「星の王子様」のイタリア語訳

平塚 徹(京都産業大学)


 「星の王子様」の中に、「花」が出てきますが、 これは男でしょうか、それとも女でしょうか。 フランス語の原作で読んだ人は、「花(la fleur)」は女性形ですし、 即座に女性だと答えることでしょう。 日本語訳も、そのようなイメージで訳しているでしょうから、 それを読んだ人も女性だと答えるでしょう。

 ところが、「星の王子様」のイタリア語訳を読むと、 「花」は il fiore で男性名詞なのです。 例えば、8章の冒頭の文を比較してみましょう (イタリア語訳は洋販から出ている Il Piccolo principe です。)。

(フランス語)J'appris bien vite à mieux connaître cette fleur.
(イタリア語)Imparai ben presto a conoscere meglio questo fiore.

そして、もう少し先で、「花」を代名詞で受けているところでは、 フランス語では女性の elle で受けているのに、 イタリア語では男性の lui で受けているのです。

(フランス語)Et elle, qui avait travaillé avec tant de précision, dit en bâillant:
(イタリア語)E lui che aveva lavorato con tanta precisione, disse sbadigliando:

さらに数行先では、形容詞の性も違っています。

(フランス語)- Que vous etes belle !
(イタリア語)"Come sei bello !"

これでは、イタリア語訳では、「花」を指す表現だけを見ていると、 まるで男であるかのようです。

 また、「星の王子様」には「キツネ(le renard)」も出てきますが、 フランス語や日本語で読んだ人は、これは男の子だと思うでしょう。 しかし、これも、イタリア語では la volpe で女性名詞なのです。 21章の冒頭のキツネが登場するところの文です。

(フランス語)C'est alors qu'apparut le renard:
(イタリア語)In quel momento apparve la volpe.

イタリア語版では、この後で、キツネは自分のことについて語るときに、 過去分詞や形容詞を女性形にしています。

(フランス語)Je ne suis pas apprivoise.
(イタリア語)"non sono addomesticata."

(フランス語)Je serai pour toi unique au monde...
(イタリア語)io saro' per te unica al mondo.

 「星の王子様」を読んだ人は、「花」は女で、 「キツネ」は男だというイメージを抱いていると思います。 はたして、イタリア語訳では、「花」は男で、「キツネ」は女なのでしょうか。 本当にそうなら、これは、作品の雰囲気だけでなく、 解釈も変えてしまう大問題になります。

 しかし、イタリア語訳でも、「花」は女で、「キツネ」は男だと思われます。 先ず、「花」については、ストーリーを読む限り、 支配的なジェンダー観から言って、女性をイメージしていると思われます。 たとえ言語形式が男性形でも、読み手は女性だと解釈するでしょう。

 「キツネ」の方は微妙です。 サン=テグジュペリは男をイメージして書いていると思われますが、 「花」ほどにはジェンダーがはっきり出ていません。 しかし、面白いことに、キツネの声だけが聞こえて、姿が見えていないときには、 王子様は次のように言っているのです。

(フランス語)- Qui es-tu ? dit le petit prince. Tu es bien joli...
(イタリア語)"Chi sei ?" domando' il piccolo principe, "sei molto carino..."

ここでは、男性形の carino(かわいらしい)が使われています。 この時点では、王子様は、まだ、相手がキツネだということを知らないのです。 ですから、相手の声だけ聞いて形容詞の男性形を使ったわけです。 と言うことは、声からすると、キツネは男だったということになるでしょう。 その後、キツネが自分に女性形を使っているのは、 ただ単に、キツネを指す名詞 volpe が女性名詞だからと言うことになります。 と言うわけで、イタリア語訳でも、「キツネ」は男のままだろうと思われます。

 ただし、これは、これは微妙な問題です。 と言うのも、ポルトガル語訳やカタロニア語訳を見ると、 やはり、「キツネ」は女性名詞なのですが、 上記の文章でも形容詞を女性形にしているのです。

(ポルトガル語)- Quem és tu ? perguntou o principezinho. Tu és bem bonita...
(カタロニア語)- Qui ets ? - digué el petit príncep - ets força bonica.

ポルトガル語訳やカタロニア語訳では、男をイメージしつつも、 「キツネ」が女性名詞だから、ここの形容詞も女性形にしたのでしょうか。 それとも、イタリア語の翻訳者ほど、深くは考えていなかったのでしょうか。

 ちなみに、スペイン語やドイツ語では、フランス語と同じ性になっています。 他の言語ではどうなっているか、興味深いところです。


<その後、分かったこと>

 実は、第24章に、以下のような箇所がありました。

(1) Mon ami le renard, me dit-il...
(2) Moi, je suis bien content d'avoir eu un ami renard...

うっかりしていました。 この ami をどう訳しているかを見れば、 訳者がキツネを男として訳しているか、 女として訳しているかが分かるのではないでしょうか。

 そこで、イタリア語訳を確認したところ、 男性名詞 amico を使っており、どうやら、キツネを男扱いしてるようです。

(イタリア語)Il mio amico la volpe, mi disse...
(イタリア語)Io, io sono molto contento d'aver avuto un amico volpe...

これは、王子様が相手がキツネだと分かる前のセリフで、 形容詞 carino を男性形で使用していることと矛盾しません。

(フランス語)- Qui es-tu ? dit le petit prince. Tu es bien joli...
(イタリア語)"Chi sei ?" domando' il piccolo principe, "sei molto carino..."

どうやら、イタリア語訳では、キツネは男なのだが、 普通には文法性の女性を優先させているということだと思われます。

 これに対して、矢張り「キツネ」が女性名詞になっている ポルトガル語訳とカタロニア語訳も調べたところ、 女性名詞 amiga / amiga を使用しており、キツネを「女友達」としています。

(ポルトガル語)Minha amiga raposa me disse...
(ポルトガル語)Eu estou muito contente de ter tido a raposa por amiga...

(カタロニア語)La meva amiga, la guineu, em deia...
(カタロニア語)Jo estic molt content d'haver tingut una guineu amiga meva...

今度の場合も、矢張り、王子様が相手がキツネだと分かる前のセリフで、 形容詞 bonito/bonic を女性形 bonita/bonica にしていることと一貫しています。

(ポルトガル語)Tu és bem bonita...
(カタロニア語)ets força bonica.

つまり、ポルトガル語訳とカタロニア語訳では、 キツネの自然性も、文法性も女性にしていることになります。

 と、ここまでは良かったのですが、ここで、またとても不思議なことが出てきました。 というのは、辞書を見る限り、ポルトガル語には、 キツネを指すのに、raposo という男性名詞があるのです。 辞書の書き方からすると、種全体を指すのにも、この男性形の raposo を使うようです。 なぜ、ポルトガル語訳では、原作と合わせて男性名詞を使わずに、 わざわざ女性名詞にしたのか、極めて理解に苦しみます。 もしかして、何らかの慣習が存在するのかもしれません。

 更に、現代ギリシア語訳も見てみました。 現代ギリシア語では、キツネはαλεπουという女性名詞です。 先ず、相手がキツネだと分かる前の王子様のセリフを見ると、 形容詞ομορφοsを女性形のομορφηにしています。

(現代ギリシア語訳)Εισαι πολυ  ομορφη...

ところが、第24章を見ると、「友達」を男性名詞φιλοsで訳しており、 女性名詞φιληを使っていないのです。

(現代ギリシア語訳)Ο φιλοs μου  η αλεπου,   μου ειπε...
(現代ギリシア語訳)Εγω ειμαι  πολυ ευχαριστημενοs  που εχω φιλο  μια αλεπου...

本当に、どういうことなのか、よく分かりません。 現代ギリシア語は、性の扱い方が、 ロマンス諸語とはかなり異なっているのかもしれません。 この点も、時間ができたら、少し調べてみようかと思います。

いずれ、まとめて、改訂版を書きます。