜組込装置は細胞の生育に必須です。その働きが低下すると、MifMはその異常を感知し、自身の翻訳をアレストさせることで、最終的に、細胞が第二の膜組込装置を合成するよう促すのです。MifMのように、合成の途上で働くタンパク質という存在は、これまでの生物学の常識から大きく外れたものでした。しかしながら、似たような性質を持つ因子が、少しずつですが、すでに様々な生物種で見つかってきています。今後、私たちの研究を通じて、タンパク質がこのようなユニークな形で働くメカニズムや、その普遍性や多様性について明らかにしていきたいと考えています。


生体膜は生命の“かたち”を作る

生体膜は、脂質二重層からなり、細胞や細胞小器官を区画化しています。当たり前すぎて見落としがちですが、細胞の中身は基本的には液体なので、膜がないとすべての生物は単なる液体になってしまい、生物として存在することすら出来ません。例えば、あなたが散歩に出かけても地面にしみこんだり蒸発したり、どこかに流れていったりせずに無事に家に帰って来られるのは、生体膜のおかげです。生命が誕生する前の原始の海には、おそらく、自己複製をする核酸のような分子をはじめ、生体分子の元となる様々な物質が存在していたと考えられています。しかしそれらは、仮に様々な化学反応を触媒したり自己複製をしたりすることが出来たとしても、あくまで物質であり、生物ではありません。生物としての個の概念(「個体」や「自己と非自己」の問題など)は、生体膜なしには存在し得ないのです。その意味では、膜ができて初めて地球上に生命が誕生したと言っても過言ではありません。


生体膜は、膜タンパク質により多様な機能を獲得する

さて、生体膜の役割は、細胞の形を作ることだけではありません。脂質二重膜が水やプロトンのような小分子も容易には透過させないバリアーとして働くおかげで、細胞内の栄養状態や物理化学的環境が急激に変化することを防ぐことができるのです。一方で生体膜は、膜を超えた物質や情報の選択的なやりとり、エネルギー産生など、多様な機能を持ち、それらもまた、細胞が生きていくのに必要なのです。これらの多様な膜機能は、膜に組み込まれたタンパク質(「膜タンパク質」)が主に担っています。したがって、タンパク質が膜へ正しく組み込まれる過程(膜タンパク質のバイオジェネシス)もまた、生物が生きていく上でなくてはならない重要な生物学的プロセスなのです。


それぞれ異なる個性を持つタンパク質膜組込装置

内在性膜タンパク質の場合、「ひも」であるタンパク質が脂質二重膜を一回以上貫通しています。したがって、タンパク質を膜に組み込むためには、タンパク質の一部を、膜を超えて反対側へと送り出すことが必要です。タンパク質の膜挿入は、生体内では、自発的に起こることは滅多にありません。タンパク質膜組込装置と呼ばれる膜タンパク質が必要です。例えば、Secチャネルと呼ばれるタンパク質膜組込装置は、垂直方向にも水平方向にも開閉可能な通り道を膜内に作り、その通り道にポリペプチド鎖を導くことで、タンパク質を膜挿入します。Secチャネルは汎用性が高く、非常に多くの膜タンパク質がこのSecチャネルによって膜内へと挿入されます。中には膜を10回以上も貫通する大きな膜タンパク質も、このSecチャネルによって膜へと挿入されます。一方、YidCと呼ばれる別の膜組込装置は「えり好み」が激しく、膜を一回もしくはせいぜい二回貫通するような、比較的小さな膜タンパク質しか相手にしません。一方で、Secチャネルによって膜挿入されたタンパク質が、正しい構造を形成したり、複合体を形成したりするための手助けもすると言われています(シャペロン機能と言います)。Secチャネルにはこのようなシャペロン機能はありません。SecチャネルとYidCの性質の違いがどこから生じるのか?その手がかりが、最近私たちも参加した共同研究の結果から得られつつあります。

Sec and YidC

これまで、SecチャネルもYidCも、おおよそ似たような全体構造をしているだろうと推測されてきました。ところが、東大の濡木理研究室、奈良先端大の塚崎智也研究室が中心となって行ったYidCの結晶構造解析の結果、YidCは、Secチャネルとは異なるユニークな構造をしていることが分かりました。これまでは、二つのYidC分子が会合し、Secチャネルのような膜を貫通する通り道を作るというモデルが提唱されていました。ところが、濡木研・塚崎研が明らかにしたYidCの構造モデルにしたがうと、YidCが二量体を形成しても、膜を貫通するような通り道を作ることは考えづらいという予想外の結果が得られたのです。また、YidCは、脂質二重膜内に、親水性アミノ酸残基に富み正電荷を持った溝を形成していることが分かりました。

これらの構造解析の結果を受け、私たちは、YidCタンパク質のどのような構造・性質が重要であるのか、遺伝学的な手法で解析を行いました。その結果、YidCが膜内に形作るこの溝の内側の正電荷の重要性が示されました。さらに、挿入される基質膜タンパク質がもつ負電荷のアミノ酸残基も膜組込に重要な役割を果たしていることが分かりました。この一連の共同研究から、私たちは、YidCが膜内に作り出すその溝が、これから膜挿入されようとするタンパク質一時的な受け皿として働くのではないかと考えました。すなわち、その溝の正電荷が、基質膜タンパク質分子内の負電荷をいったん引きつけ、その作用によって膜タンパク質を膜内へと導くというモデルを提唱するに至りました。つまり、YidCは、Secチャネルとは異なるメカニズムでタンパク質を膜挿入していたのです。YidCとSecチャネルの個性の違いも、このメカニズムの違いで説明できるようになりました。


バクテリアの持つ生命システムとしての優美さ

私たちは、大腸菌や枯草菌といった、比較的シンプルな生物を実験材料にしています。彼らには、思考する脳も言葉を話す器官もなく、ただひたすら自己複製を繰り返すのみの存在です。 “無駄”をそぎ落とし、生きることの基本(生命のエッセンス)のみ凝集させた彼らのような存在は、「生命とは何か?」という難解な問いの前に混迷し立ち尽くす私たちにとっては一筋の希望の光です。(もちろん私たちは、自らの持つ“生物学的無駄”の中に実に多様で豊かな価値を見出しながら生きている訳ですが、ここでは述べません。)私たちが地球上に登場する遙かに前からこの惑星上で生きていた生物は、おそらく大腸菌や枯草菌とそれほど大差ない形態であったものと思われます。ということは、見方を変えると、彼らこそが生物の元祖であり本流であるとの見方も出来るのかもしれません。さらに言うと、彼らは、数十億年という長い間ひたすら分裂と進化を繰り返してきた結果、現存する中で最も洗練され、生命体としての完成度を高めた生物としてここにいるのだという見方も出来るかも知れません。この見方は少々強引ではありますが、私は、彼らの中に、ミニマリズムを究極まで追求した者のみが持つ、研ぎ澄まされた美しさを感じるのです。生命のエッセンスのみが凝集された、生命体の基本型とも言うべき彼らを実験材料にすることには、現代の生命科学においてもそれなりに大きな意味があると考えています。

 

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